サイコロの一点物日記、真央さんと共に!

美しい真央さん、元気な真央さん、どんな真央さんも応援します。良かったらご一緒に!

悪夢の平成23年3月11日。福島県の復興には、まだまだ皆さんのお力を貸してください。

平成23年3月11日14時46分18秒東日本大震災発生。 頑張れ!東北。頑張れ!福島。放射能の被害の甚大な福島県をず~っと応援します。◆ふくしま復興ステーション

■8:サブサイトのアメブロだけでは、もったいないので、メインブログでもご紹介させて頂きます。

2021年08月27日 00時00分04秒 | 日記と女性アスリート応援
宜しければお出掛け下さいね!(微笑)
”サイコロです!”






◆浅田真央ちゃんを招いてのインタビューラジオ番組より
『NHKのラジオ深夜便』を書き留めます。

読み終えたら、最近の真央ちゃんのお気持ちがお分かり頂けると思います。

実際にすでに動き出している”真央リンク”

そして、今開催中のパラリンピック。真央ちゃんとパラアスリートの皆さんとの話題など・・・

ここに掲載の真央ちゃんのお言葉は、確実に真央ちゃんの口から直接語られたと言う点にご注目!(微笑)


◆ラジオ深夜便 8月23日(月)放送


フィギュアスケーターの浅田真央さんに「新しい夢に向かって」と題してラジオ深夜便 おおさわゆうじ(漢字表記が不明です)ディレクターが聞きました。
(ところどころ省略させて頂きます事、ご承知おきください。)

▲今夜のゲストは、フィギュアスケーターの浅田真央さんです。

「浅田さ~ん、よろしくお願いします。」と電話でのインタビューとなります。
真央ちゃん:よろしくお願いいたします。

▲まず初めにですけれども、この4月に202公演のサンクスツアーを終えられましたけれども、4カ月近く経ちまして、今の心境と言うものをお聞かせ頂ければと思います。

真央ちゃん:はい、3年間続いていたアイスショーが一応、一区切りとなりましてスケートからちょっと離れて、自分の時間を持ちつつ、楽しんで過ごしていました。
で、今、ようやく少しづつ、また、スケートとともにスタートしたと言う所です。

▲少し、長期のOFFを取られていたそうですけれども、どのように過ごされていたんですか?

真央ちゃん:自宅でのんびりしたり、お掃除をしたり、お料理をしたり、刺繍をしたりと、ほんとに、のんびりとした生活を送っていました。

▲あの~、2017年の4月に競技から引退を発表されまして、浅田真央サンクスツアーを始めようと思われたきっかけは、何だったんでしょうか?

真央ちゃん:はい!引退してから自分は、もうスケートとサヨナラしてもいいのかなぁ~と思っていたんですけれども、一つのアイスショーが終わりまして、そしたら、いろんな方から、まだまだ、私のスケートが見たいと言ってくださる方や、まだまだ、見れて無いと言う方がいて、自分が休んでいる時に、自分が何が出来るのかなぁ~って思った時に、自分は、スケートしかないと思いましたし、また、やっぱり、これだけ長くスケートが出来たのも、応援してくださる皆さんだったり、サポートしてくださった皆さんの本当にお陰だと思っていたので、だったら自分がアイスショーを作って実際に行けなかった地域にも行って自分の感謝の滑りを届けたいと思ったのがきっかけで、で、このサンクスツアーと言うアイスショーが始まりました。

▲はい。また、このサンクスツアーですけれども今までのアイスショーとは違ったコンセプト打ち出されましたよね?

真央ちゃん:はい!あの~、きっかけは、私が中学生の頃だったんですけれども、浜崎あゆみさんのライブに行った時に、「あ!こう言うアイスショーってフィギュアスケーターではやってないな」という事をその時に思いまして、歌手の人がすべて自分がメインでライブをしている姿を見て、自分もいつか、一人メインで出来るアイスショーがあるんじゃないかなぁ~と思いまして、その思いが、サンクスツアーに繋がっているんですけれども、普通のアイスショーと言うのは、大体多くても、3回ぐらい出るのが普通なんですけれども、このアイスショーは、1時間半、私の着替え以外は、ず~っと、出続けているのアイスショーでメンバーが私含めて10名何ですけれども、その10名共に、私が現役時代滑って来た曲をセレクトして、私とメンバーとが交代、交代に滑っていくアイスショーになっていました。

▲はい、そして凄く座席が近いですよね。

真央ちゃん:そうなんですよ!リンクの中に客席を作っているのでほんとにもう、私たちスケーターと間近で一緒に作り上げて行ってる感じが凄くしました。

▲しかも、チケット代もお安くされて、見に行きやすい環境を整えられたと言うのもポイントでしたよね~!

真央ちゃん:そうですね!あの~選手時代、私が自分で実際にアイスショーに出ていても、これだけ高いチケットを皆さん、払って来てくださると言う事が、ちょっと、申し訳ない気持ちもあって、いつか自分がアイスショーをやるときは、もっと、お求め易い価格で皆さんに来て頂きたいと言う思いが凄く強くて、なので今回は、本当にご家族で皆さんアイスショーに来てくれました。
中々、アイスショー開催しない地域にも、私たち行ったので、ほんとにあの~いつものフィギュアスケートのお客さんの層とは、また違って、ほんとに、赤ちゃんからお年寄りの方まで。
男性から女性まで、ほんとに幅広いお客様がサンクスツアーに来てくださいました。

▲全国、各地を回られた訳ですけれども、特に印象に残っている場所ですとか、ツアー中の思い出と言うものは、ありますでしょうか?

真央ちゃん:やはり、沖縄ですかねぇ~、沖縄でアイスリンクが有るんだーと言うのも驚きましたし~、試合、アイスショーが出来る大きさのアイスリンクでは無いんですけれども、そのリンクにお席を作って、たぶん、フィギュアスケート界初めてすよね?きっと!アイスショーを開催することが出来ました。
で、あの~、実際に行った時は、凄く暑くてリンクの中の氷が最後の方、解けてしまうくらい、沖縄の皆さんの熱気が凄くて、もう、あの、熱気は忘れられないですね、それぐらい、やっぱり、皆さん、「まさか、沖縄でアイスショーなんて?」と思っている方が多かったみたいで、私もその一人だったんですけど!
ほんとに。
良い思い出になりました。

▲しかし、あの~サンクスツアー、ほんとに立ち上げから座長としてチームを引っ張って行く立場になられた訳で、色々なご苦労もあったと思うんですけれども、今、改めて振り返ってみて如何でしたか?

真央ちゃん:そうですね~、初めは、やはり、私も初めての事で、先のことが何も見えず、ただ、初回の公演に向けて何が何でも間に合わせないと行けない。
でも、初めての事でも必死になってやって来たんですけれども、3年間、最後までやり切れたって言うのが、本当に今は、とても晴れやかな気持ちです。

▲ツアー中は、本当にたくさんの笑顔を届けて頂いたんですけれどもそれとともに、浅田さんの涙もたくさんあったかと思うんですけれども、その点は、如何ですか?

真央ちゃん:サンクスツアーでは、悔し涙と言うよりは、あの、うれし涙の方が凄く多くて、いやもう、ほんとに感動することが、ほんとに多かったです。

▲終わった後の、ほっとした時に涙が出てしまったような、印象がありましたね~

真央ちゃん:そうですね~、はい!ほんとに最初は、始めると行った時は、私と姉とマネージャーの3人だったものが、メンバーが集まって、スタッフの皆さんが集まって、お客様が来てくださって、で、公演を重ねて行ってその公演がどんどん公演回数が増えて行って開催地も増えて行って、そのほんとに小っちゃかったものがドンどん大きくなるのと同時に私の中にあるスケート愛だったり皆さんの愛だったり、そう言ったものがどんどん大きくなって行く実感が凄くあって、最後の千秋楽の公演は、もう、本当に最高な時間でもあり、幸せな時間でもありました。
あの景色と言うのは、ほんとに忘れられません!

▲そうですかー、色々なご苦労があってこその、あの千秋楽だったなぁ~と、拝見していたんですけれども、この3年間の中では、お姉さまの舞さんのご卒業も有って浅田さんがみんなを引っ張って行く立場になられたじゃないですか?
ご自身としては、どのような学びがありましたしたでしょうか?

真央ちゃん:はい、あの~、私自身は、みんなを引っ張っていくと言う作業は全然全くしていなくて、ただ、みんなが私の背中を見て付いて来てくれたので、ほんとにそれだけですね。なので私は、みんなをまとめるとか引っ張って行くと言うよりは、自分はとにかく全力でこれをして行こうと思いました。

▲でも、あのメイキングでは、「みんなまだまだこのレベルで満足しては駄目だよ!」って言う、浅田さんの発言もありましたけれども

真央ちゃん:そうですね。あの~座長らしいことは、ちょこっとは出来たかなぁ~と思うんですけれども。
最高のメンバーだったので、みんなに感謝!感謝!です。

▲また、あの~、コロナ禍では中断が有ったりですとか、延期が有ったりですとか、実際202公演、完走されて、その点は如何でしたか?

真央ちゃん:サンクスツアーずっと開催していく中で、やはり、コロナと言うものが起きてしまって、やはり、延期や中止なども続いてしまった時期もあったんですけれども、私自身、サンクスツアーを再開した時と言うのは、やはりどこかやっていいのかなぁーって言う思いもありましたし、私が開催することで、また、感染が広がって来てしまったらどうしようと言う気持ちももちろんあったんですけれども、でも、あの~、開催者を含め、お客様も感染対策を徹底してくださって、で、終わった後には、「こんな時だからやって欲しかった」「こんな時にやってくれてありがとう」ほんとに、乗り越えてパワーを貰えてと言う言葉を頂いたので、なんかその時に、あ~ちょっとでも見たいなぁ~とか私の滑りを見て元気になったって言ってくださる方が居てくれたんだなぁ~、やっても良かったんだなぁーと、そこで少し、思えましたね。
以上、浅田真央サンクスツアーの話題篇でした。

▲なるほど、また、あの~4月に発売された著書、「私のスケート愛」では、選手時代の苦悩と比べて引退してから感じたスケートの楽しさと言うものが色々と綴られていたんですけれども、改めて、その選手時代と比較して、このサンクスツアーで感じた思いと言うものをお聞かせ頂ければと思います。

真央ちゃん:ほんとに色々、やっぱり選手時代の頃とは違うんですけれども選手の時と明らかに違うのは、ルールが無いという事ですね、だからこそ、自分の好きな事が出来るので~自分が滑っていても、こんなプログラムを滑りたい、こんな衣装で滑りたい、この小道具を使いたいとか、本当に自由なスケートに変わったことで、そこでまた、たくさんのスケートの愛を感じる事が出来ました。
選手の頃は、やはりスケートリンクに居ても自宅に帰ってもやっぱり自分と向き合って自分との戦いって事がほんとに多かったんですけども、やっぱり、このサンクスツアーでは一人だけではなくてリンクにはメンバーの子たちが居てくれて、周りにはサポートしてくださるスタッフの皆さまやいろんな関係者の皆さんが居てくださって、そこでもやはり私を支えてくれたりみんなで一緒に色んな事を乗り越えて行く、そこでまた、愛が生まれ、そして、やはり、お客様が会場に来てくださって出来るアイスショーなのでみんなで一つの大きなものを作り上げて、また、そこにまた、それ以上の大きな愛が生まれたと言う感じになりますかね~

▲はい、あの~プログラムもそうですけれども、ご自分で自由に振り付けもされましたよね。その点については如何でしたか?

真央ちゃん:振り付けをする事は、初めてだったので、とっても、大変ではあったんですけれども楽しい作業でもありました。
アイディアがどんどん出てくるので初回の公演の前に作ったものから最終公演まで毎回毎回、いろんな構成を変えていたのでメンバーの子たちは大変な事もあったと思うんですけど、常に進化しながらずっと開催出来たアイスショーだったと思います。

▲そして、今後どうなるんだろうと言うのがファンの皆さんの関心事かと思うんですけれども、アイスショーへの出演ですとか、将来のフィギュアスケートの関わりと言うのは、今どのようにお考え何でしょうか?

真央ちゃん:そうですね。あの、今、少しづつまた、スケートを滑る生活に戻って来て居ますので、また自分が、こんなことやりたいなぁ~って思うようなことが有れば、また、進んで行きたいなぁ~と思います。
私の自分のスケートの活動を通じて、たくさんの子供たちに夢を与え、そして、また、いつも応援してくださっている皆さんには、感謝の滑りを届けて行きたいと言う気持ちが凄く強いです。

▲具体的には、アイスショーへのご出演ですとか?お決まりになっているものは有るんですか?

真央ちゃん:まだ、アイスショーへの出演などは決まってないです。

▲そうですか。あの~例えばコーチになるですとか?振付家で今後活動して行きたいですとかそう言ったご希望などは如何でしょうか?

真央ちゃん:振付師~の目標はないですね。指導者としてもまだ、ないですね。

▲なるほど、分かりました。
それと、今後の目標の一つとして真央リンクと言うものをお伺いして行きたいと思うんですけど、この建設の思いたったきっかけと言うのは何だったんでしょうか?

真央ちゃん:こどもの頃に海外のリンクで練習して居たんですけれども、その当時の海外のコーチが、いつか、真央のスケートリンクを日本に、そしたら俺が教えに行くよって、言ってくださって、その時はなんか、笑い話だったかもしれないんですけど、私は子供ながらに自分の練習環境も凄く悪くてアメリカに行ったりとか、日本って余りそこまで練習環境は良くないので自分が出来る事が有ればという事で今、ちょっと落ち着いた段階で、あ~子供たちの為にスケートリンク?建てたいなぁ~と思ったのがきっかけです。

▲実際日本には選手専用のリンクと言うのが本当に少ないそうですね~

真央ちゃん:そうですね。選手の子たちは、一般のお客様と一緒に練習していたり貸し切りも中々、良い時間に取れず、みんな夜中だったり、朝方に練習している子たちが多いので、そう言った事も含めて少しでも何かみんな子供たちの為になるのであれば~と思い、今、話を進めて居ます。

▲実際にサンクスツアーの練習の時にも中々リンクが取れなくて深夜に練習されていたそうですものね~

真央ちゃん:そうですね。ほんとにもう夜中から朝方掛けて私たちもずっとやっていたので~みんなが居たから出来たかなぁ~と言うのはありますね~

▲そう言う意味では、真央リンクと言うものは、プランが具体的になって行けばと思って居るんですけれども現在のコンセプトですとか、進捗状況と言うのは如何なんでしょうか?

真央ちゃん:今のところ、1歩、2歩進んでいるかなぁ~と言う所ではあります。
あの~スケーターだけではなくて、やはりあの~応援してくださる皆さまにもスケートに触れて貰って応援して頂きたいのでほんとにたくさんの方が真央リンクで笑顔に成れる時間を作れるような場所にして行きたいなぁ~と思っています。

▲あの~具体的には、場所の候補ですとか?どのくらい進んで居るんでしょうか?

真央ちゃん:場所は、まだ、秘密です。また、100%決定しましたらお伝えできたらと思います。

▲まだ、正式には・・・と言う所なんですね?

真央ちゃん:そうですね。はい!これはもう、サプライズで私もワクワクしているプロジェクトの一つではありますので、多くの皆さんと力を併せてこの夢の実現して行ければと思っています。

▲では、あの~少しですけれどもプライベートの事もお伺いして行きたいと思うんですが来月、9月25日に31歳のお誕生日を迎えられます、私のスケート愛では、将来の夢として田舎での自給自足でしたり、ご結婚願望などもお書きになっていらっしゃいますが

真央ちゃん:え~そうですね。私自身のスケートリンク、真央リンクを作る夢も有るんですけども、あとは、老後の私の夢として自給自足の生活をすると言う夢もありますので、その夢を忘れずに少しずつそう言った事も始めつつ、楽しんで生活して行けたら良いなと思っています。

▲氷の上ですと虫とか全然居ないじゃないですか?畑仕事とかされて居る中でまったく問題なく浅田さん行けるんですか?

真央ちゃん:ミミズとかも居たりして、あ!ミミズ居たって思うんですけど・・・まったくそれこそ違う畑なので今まで白い氷しか床を見ていなかったんですけどもう自然たっぷりで今までスケートリンクでずっと室内で籠りっぱなしだったので外も良いなぁ~と思いながら太陽を浴びながら土を触りながら、農作業って凄く体に良いんですね!トレーニングになるので色々、筋肉痛になりながら収穫を楽しみに農作業を今、頑張って居ます。

▲そうですか~、また、突っ込んで聞いてしまうんですけども、ご結婚と言うのは?どの様にお考えなんでしょうか?

真央ちゃん:そうですね。まぁ~あの~色々、プロジェクトを進めたりしていく時ですので、それも一つの夢では有るんですけれども、ちょっとまだ先になりそうだなぁ~と言うのは感じてます。はい!

▲分かりました。それとですね、明日になるんですけれども東京パラリンピックが開幕します。NHKーBSの”真央が行く!”と言う番組で色々とパラスポーツに光を当てて頂いたんですけれどもパラアスリート方たちの取材を重ねて来られて中での思い出をお聞かせ頂ければと思うんですが?

真央ちゃん:真央が行くと言う番組は、3年前にスタートしたんですけれども色んなパラアスリートの方に出会いました。
皆さん、それぞれみんな大変な思いを乗り越えてスポーツをされているので私自身もいつも取材が終わると凄く力を貰える、パワーを貰って帰って来るんですね。
やはり皆さんの行動力と強い気持ちと言うのは、私もパラアスリートの皆さんから学ぶことが出来ました。

▲選手時代にもパラアスリートの方たちと少し交流はあったんですか?

真央ちゃん:はい!あの~バンクーバーオリンピックの時などにメダルの表彰式の時などにお会いして、お話したことはあります。

▲その中で、掛けられた言葉と言うものがあったそうですね~。

真央ちゃん:そうなんです。バンクーバーの時にパラアスリートの方にオリンピックの選手は「凄く良いよね!」と言う事を・・・お話ありまして、「僕たちパラアスリートはまったく注目されていないんだよー!」と言う事を私と一緒に話をしたことが凄くその時、覚えていて、何か自分にアスリートとして出来る事って無いかなぁ~って、同じように頑張っているアスリートが何で、同じように同じスポーツでも注目されないのかなぁ~とか思った時にいつか自分も皆さんのパラアスリートの皆さんの為になる事があれば良いなと思った時にこう言ったお話を頂いたのが・・・と言う流れです。

▲そう言う意味では、あの「真央が行く!」と言う番組の中で一緒にパラスポーツを体験することによって今まで、そのスポーツを知らなかった方たちにも色々と伝わった事があったんではないでしょうか?

真央ちゃん:層なんですかね~、あのー、ほんとにまだまだ、たくさんのパラアスリートの居て、皆さん、それぞれ、色んな分野で頑張っている方をこの「真央が行く!」を通じていろんな方に知って頂き、応援して貰いたいです。

▲分かりました。では、せっかくですのでこの放送をお聞になっているパラアスリートの方たちもいらっしゃるかと思いますので、明日開幕の東京パラリンピックに向けて一言エールを頂ければと思います。

真央ちゃん:ほんとに、4年に一度の大切な大きな大会だと思いますので、皆さん日ごろの成果を存分に発揮して楽しんで貰いたいと思います。
「皆さん!頑張ってください!」

▲ありがとう、ございます。浅田さんのエールを受けて皆さんも「やるぞ!」と今、気持ちが引き締まったかと思います。では、最後になりますけれども、改めまして、今後の豊富ですとか?
あるいは、これからの夢についてお聞かせください。

真央ちゃん:はい!そうですね、これからは・・・この3年続けてきたアイスショーが無事に終わりまして。
千秋楽で見たあの景色と言うのは、私の人生の中でも忘れられない、景色の一つとなりました。
そして、また、私の夢である「真央リンク」を作ると言う夢に向かって、また、スケートと共にこれからも進んで行きたいな、と、思っています。
やはり、真央リンクが出来たらそこのリンクで子供たちが頑張って練習していく姿や、また、たくさんの方が真央リンクに来てくださってたくさん笑顔が見られる景色を見たいと思っています。
そして、まだまだ、その先に自給自足の夢を叶えて行きたいなぁ~と思っています。
はい、そして先日発売になったばかりのサンクスツアー千秋楽ブルーレイ&DVDもそちらも是非、皆さんご覧ください。

▲分かりました。ありがとうございます。
でも、あの~私も今日、インタビューでお話をお聞きしてですね、サンクスツアーでもしかしたら、フィギュアスケートをサヨナラしてしまうのでは無いか?と、ちょっと心配しておりましたので・・・

真央ちゃん:そうですよね!何か?皆さん、山に籠るんじゃないかって思っている方がたくさんいらっしゃると思うんですけど、まだまだ、スケートを続けて行きたいと思っているので、中々、今、スケートを通じて皆さんの前に出る事と言うのは、無いんですけども、また、皆さんが喜んで貰えるような、色んな事を考えていますので安心してください!
また、実際に皆さんと近くでお会いできるのを楽しみにしています。
皆さん!楽しみに待っていてください!(力強く)

▲まだまだ、これからも氷上でのご活躍を楽しみにしております。

真央ちゃん:はい!

▲今夜のゲストは、フィギュアスケーターの浅田真央さんでした。「ありがとうございました。」

真央ちゃん:「ありがとう、ございました~!」

女性アナウンサー:
フィギュアスケーターの浅田真央さんのお話、”新しい夢に向かって”でした。
(最後に)音楽です。
浅田真央サンクスツアーのフィナーレでも起用されていた曲です。
「愛は翼に乗って」をお聞きください。
番組終了です。

★浅田真央サンクスツアー 「愛は翼に乗って」


★浅田真央(Mao Asada) 2017 THE ICE 「エレジー・愛は翼に乗って」


★Mao Asada ⛸Thanks Tour 2018

コメント
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