週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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凡夫のススメ (前編)

2010-07-13 00:34:03 | 法話のようなもの

 ≪7月11日のお経の会での法話より(前編)≫


明日は参議院選挙ですが、皆さんは投票に行かれますか?

私は選挙権を得て10ウン年経つのですが、恥ずかしながら、その権利を行使したのは片手で余るほど…。
なので、政治についてあまり意見を言うことを控えているのですが、それはそれは責任逃れのような感じも否めませんね。
正直、今回も誰が立候補しているのかさえ把握していないのですが、そう言うと母に、

「我が子のことを考えたら…」

というようなことを言われました。
けれど、その言葉を聞いて思ったのですが、そうやって今までの親たちが我が子の将来のことを考えて投票してきたはずなのに、今の社会はどうなんでしょう?

子供にとって良い社会なのでしょうか?
大人にとって良い社会なのでしょうか?
理想を託して投票をして、繰り返された選挙によって、いったい誰にとって良い社会になったのでしょうか?

さあ、どうでしょう?

私の見解ですが、きっと、それぞれの幸せの形が違うということが根底にあるのではないでしょうか。

例えば、親たちが子供の将来のことを考えて投票しても、それぞれが思い描いた理想を託す候補者が、同じ政党の候補者とは限りません。
求めるものが違う人々が、その理想を託して投票する。
けれど、その理想を語った候補者もまた、違う幸せの形を追い求める。

幸せは、そのときそのときの環境や状態によって変わってくるものです。

私も独身時代と結婚後とは考えが変わりましたし、子供を産んでまた変わりました。
当然、男と女では異なるし、言い詰めれば、一人一人が違っていて、その一人一人も歳を経たり、環境が変わったり、精神状態が変わったりすれば、考え方も変わるということです。

そういう中で選挙をして、当選した議員達が決めた法案によって成り立っている社会の中で、全ての人が「良い社会」だと感じることができるのは、なかなか難しいのかもしれません。

そもそも「良い社会」とはどういうものか?

単純に、優遇されていれば「良い社会」と感じるし、優遇されていないと感じれば「良い社会」なんて思わない。

そう感じるか否かは、個人の主観でしかないのに、その主観で社会全体の良し悪しを決めてしまう。
そう考えて、自分の視野の狭さを改めて痛感しました。

             
                                       (後編に続く)


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