犬山城のつづきです。

奥が 武者隠しの間 手前が上段の間

殿さまが使用した部屋で、床が一段と高くはられ、この部屋だけが猿頬天井が貼ってありこの城の最上の室となっています。
この奥に武者隠しの間があり、殿さまを守る武士が待機しておりました。

国宝犬山城
製作者 伊佐治保

納戸の間

解体骨組み模型1/10

上に行くほど狭くなっているので、階段を上るのにも待機時間ができます。

破風の間

ここは4階で高欄の間といいます
廻縁からの展望は素晴らしく戦国時代の見晴らし台及び司令塔であったとみられます、また、対岸は美濃の国で、自然の断崖という天然の防備を持っています。

いよいよお外が見られます。

風は強いし、床は傾斜しており、とても怖い。

たぶん、雨が自然に落ちるように、床に傾斜を持たせているのだと思う。

手すりも低くて、うっかりしたら落ちそうです。

でも絶景です。

景色はとてもきれい。

昔のお殿様も、この景色をみていたのね。

いっぱい写真を撮ってきました。

犬山城は、室町時代の天文6年(1537)頃に織田信長の叔父・信康が築城したといわれています。
天守は現存する日本最古のものです。

扇状地である濃尾平野の扇の要に位置し、天守最上階からの眺めはまさに絶景です。
周辺には木曽川や犬山城下町の古い町並み、明治村等の多くの観光施設があります。

信長・秀吉・家康がそれぞれの時代に犬山城を手にしたことで
天下人への道を切りひらきました。

9代目の正肥(まさみつ)の時代に、江戸幕府が幕を下ろし、時代は明治へ。廃藩置県によって、犬山城も天守を残してほとんどの建物が壊されました。しかし、それから20年後に濃尾地震で天守が半壊。廃城という話も出たものの、城下の人々の「犬山城を残したい」という嘆願があり、愛知県が成瀬家に修復を条件に無償で払い下げました。

無償とはいえ、その修復費は当時で4500円。現代の貨幣価値にして数億円になったといいます。成瀬家が奔走して集めた資金と、犬山町民の義援金により、無事に修復されて今日にその姿を残した犬山城。

全国唯一の個人所有の城として保存されてきましたが、平成16年(2004)、「財団法人犬山城白帝文庫」の所有となって現在にいたっています。

個人で所有し続けるのは大変な苦労があったとのことで、私財をなげうって城の保存をしてきました。

財団法人化されたのは成瀬家の悲願でした。

成瀬家以前の城主

初代~3代目

4~6代目

7~9代目

10~12代目
犬山城
愛知県犬山市犬山北古券65-2