サバ奈子

むかし猫ブログ、いま趣味ブログ

夕張市 野外彫刻 その2

2022-08-04 05:36:38 | 野外彫刻

夕張市石炭博物館の前の彫刻です。
鎮魂の像 佐藤忠良
前回来た時に頭が切れてしまって悲しかったので撮り直してきました。

石炭博物館の受付カウンターです。
背景には、東京の日本炭鉱労働組合(炭労)本部の炭労会館ビル玄関にあった
「炭労レリーフ」があります。あとで検索して知ったので、事前にわかって
いれば、もう少し近くで撮ってきたのだけど。

ロビーに油彩があります。

切羽
小林政雄
1957年 100号F 油彩

小林政雄 1918-2010
東京都に生まれる。夕張工業学校を卒業後、北炭夕張炭鉱・新夕張炭鉱・
清水沢炭鉱で測量員として勤務。
前田寛治洋画研究所で学んだ木村礼輔が設立した夕張美術協会に参加。
第5回炭鉱絵画展で通産局長賞を受賞。1950年、畠山哲雄らとともに瀝青会
を設立する。
自身は採炭・掘進など直接員ではなかったものの、坑内測量作業に従事して
いた小林もまた、切羽で繰り広げられる戦いを目の当たりにしてきたヤマの
男である。その経験をもとに描かれた作品は、炭鉱の力強い印象を宿している。
代表作の〈切羽〉は、肉体労働に従事する人々が、暗闇に浮かび上がる様を
荒々しい筆致で描かれている。作品はどれも鋭角的な直線し、ルオーを思わ
せる黒い輪郭を用いて、目の前の炭鉱風景を平面的に再構成する特徴がある。

地下展示室に彫刻のレプリカがあります。

採炭救国坑夫の像(レプリカ)
この像は、太平洋戦争下の1944(昭和19)年に、軍需生産美術推進彫塑班の中村
直人(なおんど)らにより制作された、セメント彫塑のレプリカである。
オリジナルは、石炭大露頭前に存在する。
像のモデルは、当時の北炭夕張鉱業所の竹鶴可文(よしふみ)所長。ニッカウヰ
スキーの創業者、竹鶴政孝の兄である。
同種のセメント彫塑は、全国の主要な炭鉱・鉱山・油田で制作されたが、戦時中
の粗悪な資材によって制作されたこともあって、現存しているものは少ない。

前回来た時は、有料エリアには入らなかったので、彫刻の存在を知らず、
撮ることができなかったのだなと思いました。

建物の外にある、本物の彫刻です。

採炭救国
当時は国策として石炭採掘が奨励されたので、このような像がつくられました。


採炭救国坑夫の像
この像は、軍需生産美術推進隊彫塑班の二科会員中村直人らと地元協力者によ
って、炭鉱産業に従事する人々の激励と慰問のために、昭和19年6月29日北炭
夕張炭鉱所前庭に建てられたものである。


当時は、製作資材等が乏しいうえ、設備一つない屋外で、わが国彫塑会はじめて
の試みという現地製作に取り組んだが、何しろ大塑像(3.63m)を一週間で、
しかもコンクリートによって作るだけに非常な苦心であった。

戦後「進発の像」と呼ばれ、炭都夕張のシンボルとして市民に親しまれ、技術
的にも美術的にも価値のあるもので、昭和60年12月現在地に移転したものである。
夕張市指定文化財(第4号) 昭和62年3月9日指定
夕張市・夕張市教育委員会

製作者
軍需生産美術推進彫塑班
中村直人
古賀忠雄
圓鍔勝二
木下繁
昭和19年6月25日
夕張鉱業所

夕張市石炭博物館
夕張市高松7番地 

コメント
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