サイコロの一点物日記、真央さんと共に!

浅田真央さんを応援します。そして、指原莉乃さんのファンでイコノイジョイも推してます。特に佐々木舞香さん推しです!

悪夢の平成23年3月11日。福島県の復興には、まだまだ皆さんのお力を貸してください。

平成23年3月11日14時46分18秒東日本大震災発生。 頑張れ!東北。頑張れ!福島。放射能の被害の甚大な福島県をず~っと応援します。◆ふくしま復興ステーション

■懐かしい気持ちで一杯!でも、未だにフィギュアスケートを続けていてくださった事に感銘もあります。

2017年02月15日 00時04分00秒 | 日記と女性アスリート応援













★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ 
浅田真央さんを中心に応援させて頂きます。(微笑)
にほんブログ村
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆



昨日の“蛆虫・・・”で始まるタイトルですがブログ村は何を思っているのか?順位も頂けませんでした。
どうして、蛆虫=フジテレビとばれちゃったのでしょうか?(大笑)
しかし、私も見直して蛆虫・・・で始まるブログって・・・・笑うしかありませんね。恥ずかしや!
失礼いたしました。(微笑)お下品ですけん!



懐かしい方の情報が・・・書き留めたいと思います。
ジュニア選手の時から気になっていた選手の方。
意外に少ない東京の選手として活躍されたのですが、本当に突然と言う事しか言えない状態で姿を消したかた。
当然、連盟の強化選手からも削除されてしまい、検索しても情報が出て来る事は有りませんでした。
一体、彼女に何があったのか?
みなさんもたぶん、「あぁ~知ってる~!」私も好きだったよ~となるほどの愛らしい方。
活躍もありましたからね~、ポスト・・と言うのは嫌いですが今も続けていらっしゃれば、真央さんと一緒に応援させて頂くところだったと思うととても残念な思いをしていました。
それがやはり怪我が原因だったと聞くと、フィギュアスケートが好きなまま諦めるしかないのかと思うと、大好きなものを極めると言う事の難しさを痛感致します。

が、

まだ、フィギュアスケートに関わっていらっしゃる、決してあきらめていなかった事にも感激です。
では、謎の方の情報です。
◆JUKUSHIN.COMより(慶應塾生新聞会)
まだ、大学生?やはりジュニアから活躍された選手は、懐かしく思えても私だけが年を取った感じです。(苦笑)

スケート部フィギュア部門 庄司理紗さん
厳しい寒さが強まる一方で、シーズンスポーツの人気は勢いを増す。冬季ならではのスポーツのひとつ、フィギュアスケートは、世界大会で日本人選手が多く活躍し、今や我が国の得意競技と言えるだろう。そんな日本人の代表として活躍した経験を持つ、体育会スケート部フィギュア部門所属の庄司理紗さん(総2)にインタビューを行った。



庄司さんがスケートを始めたのは6歳の時。「明治神宮のリンクの前を通るたびに『スケートって何?』と母に聞いていました」。小学校受験を控えた庄司さんは、フィギュアスケートについて詳しく知らなかったという。合格発表の帰り道、スケートを始めたいと、抱いていた思いを母に告白した。一度リンクで遊んでみたら飽きてしまうだろう、という母の考えとは裏腹に、スケートの楽しさを味わった庄司さんは、スケート教室に入会した。「はじめは転んでばかりだったけれど、本当に楽しくてずっと続けたいと思いました」。小学校の授業が終わると、帰り道に母から荷物を受け取り、リンクへ通う生活が始まった。

小学2年次からは大会にも出場。2、3歳でスケートを習い始めたライバルが多いなかで、6歳とスケート開始の時期が遅かったものの、めきめきと実力を伸ばした。中学2年の時には、全日本選手権で5位という好成績を残した。「全日本選手権は大物選手が多く出場していて、私のフリースケーティングの滑走順は、浅田真央選手と安藤美姫選手の間だったのを覚えています。当時は極度に緊張しました」と振り返る。

ショートプログラムで4位に入り、フリースケーティングでは最終滑走グループに加わった。浅田選手の演技後にリンクで身体慣らしをしていると、浅田選手のファンがリンクに投げる花が、庄司さんに当たった。その瞬間に、自身も日本のトップ選手たちと同じ、最終グループで滑るのだという実感が湧いてきたという。

中学3年で出場したユースオリンピックが一番印象に残っていると話す庄司さん。日本選手団の一員として公式スーツに身を包み、冬季ユース五輪開催地のオーストリアへ向かった。世界的な大会の出場に加え、選手村では他の競技の日本代表とも交流でき、貴重な経験ができたと語る。高校2年次には、アメリカのコロラド州に1年間滞在し、アイスショーや試合の度に一時帰国しながらスケート漬けの生活を送った。

ここまで順風満帆の庄司さんであったが、高校2、3年次は相次ぐけがに苦しんだ。足の指を疲労骨折し、痛み止めを服用しながら出場した大会もあったという。「日本の代表として選んでいただいている以上、何としてでも試合には出場しようと思っていました」。担当の医師からは運動を控えるように診断されても、アイシングや固定をして痛みを少しずつ和らげ、日本代表として氷上に立つことを諦めなかった。

大学入学後は体育会スケート部フィギュア部門に入部。クラブチームにも通っており、現在は週に6回のリンクでの練習に加え、筋トレにも励んでいる。そんな庄司選手の趣味はパズルと小物のデコレーションと数独。一人で黙々と続けられる作業が好きなのだという。集中力を切らさずに長時間のスケート練習に励めるゆえんだろう。また、食べることが好きだという庄司さん。アスリートとしての栄養摂取は不可欠だが、体型維持のために糖分の摂り過ぎには注意しているそうだ。


庄司さんは大学卒業と同時に、自身のスケート人生にもピリオドを打つと決めたという。引退までに出場する一つ一つの試合でベストな滑りができるようにしたいと今後の抱負を語った。
アスリートとしてのオーラを放ちながらも決して飾らない、温厚柔和な庄司さん。残りの貴重な学生生活で風雨もあろうが、彼女にとって理想的な氷上の演技ができるように、と強く願う。(三谷美央)

怪我や虐めが原因で無ければそれで良いんです。
ご自身の意志で区切りとして見切りをつけるのであれば、今後への希望しかありませんからね。
素晴らしいと思います。

でも、正直、連盟に近い所に居ながらですから嫌な部分を見て来られて事での決断だとも言えるでしょう。
慶應生らしい、賢い判断ですね。
これで私の中でもやもやしたものが少しは晴れた気も致します。
お元気で何よりでした。(微笑)

◆転載先URL:http://www.jukushin.com/archives/27718



最近、あまり聞く事のなくなった日本経済新聞社の“原真子”さん、相変わらずフィギュアスケートを担当されているんですね~。
こちらも懐かしい(勝手に私だけだと思います。)お名前。
良く、以前は、浅田真央さんの記事を書かれておりましたが、シーズンを終えた真央さんの取材はしないと言う事なのでしょうね~?
でも、弟の昌磨くんの取材と有れば、文句はございません。
思う存分、取材に精を出して頂きたいと思います。(微笑)

◆原真子さんのツイートよりご紹介です。
https://twitter.com/nikkei_haramako/status/831437827820785664

スタミナから入るチーム真央だと思いますよ。
スタミナが無ければ良い滑りは成り立ちませんよね~ゆづくん!(笑)
右上のバツ印をクリックしてほかの昌磨くん情報をご覧ください。



また、ロシアの情報を捉えた“そら”さんのツイートもご紹介させて頂きます。
ただ、おいくつになられたのかは、レディーなので勘繰りはいけませんよ!(笑)
https://twitter.com/ayaharuzou/status/831093100747452416



確かに真央さんが左下にいらっしゃいますね。(微笑)




◆浅田真央さん、ほかの皆さんの動画のご紹介です。お付き合いください。
動画主の皆さま、ありがとうございます。ご紹介させて頂きます。(微笑)


★浅田真央 何度も見たくなる演技part2


★浅田真央 何度も見たくなる演技part3


★浅田真央 何度も見たくなる演技part4 得点付き


★浅田真央 何度でも見たくなる演技part5


★「好きこそ、無敵。」スペシャルメイキング映像




いつもご覧頂きまして感謝申し上げます。
今後は不定期な更新となると思いますがよろしかったらチェックをお願い致します。次回にお会い致しましょう!(微笑)

★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ 
今年も真央さんをよろしくお願いします。
にほんブログ村
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ 
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする