週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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不便な便利性

2011-02-23 00:49:18 | ひとりごと

【コンビニエンス】という単語が【便利】という意味だと知ったのは、高校生のときだ。

四半世紀と数年という時を振り返って考えても、世の中、便利になったなぁと、至るところで思ってしまう。

この目で見ることも、この手で触れることもなく。
あらゆる現実と思わしき情報を、コタツに座りながらにして手に入れている。

コンビニの24時間営業が当たり前になり、スーパーの深夜営業も珍しくなくなった。
欲しいものが、欲しいときに手に入る。
身近で手に入れられないものも、ネットで探せば手に入る。

それら全てが便利になったなぁと思うことではあるけど。
じゃあ、小さい頃は不便だと感じていたかと言えば、そうでもない。

それは不便ではなく、当たり前のことだったから。
今では不便と思うことでも、そういうものだと受け入れていたと思うから。

便利になるということは、時間にゆとりができるということだと思ってた。
便利になった分、一つ一つに割く時間が短縮されて、余裕が生まれるはずだった。

けれど、実際は生まれた時間のゆとりのなかに、更なる便利を詰め込んでいた。
結局、時間にゆとりが、あるのかないのか、よく分からない。

そして、便利であることに慣れると、便利でないものが許せなくなっていた。
不便なことに割く時間は無駄なものと、切って捨てる。
切れないものには、怒りを感じる。
便利になる前は、当たり前のことだったはずなのに。
その時間を、楽しむ余裕はどこにもない。

なんとなく、心のゆとりも失われていくような気がした。

便利であるがゆえに、生まれるゆとりもあるだろうが。
便利であるがゆえに、奪うゆとりもあるのだろう。

【便利】とは【自分に都合の良いこと】という意味らしい。
それなら、自分にとって都合の悪いことは楽しめまい。

主体となるのは、いつだって自分。
便利と思うのも、不便と思うのも、すべて自己中心であることから生じる思い。
切って捨てるのは自分だけど、誰かに切られて捨てられている自分もいる…。

いろんな自分を知ることで、生まれるゆとりもあるかもしれない。

ちなみに、【ゆとり】も【余裕】も、その意味を持つ英単語を、この歳になっても知らなかった。
電子辞書を引くと、複数の単語が表示され、どれが即しているのかも分かりづいらい…全くもって不便である。