昨日は最乗寺の報恩講法要が営まれました。
お磨きの終わったピッカピカの本堂で、ご一同様と正信偈のお勤めが終わった後、布教使さんによる法話を聞かせていただきました。
神奈川組高願寺ご住職・宮本義宣先生です。
お話はやはり、3月11日の震災に関することでした。
今は葬儀や法事が形式化し、略式化し、簡素化し、果てはしなくなりつつある時代です。
そんな世の中において、被災地で新盆の法要が営まれたときの参加者の言葉が胸をついたといいます。
「生きていくためにケジメがついた」
「これで明日から新しく歩んでいくことができる」
今回の震災で大切な方を失った方々の多くが、その死を受け入れられないといいます。
もちろん、状況を考えれば受け入れられるはずもありません。
そして、その方々の多くが、お葬儀をすることができなかったということに対して、心を痛めていたといいます。
なぜ葬儀を勤めたいのか。
葬儀にどんな意味があるのか。
それは、葬儀が亡くなったことを受け止めるための儀礼だからであり、自分が生きていくためにケジメをつけるということに他ならないんだということに、参加者の言葉から感じたそうです。
だからこそ、葬儀や法事は亡くなった方のために勤めるものではなく、生きている者が生きていくために勤める儀礼なのだということを聞かせていただきました。
親鸞聖人のご命日をご縁とする報恩講法要もまた、私たちがケジメをつけるために750年もの間、毎年毎年営まれ続けてきました。
750回目のこの年に、お参りくださった方はどんなケジメをつけられたのでしょうか。
どうかそのケジメを、来年の報恩講まで大切になさってくださいませ。
皆さま、ようこそのお参りでございました。
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