週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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社会の偏見

2011-02-01 02:15:35 | ひとりごと
最近、龍くんが寝静まった後、レンタルしたDVDを夫婦で観ることが増えました。
先日観たのは、3年前に放送されたTBSのドラマ・『流星の絆』

   

これは幼い頃、両親を惨殺された兄妹3人の14年後の物語。
家を抜け出し、獅子座流星群を見ていた間に両親を殺された兄妹は、流星に両親の敵討ちを誓う。
そして14年後、詐欺師となっていた3人は、時効を目前に偶然手に入れた事件の手掛かりから、真犯人を追い詰め復讐を企てるというストーリー。

「被害者遺族は笑っちゃいけねぇのかよっ!」

悲しい目に遭ったら、ずっと悲しんでいなければ不自然だという世間の目にさらされ続けた長男が発したセリフに、私は数年前の研修会の出来事を思い出しました。

それは自死遺族の方のお話を聞く研修会。
3年前にご主人を亡くされた女性が、大切な人が最期に残した走り書きのメモを嗚咽をこらえながら読み上げて下さいました。

遺族の方が抱えているのは、哀しみだけではない。
自責の念と、社会の偏見。
遺された者は、なんで気付けなかったのかと自分を責め、「あなたが殺したようなもの」と自分に圧し掛かる見えない責任に苛まれる。

報道の網からもこぼれ、知ろうとしない限り気づくことのない悲しみ。
私が目をつむり続けていた現実がそこにはありました。

年間3万人の、そのほぼ100%に近いほど、自死者の葬儀に関わっている僧侶が、1万人のうちの1人でも、自死を防ぐような働きかけができたかを問われれば、自身を省みてただただ恥じ入るばかりの返答しかできないことに、更に恥じ入るばかりの自身を目の当たりにした研修会でした。

そして終了後、立ち去る自死遺族の方を目で追っていると、知り合いに会ったのか、笑い声を上げながら談笑していることに驚きました。
3年前に亡くなった家族を思い出しながら、さっきまで嗚咽をこらえて話していたその方が、なぜもう笑えるのかという違和感を抱いたのです。

そうして、ふと思い出す…その方が言っていた【社会の偏見】ということに。
それは、なぜ笑えるのかと驚く私自身が、その方の言う【偏見】を持つ人間であり、自死遺族の方々を苦しめている【社会】の側の一員だということの証でした。

泣くこともあれば、笑うこともある。
遺された者は、誰にでもあるそんな日常を生き続けなくてはなりません。
笑うことが辛く思える生活を、送らなくてはならなくさせているのは、他でもない私なんだということを、ドラマを見て思い出しました。

『流星の絆』では、兄妹そろって自分が笑うことを許せる結末となったことに一安心。
けれど、これは現実ではないということが、無性に悲しい後味を残したドラマとなりました。