道の駅あかいがわの前に彫刻があります。
馬鉄
馬鉄の歴史
大正6年頃から、轟鉱山より採掘される鉱石運搬のため、仁木町銀山駅までは
馬車鉄道(馬鉄)が活用された。「冬期外は馬鉄でトロッコを、冬は馬ぞりを
使用し箱詰めにした鉱石を休むことなく運んだ」という。馬鉄は銀山道路(現
在は道道仁木赤井川線)に沿って敷設されていたが、都小学校の裏から対岸
(南側)の山際にかけて釣り橋を掛け余市川を渡った。トロッコは、傾斜の急
な明治地区の木戸口や尾根内地区の稲見の坂では惰性がつき、ブレーキが難しく
事故もあったため、初めは二連繋ぎであったがそのうち大きい一連に変わった。
「行きは真っ黒な鉱石を積み(とても高価であったことから覆いを掛け監視員も
付けていたという)、帰りは坑木・機器類・米等の食料品を運んだが時には鉱山
関係者やその家族も乗っていた」という。
轟鉱山は、北海道でも最も古い金山の一つで、明治後期から採掘され昭和初期に
最盛期を迎えた。総産出量は、金については歴代第6位であり、銀については歴
代第4位の地位を占めていた。
本銅像は、開村120年を記念して設置するものであり、過去の歴史を未来に繋げる
事を目的とするものです。
令和元年6月10日
赤井川村
道の駅あかいがわ
余市郡赤井川村字都190-16
道の駅あかいがわから、さほど離れていないところに赤井川村立都小学校が
あります。
本来ならここに彫刻があるはずでした。画像は北海道デジタル彫刻美術館から
拝借しました。
この台座の上です。
足がもげたような跡は残っています。
敷地内に石碑あり。
中央に大きく「赤心」と書かれ、横に白字で
「赤心を推して人の腹中に置く」とあります。
あと敷地内のライトがなかなかおしゃれでした。
赤井川村立都小学校
余市郡赤井川村字都113番地