いつもながら寝姿がかわいいマシロちゃん。
かわいい写真を載せるとマシロばかりになってしまうので、たまにモン太も・・と
思うけど、高い所でふんぞり返って偉そうにしています。
まんまるマシロちゃん。かわいい。
別の日。もっとまんまるマシロちゃん。
あんまり丸くないモン太くん。どうもあんまりかわいくない。
うにゃうにゃマシロちゃん。寝起きのマシロちゃんもかわいい。
いつもながら寝姿がかわいいマシロちゃん。
かわいい写真を載せるとマシロばかりになってしまうので、たまにモン太も・・と
思うけど、高い所でふんぞり返って偉そうにしています。
まんまるマシロちゃん。かわいい。
別の日。もっとまんまるマシロちゃん。
あんまり丸くないモン太くん。どうもあんまりかわいくない。
うにゃうにゃマシロちゃん。寝起きのマシロちゃんもかわいい。
神奈川県 大井町 マンホールカード
大井町の木「キンモクセイ」を背景に町の鳥「メジロ」を描いたマンホール蓋
で、1986年から使用されています。メジロは春に梅や桜の密を採取する姿が見
られることから、春の訪れを告げる鳥として親しまれ、1986年に町の鳥に制定
されました。一方のキンモクセイは、1974年に町の木として制定されたモクセ
イ科の常緑樹で、甘く強い香りを放つ花を咲かせるのが特徴です。ちなみにキ
ンモクセイといえば、日本でまだ汲み取り式トイレが主流だったころ、トイレ
の近くに植える家庭が見られました。これは、便槽から嫌な臭いが漏れること
が多かったためで、その防臭にキンモクセイの強い香りが効果を発揮したので
す。
大井町役場 で配布しています。
夕食はやっぱり室蘭やきとりでしょう!とやきとり吉田屋を訪ねました。
日が長いのでまだ明るいです。
まずはビール。
吉田屋とは
昭和21年、この町室蘭で働く人たちに、美味しいやきとりを食べさせて
あげたい・・・
との思いで創業されました。
現在はおかみさんが、この暖簾を守り続けている小さなお店です。
・焼鳥であるが 豚肉であること
・長ネギではなく 玉ねぎがはさんであること
・和風ていすとであるが 洋がらしで食べる
そして豚肉、玉ねぎ、洋がらしが三位一体となり、ひらがなで やきとり
と書いて初めて 室蘭やきとり
カウンター席でしたが、
小上がりもあります。
豚精肉のタレと塩
鳥精肉とレバー
つくね
室蘭と言えばラーメンサラダなんだそうで、ラーメンサラダを注文。
うずらのたまご
揚げだし豆腐とかモツ煮込みとか出てました。
安くてボリュームがあって人気のようです。
甘めのタレが私好みでおいしかったです。
やきとり 吉田屋
室蘭市中央町2丁目3-6
北海道デジタル彫刻美術館で検索して室蘭市室蘭新道汐見トンネル山腹しか
わからず地図情報も場所もよくわからないまま国道235号線を走らせました。
探すのにとても苦労しました。
中国人殉難烈士慰霊碑
高橋昭五郎
この碑は第二次世界大戦中室蘭地方で殉難した中国人烈士の慰霊碑で1972年
9月の日中国交回復を記念し日中両国の永久的友好と世界の永遠の平和の願い
をこめて市民の手により再建立されたものであります
室蘭市長 長谷川正治書
水仙がとてもきれいに咲いていました。
大きな彫刻ですが、柵に囲まれており、写真が撮りづらいのです。
室蘭地方中国人殉難烈士
慰霊碑再建立期成会
創作者 高橋昭五郎
昭和49年9月29日建立
場所的には(株)カネサン佐藤水産の建物の隣。
右手、山腹に三角の彫刻が見えます。
彫刻から見て、国道がちらっと見えていて、奥に室蘭栄高校が見えます。
反対側は海です。
国道沿いにある(株)カネサン佐藤水産の駐車場です。
この標識がわかりやすいかと。国道235号線から36号線と37号線に分岐するところです。
(株)カネサン佐藤水産
室蘭市東町3丁目31-1 隣
室蘭市中島町。奥に見える白い建物がMEGAドンキです。
中島町はくまなく彫刻を探索したつもりだったので、撮り漏れがあってびっくりです。
清流も
確かに川の流れのように見えます。
見つかってよかった。ってかどうして前回見逃したんだろう?
高橋昭五郎
公園の角地にありますが、木が茂っていて弱冠見つけにくいです。
向陽公園
室蘭市中島町1丁目20
入江競技場が工事中のため、彫刻がブルーシートに覆われており、室蘭市
の彫刻は制覇できないままです。
何回室蘭市に行けば制覇できるんだろう・・
北海道デジタル彫刻美術館によると室蘭市児童図書館前に彫刻があることに
なっているが、児童図書館が検索しても見つからず、とりあえず図書館の裏
手の駐車場側に来た。
あ、よかった。ちゃんとある。
はぐくみ
高橋昭五郎
優しさと愛情がにじみ出ている作品です。
今回の散策は、洞爺湖町の安田侃の彫刻を見ることを企画して、それだと
もったいないので、室蘭市の撮り漏れの彫刻を巡ることになった。
なにしろ近隣の洞爺湖町や伊達市、壮瞥町はたぶん全部回ったと思われる。
高橋昭五郎は室蘭市出身の彫刻家なので、室蘭市に彫刻が多いのですが、
今回撮り漏れの作品がほとんど高橋昭五郎だったのは不思議な感じがしました。
こちらが正面になります。
みなとまち散策路
大正10年室蘭区教育会の図書館として発足した、近隣でも長い歴史を持つ図書館
施設です。戦前・戦後の混乱による度重なる移転、昭和33年日本製鋼所室蘭製鋼
所からの寄附をもとにした整備を経て、令和3年に科学館と合築してリニューアル
しました。一般図書・児童書はもとより、郷土資料も豊富に収蔵しています。
(クリックしたら大きくなります)
えみらん DENZAI環境科学館 室蘭図書館
室蘭市本町2丁目2-1
次も北海道デジタル彫刻美術館で検索して、室蘭市常盤児童公園(保育所隣)
とあるが、常磐公園が見つからず、悩んでとりあえず常盤保育所に来たら、
向かいに公園があり彫刻を見つけました。
隣に武揚体育館があります。緑の屋根の建物です。
しあわせの像
高橋昭五郎
剣のような様相。
古いのかな。台座が欠けています。
モン・パリ栄町公園とあり、住宅分譲の際や、住居表示の変更の際に名前が
変わったのかな?と思ったら、
株式会社菓子工房モン・パリ が年額22万円でネーミングライツ契約したとのこと。
期間は令和3年10月18日~令和6年9月30日までなので、次回の訪問では名前が変わって
いる可能性あり。
モン・パリ栄町公園
室蘭市栄町2丁目3
旧室蘭駅舎は明治45年に建造され、北海道内の駅舎の中では最古の木造建築物です。
現在は観光案内所として使用されています。
齊藤靖則「炭鉄港」模型展が開催されていました。
齊藤氏はこれまで17年以上にわたり、80点近くの炭鉱関係施設や鉄道、学校など
の模型を作り続けている元炭鉱マンです。今回の作品展では、自身の記憶と写真
をもとに忠実に実物を再現した作品の中から、旧室蘭駅舎を含む炭鉄港関連の
模型18点を展示しています。
住友奔別炭鉱立坑櫓
戦前に建てられた長屋
北炭幌内工業所倶楽部
旧日本専売公社倉庫石蔵
北炭幾春別炭鉱錦立坑櫓
切羽運搬機
室蘭ジオラマ
弁慶号
手宮高架桟橋
住友奔別炭鉱ホッパー(選別場)
室蘭市旧室蘭駅舎
旧幌内線唐松駅舎
旧北海道炭礦鉄道岩見沢工場材修場(JR北海道允和三沢レールセンター)
建物の外には、D51 560 が展示されています。
旧室蘭駅舎
室蘭市海岸町1丁目5番1号
室蘭市白鳥台北公園です。
防災用の備蓄倉庫や避難広場、健康づくりに最適な健康遊具やウオーキング
コース、子どもの好奇心を誘う大きな複合遊具などがあり、子どもからお年
寄りまで、多くの人が集まる公園です。
敷地内に彫刻があります。
あけぼの
豊田正登喜 成重恒夫 田口香苗
中学生がいっぱいたむろしていて、よけてほしいなぁ・・と思うけど、全く
移動する気配もなく、公園だし仕方がない。
桜の名所としても有名な公園とのこと。
室蘭市白鳥台北公園
室蘭市白鳥台3丁目
室蘭市チマイベツ浄水場です。
知利別浄水場は近年の人口減少・給水量減少傾向に対応するため平成19年
4月から運転を休止しています。
池がとってもきれいでした。
敷地内に彫刻があります。
福岡幸吉氏元室蘭市長頌徳碑
高橋昭五郎
明治5年トキカラモイに港が開かれてから誕生した室蘭は、河川や伏流水に
恵まれず、わずかな湧水と井戸水に飲料水を頼っていました。その後、人口
増加に伴う水の絶対量不足や衛生状態の悪化が顕著となり、町民からの水道
整備要求が高まりました。
これを受けて、町(市政施行大正11年)はすでに専用水道を布設していた
日本製鋼所と分水契約を締結し、これを水源とする町独自の水道建設に踏み
出しました。大正3年に内務大臣大隈重信(当時)の認可を受け、大正4年
5月14日着工、大正5年1月1日に全国35番目、全道4番目の水道として給水を
開始しました。
その後、市の発展に歩調を合わせるように第4期に及ぶ拡張事業を行い、
昭和15年にチマイベツ浄水場、昭和32年に知利別浄水場、さらに昭和42年
に千歳浄水場がそれぞれ運転を開始し3浄水場体制が確立しました。
室蘭市チマイベツ浄水場
室蘭市石川町282番地1
おまけ 彫刻どうなったなか?と入江運動公園に行ってみる。
まだ完成していない。彫刻3点はブルーシートに覆われたまま・・・。
ちょうどさくらがきれいな時期でした。
室蘭編 完結できない。
ラーメン専門店 味の大王 室蘭本店 に来ました。
2回目の訪問になります。室蘭に行くと決めてから、カレーラーメンしか考えられなかった。
相変わらずの激込み。
でもタイミングよくすぐに席に案内されました。
新聞記事が貼ってありました。クリックしたら大きくなります。
メニューは塩ラーメン、正油ラーメン、味噌ラーメンとありますが、注文の
ほとんどがカレーラーメンです。
自家製熟成ちぢれ麺と隠し味が冴える秘伝のスープ
ラーメン専門店 味の大王 室蘭本店
室蘭市中央町2丁目9-3
店の前にあったマンホール蓋。
絵は道庁赤れんが庁舎ですが、室蘭建設管理部と書かれています。
ちなみに自宅近くのマンホール蓋には札幌土木現業所と書かれています。
JR母恋駅です。
昼食候補に駅弁母恋めしもあったのですが、
売り切れでございました。
おまけ 車を走らせていると、
サッカーボールが見えてきました。
muroran gas と書かれています。こういう遊び心のあるものが大好きです。
洞爺湖町の金比羅火口災害遺構散策路の中に彫刻があります。
行ったときは、先客の団体旅行客がおりました。
誰もいなくなってから写真を撮り直しです。
北海道教員保養所跡地
ゆかりの碑
無何有の境にありし友ら
この地を永久のふる里とし
湖畔の像「回生」と相結び
ここに碑を建立する
これがお目当ての彫刻です。
ゆかりの碑
北海道で結核性疾患にかかった教職員を療養させるサナトリュームとして、昭和
18年に開設された北海道教員保養所がこの周辺に建っていました。昭和40年代
には教員にかぎらず、道職員のほか入所者枠を広げ、また全道の小・中学生の病
弱生徒療養施設として「みずうみ学園」を併設し、退所復帰研修の場としても効
果をあげていました。しかし昭和52年の有珠山噴火で全員避難、昭和53年泥流の
直撃を受けてこの地での再会を断念しました。
昭和58年、患者・地域住民を含む関係者一同が「教員保養所ゆかりの会」を組織
し、この地で死と再生の明暗を越えた多くの人達の思いを刻むため、美唄市生ま
れ、イタリア在住の彫刻家安田侃氏に「ゆかりの碑~後に回生」の制作を依頼し
ました。現地調査に訪れた安田侃氏は、最終原案に込める思いをこう綴ってゆか
りの会事務局に送っています。「病気を克服した人々が押したり、さわったり、
よしかかったり、生きている喜びを身体で感じられるような、そんな石の魂を追
い求めてきました。そして湖畔には歩けぬ友を背に負った療友の姿が浮かんで消
えないのです。湖畔の碑「回生」も跡地の碑「ゆかりの碑」もどちらも欠くこと
ができません二点で一作品のつもりです。
2000年噴火でこの「ゆかりの碑」も熱泥流の直撃を受けたのですが、奇跡的にな
んの損傷も受けずにこの地に鎮座していました。
熱泥流に耐え、奇跡的に無事だったとのこと。
大理石だから丈夫なのだろうけど、損傷しなくてよかった。
上部に少し破損した後があるけど、被害は最小に抑えられたのでしょう。
下の方にも破損の跡があるけど、積雪地だし経年劣化かもしれません。
これで洞爺湖町は完結(たぶん)
金比羅火口 災害遺構散策路
北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉142-5
洞爺湖町の金比羅火口災害遺構散策路です。
前回はコロナの為閉鎖中で、再度訪れた際は冬季休業中で、今回は3度目の
正直になります。(画像はクリックしたら大きくなります)
お目当ては野外彫刻なのだけど、災害遺構の写真もたくさん撮ってきて
埋もれるには惜しいので、先に載せることにしました。
これは道路が破損したのか?と思ったら、
流れてきた橋
2000年3月31日、約1km先の西山山麓で噴火が始まり、翌日には、ここ金比羅山西
麓でも噴火が始まりました。この噴火では60個以上の火口ができたり消えたりし
ながら、噴石や火山灰を噴出し、建物や道路に被害を与えました。
高温の水分と火山噴出物が混じりあった熱泥流は、金比羅山麓に作られた流路工
(泥流をながすための人工河川)に沿って流れ出しました。しかし、やがて熱泥
流は流路工からあふれ出し、国道にかかっていた「木の実橋」と「こんぴら橋」
の二つを押し流します。この「木の実橋」は元の位置から90m程流されて公営住宅
「桜ケ丘団地」に激突し、さらに60m程流されてここで止まりました。泥流はさら
に周囲の住宅や公営浴場「やすらぎの家」を埋め、現在の洞爺湖ビジターセンタ
ーの位置にあった洞爺湖温泉小学校の校舎にも流れ込みました。
橋が流れてきたんだと!びっくり。
金比羅散策路は子どもが小さいときに来ていると思うのだけど、全然記憶がない。
(何しろ洞爺湖は毎年夏休みに来ていたので)
やすらぎの家
この「やすらぎの家」は町営温泉浴場として昭和63年に建てられました。2000年
噴火の前年に改修したばかりで、地元の人達と観光客が楽しく交流していた場所
でした。
2000年噴火では金比羅山の斜面に次々と火口が形成され、白煙を上げながらの噴
火が続きました。噴出物は熱泥流となり流路工(泥流を流すための人工河川)に
流れ出しました。これにより温泉街全域への被害は軽減されましたが熱泥流の勢
いは収まらず、ついに数日後には流路工からあふれ出し、「やすらぎの家」の周
辺にも押し寄せました。今でも壁には泥流のしぶきがそのまま残り、建物の内部
は約1mもの厚さで泥流に埋もれています。さらに屋根には多数の噴石の跡を見
ることができます。
現在ここは、より安全なまちづくりのため、泥流が発生すると一時的にため込め
る遊砂地を伴う「砂防施設」になっています。平常時には噴火遺構公園として噴
火の実情を後世に伝え、減災に繋げるために、被災当時のまま展示しています。
泥流で埋もれて天井が低くなっているのがわかります。
自動販売機が倒れています。温泉だからポカリスエットとか売れるよね。
コインロッカーかな。
これは大浴場ですかね。
次の建物です。
桜ケ丘団地
この建物は、3棟並んでいた公営住宅のうち、噴石と泥流の被害が大きかった1
棟を保存したものです。山側から見ると1階部分が泥流に埋もれているのがわか
ります。2000年4月1日からはじまった金比羅山西麓の噴火では、ここから500m程
のところにある火口から、噴石や火山灰などが噴出しました。住民は事前に避難
していたため無事でしたが、この周辺の建物や道路には、噴石が多数落ちてきま
した。建物の左側の壁面に残る大きな傷は、熱泥流によって流されてきた「木の
実橋」がぶつかった跡です。避難命令は約1年3か月後に解除されましたが、1階
部分は泥流と堆積した火山灰によって埋もれ、家財道具も取り出せないままにな
ってしまいました。
次回の噴火に備えた砂防施設を建設するにあたり、噴火の実情を後世に伝え、減
災に繋げるために、被災当時のまま保存展示しています。
流れてきた橋がぶつかった跡だと思うのです。
1階部分は泥流で埋もれ、家財道具も取り出せなかったとのこと。
避難生活も長くなり不安だったでしょうね。
上の階には木が生えていて、植木だったのか、種が飛んできたのか・・。
金比羅火口 災害遺構散策路
北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉142-5