もう6月ですね。
あっという間に1年の折り返し地点まできてしまいました。
さて先日のことですが、季語を調べる機会があり、「青嵐」という言葉が目に止まりました。
「せいらん」と読み、意味は「青葉を吹き渡る強い風」。
5月の季語になります。
「青い嵐」と書くので、字面から「青春」というか「若気のいたり」というか、なんとなく青臭い意味を想像してしまった私。
けれど、とっても春らしい清々しい意味だったので、自分のほんの少し爛れた想像が急に恥ずかしくなってしまいました。
浄明会館の2階からの眺めです。
最乗寺の境内の中で、イチョウの全貌を見るのに一番適した場所になります。
今日は風が強く、でも木々を通り抜けた清々しい風が心地の良い一日でした。
会館に吹き込む風に、きっと「青嵐」とはこういうことをいうのかなと、6月になって体感しました。
言葉とは便利なもので、実際には知らないことも、意味や説明された内容を想像することで擬似的な体験をし、あたかも経験したかのように頭の中で整理されていってしまうことがあります。
「なんとなく分かる」という想像から出発して、「こういうことでしょ」という断定に到着する。
青嵐も「なんとなく分かる」いった感覚で、実際に人前で使ってしまった言葉です。
たぶん、言った瞬間は「こういうことでしょ」と、さも体感したかのような気持ちだったはず。
でも、今日の風に吹かれて、言葉で分かることと、身体で分かることとの違いが、気持ちがいいくらいストンと腑に落ちました。
その気づきは、きっと当たり前のこと。
けれども、当たり前すぎるから、立ち止まれないこともある。
だからこそ、立ち止まらせていただいた今日のご縁に感謝です。