縄文人の反乱 日本を大事に

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●屏風(びょうぶ)●衝立(ついたて)●紋章学(もんしょうがく)

2012年11月10日 23時19分21秒 | 色んな情報
●屏風(びょうぶ)●衝立(ついたて)●紋章学(もんしょうがく)
★びょうぶ びやう― 0 【▼屏風】三省堂 大辞林
木の枠に紙・絹を張ったものを二枚(あるいは四枚、六枚)連ねて折り畳めるようにした室内用具。部屋を仕切ったり、防風・防寒用とともに、絵や書を書いて装飾用ともする。中世以後、二つを一双として組み合わせ、関連する図柄を描いた。[季]冬。《ともしびを剪れば明るき―かな/富安風生》
» (成句)屏風と商人は直にては立たぬ
室内で、風避けまたは装飾に用いる具
★びょうぶ〔屏風〕 人形辞典
風よけ、または装飾のために室内に立てて用いる道具。
ひな段では親王のうしろに飾り、種類には二曲、三曲、四曲、六曲、八曲などがある。また、加工法には金沢箔、絹地箔押し、絹目押し、梨子地などがある。
★屏風 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 http://p.tl/KoUq  http://p.tl/fs2v
屏風(びょうぶ)とは、部屋の仕切りや装飾に用いる家具のこと。小さなふすまのようなものを数枚つなぎ合わせて、折りたためるようにしてある。「風を屏(ふせ)ぐ」という言葉に由来する。
★屏風歌  http://p.tl/VfZ7
屏風に描かれた絵画にあわせて貼(は)られた色紙形に記された歌。平安時代、唐絵(からえ)屏風に漢詩を添えたのに倣って、倭絵(やまとえ)屏風には歌が付されるようになり、900年代前半(延喜(えんぎ)~天暦 ...

★衝立(ついたて) http://p.tl/Gqqo
日本の家屋(とりわけ、伝統的家屋)で用いられる、パーティション(間仕切り)用家具の一種。襖障子・板障子・組子などといった障壁に使える物に台脚を取り付けることで自立する調度品に仕立てたもので、屋内にて、間仕切り、目隠し、風除け、装飾性・芸術性などを目的に用いられる。
玄関口に置かれる場合、ここでの役割の第一は目隠し目的の壁、すなわち、客の視線が奥の室内に直接届くことのないよう遮る壁であるが、それに加えて、訪問者が最初に目にする屋内の調度品であることから、もてなしに相応しい美が期待されるものでもある。
巨木の切り株や埋木(例えば、屋久杉の土埋木)を元に仕立て上げた衝立などは、本来の目的からすれば重量が過ぎておいそれとは持ち運べない大型家具が多いが、美の演出に主眼を置いたこのような衝立の事例も少なくない。なお、現在では伐採が禁止されていることから、屋久杉の衝立はそれが盛んに生産されていた当時(おおよそ20世紀半ば以前)以上に稀少で高価[2]なものとなっている。美的価値の高い石や鍾乳石を板状に加工して衝立に仕立てたものもある。
★硯屏(けんびょう) http://p.tl/h3La
日本で書を行う際に硯の脇に置く、小型の衝立、あるいは、衝立によく似た形の小さな用具である。風による塵・埃が硯に入るのを防いだり、風で墨が乾くのを防ぐために用いられてきたが、現代では色紙などを飾るための調度品として用いられることが多い。主要な材としては木製と陶器製が多く見られる。
★土埋木(どまいぼく) http://p.tl/Qxqj
天然スギの伐採が終了した現在、土産物などの加工に使われている屋久杉は土埋木と呼ばれる物である。伐採の跡の切り株や台風などで倒れた倒木も含まれる。

★パーティション (曖昧さ回避) 『ウィキペディア(Wikipedia)』 http://p.tl/Y6pS
パーティション(Partition)とは「仕切り」、「分割」あるいは「仕切ること」。また「分割された部分」のこと。
・部屋の仕切り、衝立、間仕切り。あるいは、仕切られた空間を指す。
・紋章学においては、紋章の背後にあるフィールドの分割について指す。→パーティション (紋章学)
・ハードディスクを論理的に分割すること。あるいは、ハードディスクを分割した部分を指す。→パーティション
・コンピュータシステム全体を論理的あるいは物理的に分割して使用すること。あるいはその分割した部分を指す。→仮想機械
・データベースを分割した部分を指す。⇒分割 (データベース)
・集合の分割
・イギリス領インド帝国が1947年にインド連邦 (ドミニオン)とパキスタン (ドミニオン)に分割されて独立した事件。⇒インド・パキスタン分離独立

★パーティション (紋章学) http://p.tl/Rboa
紋章学における背景部分であるフィールドの分割のことである。
一部の分割はチャージと区別のつきにくいものもあるが、これらはまったく別のものとして扱われている。

★紋章学(もんしょうがく、英: Heraldry) http://p.tl/jdTB
中世ヨーロッパ以来貴族社会において用いられてきた、氏族・団体・地方の紋章の意匠考案や紋章記述を行う慣習であり、また、この紋章を様々な共通点又は相違点から整理・分類することによって体系化し、そこからその意義や由来を研究する学問である。
「ヘラルドリー (Heraldry) 」という英単語には、日本では「紋章学」などの言葉が訳語にあてられることが多い。しかしheraldryの概念は本来学問にとどまるものではない。一般的には、紋章官 (officers of arms) の職務と責任にまつわるさまざまな事案をさすし、最も広く捉えるなら、コート・オブ・アームズ及びヘラルディック・バッジ (Heraldic badge) の意匠・図案を考案、表示、記述、記録する人の営みである。この概念は「歴史速記術 (the shorthand of history) 」とか「歴史の庭をふちどる花壇 (the floral border in the garden of history) 」[3]など、さまざまに形容されてきた。
本項は「紋章学」を項目名とするものの、学問にとどまらず、ヘラルドリーのさまざまな側面を記述する。そのため、客観的な研究の主題としてのヘラルドリーを「学問としての紋章学」と呼び、人の営為としてのヘラルドリーを「慣習としての紋章学」と呼ぶ。
★Category:紋章学  http://p.tl/Rll5

●他力本願(たりきほんがん) ●自力本願(じりきほんがん)

2012年11月10日 21時45分28秒 | 色んな情報
●他力本願(たりきほんがん) ●自力本願(じりきほんがん)
★たりき-ほんがん ―ぐわん 4 【他力本願】三省堂 大辞林
(1)〔仏〕 弥陀の本願の力に頼って成仏すること。
(2)他人の力に頼って事をなすこと。他人まかせにすること。
「―では成功は望めない」
★他 力 本 願  :『Wiktionary』
四字熟語
1.(仏教)阿弥陀仏の願い(本願)即ち他力のみに頼り、浄土へ往生することを願う信仰の態度。親鸞以来、悪人正機と並んで浄土真宗における中心的な考え。対義概念は自力。
2.(1.より転じて)他人任せで自分の望みを叶えようとする事。自分で努力をしないことから否定的な意味合いをもつ。会話等で広く用いられる意味であるが、マスコミ他公共の場においては、この用法は、浄土真宗の思想を誤解させるものとして使用を控えるよう求められる。
  この十五代将軍は一人立ちのできない策士の見本である。三好松永を覆滅して足利家再興のため、終生他力本願、専ら人の褌を当にして陰謀小策を終生の業(なりわい)としたのである。(坂口安吾『二流の人』)
・関連語
  悪人正機
  絶対他力
  本願誇り
★たりき‐ほんがん〔‐ホングワン〕【他力本願】 大辞泉
1 《他力(阿弥陀仏)の本願の意》仏語。自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。浄土教の言葉。
2 《誤用が定着したものか》俗に、自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。
★他力本願(たりきほんがん) http://p.tl/Gto6
1.仏教用語で、阿弥陀仏が衆生を救済する本願のはたらき。浄土教・阿弥陀信仰の根本となる教義である。#用法1を参照。
2.人まかせ、他人依存、成り行き任せの意。#用法2を参照。
双方とも『大辞林』・『広辞苑』などの辞書に採録される語意である。
本来の意味が用法1の意味であることに異論を示す資料は見られないが、用法2の意味については『岩波仏教辞典』では「語の本来の用法からして誤解である」、『大辞泉』では「誤用が定着したものか」と記載される他、『大辞林』のように意味の生じた経緯等について特に触れない辞書もある。また、『新明解四字熟語辞典』のように、用法2の意味のみを語意として記載した後に「本来は~」として用法1の意味を解説する辞書もある。
★他力本願(たりきほんがん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
他力とは自己を超えた絶対的な仏の慈悲(じひ)の力(働き)、本願とは一切衆生(いっさいしゅじょう)の救済を約束する仏の願いをさす。他力本願と熟字するときは、他力である本願ということで、他力がすなわち本願(力)である。このことばは真宗の教えを示す重要な基本用語として用いられるが、本願他力というのが一般である。親鸞(しんらん)は「他力とは本願力なり」と規定し、一切衆生の救済はこれによって成立することを明らかにした。現今、なにも努力しないで他人の力に頼ることを他力本願といっている場合がみられるが、これはまったく誤用である。 [ 執筆者:瓜生津隆真 ]
★他力本願(たりきほんがん)の意味・語源・由来を解説
【意味】 他力本願とは、自分では何もせず、他人の力に頼って事をなすこと。他人任せにすること。
【他力本願の語源・由来】
他力本願は、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人によって広められた仏教語。
「他力」は「自力」の反意語となるが、ここでは「阿弥陀仏の力」を意味する。
「本願」は阿弥陀仏が善悪を問わず、生命のある全ての存在を極楽浄土に往生させようとする誓願のこと。
つまり、「他力本願」本来の意味は、自分の修行の力ではなく、阿弥陀仏の本願の力によって成仏することであるが、誤用から他人の力をあてにする意味で使われるようになった。

★浄土真宗講座|他力本願と親鸞聖人|浄土真宗 親鸞会 http://p.tl/Ijij
★他力本願 生かされている私  http://p.tl/icAs


★自力本願 ・日本(にほん) - 文化  http://p.tl/oH61
... 後生を阿弥陀(あみだ)の浄土に期待する信仰がおこり、さらに自力本願の禅、法華(ほっけ)(日蓮)などの宗派が誕生する。ここで早く西洋のプロテスタンティズムに対応する思想的な動きが認められる。 ...

●日本の風景

2012年11月10日 19時59分03秒 | 色んな情報
●日本の風景
★日本の風景 -四季の抒情詩- http://p.tl/Dl1g
★日本風景街道  http://p.tl/5jYV
★日本の風景   http://p.tl/CCbl
★日本の風景   http://p.tl/0JjG
★21世紀に残したい日本の風景百選 http://p.tl/Dc2m
★21世紀に残したい日本の風景百選 http://p.tl/LrCB
★日本の原風景  http://p.tl/Qqt4
★昔の日本    http://p.tl/E99c
★昭和9年(1934年) 京都 カラー映像 http://p.tl/LPh8 お見事 芸術そのもの
★日本風景写真家協会 http://p.tl/Neyi
★JAF|日本風景街道ドライブコース  http://p.tl/QTVw
★写真満載 日本の風景(日本列島お国自慢)http://p.tl/hH0V
★日本風景マニアックス・ http://japan.mania.cx/
★これぞまさに日本という感じのする風景写真60枚 http://p.tl/Dosd
★日本風景論 - Wikipedia http://p.tl/w8ba
志賀重昂の著書。これに挿入されている挿絵の大 部分は雪湖樋畑が、洋風の挿絵は海老名明四が担当している。
★日本の音風景100選 - Wikipedia http://p.tl/5MBq
1996年に当時の環境庁(現・環境省)が「全国各地で人々が地域のシンボルとして大切にし、将来に残していきたいと願っている音の聞こえる環境(音風景)」を広く公募。「日本の音風景検討会」の選定審査の結果に基づき、これらの応募のうちから音環境を保全する上で特に意義があると認められる100件を選定したもの。
★環境省選定 残したい日本の音風景100選 http://p.tl/wwS8
★日本の風景 - Japan web magazine    http://p.tl/S9-T
★日本の風景 | 日本の正月        http://p.tl/jb8Y
★日本の風景 | 日本の春の風景      http://p.tl/VISS
★日本風景写真協会 -JNP        http://www.jnp21.jp/
★日本の風景 - YouTube         http://p.tl/PLX5
★国立公園を巡る~日本こころの風景~  http://p.tl/5qqs
★風景写真家 佐藤尚 美しい日本     http://p.tl/3c6B
★「再発見!日本の風景」ハイビジョン映像と ...http://www.scenery.jp/
★美しい海岸風景 日本の旅ドットコム  http://p.tl/uZLn
★日本の風景記憶 表紙  http://p.tl/OW2n
★日本風景街道まほろば  http://p.tl/alHd
★日本三大 - Wikitravel http://p.tl/HbW9
★日本の原風景      http://p.tl/oK4Y
★Japanese Landscape - 日本の風景写真   http://flic.kr/g/fPK2Wq
★風景歌/曲目リスト(日本の風景、季節の童謡・唱歌) http://p.tl/fMBQ
★美しい日本の風景画像集 - NAVER まとめ  http://p.tl/WDzH
★日本の原風景「里山」の暮らしを伝える   http://p.tl/jMAS
★イタリア人写真家が撮影した1880年代の日本の風景や風俗を伝える貴重な写真 - GIGAZINE http://p.tl/CipN
★風景(ふうけい)は、目に見える様子、景色のこと。 http://p.tl/Fb6L
中国で発達した山水画は日本にも大きな影響を与えた。山水画では、名所として瀟湘 八景(湖南省洞庭湖付近の風景)が選ばれ、好んで画題とされていた。

●天目茶碗(てんもくぢゃわん)

2012年11月10日 18時01分49秒 | 色んな情報
●天目茶碗(てんもくぢゃわん)
★てんもく-ぢゃわん 5 【天目茶▼碗】 三省堂 大辞林
浅い擂鉢(すりばち)形をした抹茶(まつちや)茶碗。日本での称で、本来は中国福建省の建窯(けんよう)で焼かれた建盞(けんさん)をさし、鎌倉時代、浙江省天目山の禅寺から留学僧が持ち帰ったところからこの名がある。のち瀬戸などで写しが作られた。茶の湯で貴人用・台子点前用に用いられ、高台(こうだい)が小さいため必ず天目台にのせる。天目。
★【天目茶碗】 ウィキペディア http://p.tl/vniQ  http://p.tl/lC6E
天目茶碗(てんもくぢゃわん)とは、天目釉と呼ばれる鉄釉をかけて焼かれた陶器製の茶碗のこと。
鉄釉を用いて焼かれた陶磁器は中国においては、周の時代に遡るが、本格的な製造は東晋期に現在の浙江省にあった徳清窯で焼かれたものであるとされている。宋以後盛んに制作されるようになった。その頃日本では禅宗が盛んになった鎌倉時代にあたり、中国禅宗の中心であった浙江の天目山に留学した禅僧が喫茶の習慣とともにこれを日本に持ち帰った事から、鉄釉のかかった茶碗を「天目」と称し、その中でも特に鼈口を有した2段の口造り構造となった天目の茶碗は中の茶の保温に優れたものとして茶道を愛好するものに好まれたために、こうした茶碗を「天目茶碗」と呼んで珍重して、台子点前・貴人点などの重要な茶会などの際にも用いられた。
天目を焼くために用いられる釉薬(鉄質黒釉)は、釉薬の中に含まれている鉄分によって黒く発色する。従って、鉄分の含有量によって、その色合いが異なり、鉄分が少ない天目は飴釉(あめゆう)、多い天目は柿釉(かきゆう)とも称されている。
・種類
天目茶碗の代表的な物として、現在の福建省建甌市(元の建甌県)にある建窯で作られた建盞(けんさん)と呼ばれるものや、江西省吉安県にある吉州窯で作られた玳皮盞(たいひさん)/鼈盞(べつさん)が挙げられる。前者からは「曜変天目」(ようへんてんもく)・「油滴天目」(ゆてきてんもく)・「灰被天目」(はいかつぎてんもく)・「禾天目」(のぎてんもく)、後者からは「木葉天目」(このはてんもく)が派生した。特に最上級とされる「曜変天目」は、現在では全世界に龍光院・静嘉堂文庫[1]・藤田美術館・MIHO MUSEUM[2]に伝えられている4点(ないしは3点)しか遺されていないとされ、前者3点は国宝、MIHO MUSEUMの1点は重要文化財に指定されている。
他にも、華北の「河南天目」・朝鮮の「高麗天目」・日本の「菊花天目」(瀬戸焼[3])などが著名である。なお、美濃焼には白い釉薬をかけた茶碗で「白天目」と称するものがある。

★けん‐さん【建×盞】大辞泉
中国福建省にあった建窯で、宋・元代に作られた天目茶碗(てんもくぢゃわん)。曜変(ようへん)天目・油滴(ゆてき)天目などが有名。また、天目茶碗の総称。

★建盞(けんさん) http://p.tl/_EWg
中国の建窯(けんよう)(福建省建陽県水吉鎮)で焼かれた茶碗(ちゃわん)。
盞は小さい茶碗の意。建窯の茶碗は北宋(ほくそう)時代すでに天下一の茶碗として名高く、建盞の名でよばれていた。
日本に請来され始めた鎌倉時代後期の13世紀末には、すでに建盞の名称が使われ始めたらしい。
なお日本では古くは南北朝時代の初め建武(けんむ)2年(1335)の史料に天目(てんもく)の名が初見される。
この天目は中国製の茶碗で、浙江(せっこう)省に渡った禅僧が天目山の禅寺で広く用いられていた建盞形式の茶碗を持ち帰り、天目と称することになったようである。
その後、室町時代には建盞と天目は明らかに区別され、建盞は建窯産の正統の茶碗をさす用語であったと思われる。
室町時代、第8代将軍足利義政(あしかがよしまさ)の同朋衆(どうぼうしゅう)を勤めた相阿弥(そうあみ)の手で完成されたといわれる『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』にいう建盞とは、曜変(ようへん)、油滴(ゆてき)、建盞の3種類をさすといってよい。
曜変と油滴は建盞のなかでも特別の器で、いずれも建窯独特の黒色の陶胎をもつ。
曜変は見込みの内外の黒釉地に大小の斑文(はんもん)があり、その斑(まだら)の周囲に青銀色の隈(くま)取りが表れたもの。
油滴は細かい金白色の斑文がびっしりと内外に浮き出す。
建盞は一般に禾目(のぎめ)天目ともよばれるように、黒釉地に兎(うさぎ)の毛のような柔らかい銀褐色の細かい筋目が表れているのが特色である。
およそ南宋から元(げん)にかけて、13世紀から14世紀が建窯の最盛期であったと推測される。

★志戸呂焼(しどろやき) http://p.tl/6lbp
静岡県島田市の陶窯。開窯については諸説あるが、江戸時代初頭には確実に存在していたことが寛永(かんえい)4年(1627)の銘のある葉茶壺(つぼ)によって知られる。陶技の面からは瀬戸焼の傘下にあり、桃山時代(16世紀末)には茶壺、鉢、皿、天目茶碗(てんもくぢゃわん)、徳利などが瀬戸と同じ黒褐釉(ゆう)と灰釉をかけて焼造され ...
★吉州窯(きっしゅうよう) http://p.tl/3P3S
中国、江西(こうせい/チヤンシー)省吉安(きつあん/チーアン)市永和鎮にある古窯。この地は隋(ずい)時代以来吉州に属していたところから吉州窯の名がつけられた... 黒釉(こくゆう)と黄釉との二重掛けによって人為的に文様を表現し、絶妙な天目茶碗(ちゃわん)を完成させて名声を博した。このほか華南ではいち早く透明釉下に鉄絵の具で文様を巡らす鉄絵を試み ...
★膳所焼(ぜぜやき) http://p.tl/S1f3
滋賀県大津市膳所に営まれた陶窯。江戸初期に築かれて当初は瀬田焼とよばれた可能性があり、... おもに黒褐釉(ゆう)を用いて茶入れ、天目茶碗(てんもくぢゃわん)、茶碗などの茶具を製し、小堀遠州の茶風が強く作風に反映しているといわれる。明治維新のころいったん中絶したが ...
★陶芸 - 日本の陶芸  http://p.tl/oQbL
... 滑らかな黄緑色の黄釉、さらには鉄呈色による黒褐釉(天目釉)も開発され、花瓶、天目茶碗、茶入れ、香炉などの茶具を併焼し、唐物(からもの)写しの体質をよく深めて1320~30年代に最盛期を迎えた。 ...
★茶碗(ちゃわん) http://p.tl/LUaY
.茶を喫するための陶磁器の碗。近世以前には磁器を総称して茶碗とよぶ(たとえば磁製の花瓶(かへい)を「茶碗の花瓶」という)例もあり、近世以降でも「飯茶碗」のように喫茶以外の目的をもつ器をよぶ場合もある。また本来の茶碗でも、当初からその目的でつくられる場合と、抹茶用の代表的な茶碗である高麗(こうらい)茶碗のように、のちに茶碗に見立てられる場合がある。.. 同時に、瀬戸焼でもこの種の天目茶碗の倣製を始めている。室町末期(16世紀)になるとわび茶の思想が茶碗の価値観を大転換させ、中国製では無名窯の天目茶碗(灰被(はいかつぎ)天目はその代表例)が人気を博し ...
★のぎく【野菊】 http://p.tl/K_qH
... 千利休(せんのりきゅう)も野菊に注目し、天正(てんしょう)18年(1590)9月23日秀吉が聚楽(じゅらく)の茶会を開いたおり、野菊一枝を天目茶碗(てんもくぢゃわん)と鴨肩衝(かもかたつき)茶入との間に挟み ...

★覆輪(ふくりん) http://p.tl/fFLe
刀の鐔(つば)や馬の鞍(くら)、天目茶碗(てんもくぢゃわん)など種々の器物の周縁を金属(鍍金(ときん)、鍍銀)の類で細長く覆って損壊に備え、あわせて装飾を兼ねたものをいう。 ...

★分類草人木(ぶんるいそうじんぼく) http://p.tl/QD_B
茶道の成立期の茶法を伝える代表的な茶書の一つ。三巻。... 掛物類、花瓶類、葉茶壺(つぼ)、小壺類、台子(だいす)、風炉(ふろ)、囲炉裏(いろり)類、天目茶碗(てんもくぢゃわん)、香炉(こうろ)類、座席に分類して、種類、扱いなどを記す。 ...

★窯変(ようへん) http://p.tl/7tXl
製陶用語。窯(かま)の中における特異な焼成変化のこと。とくに釉薬(ゆうやく)の変色をいう。... 天目茶碗(てんもくぢゃわん)の窯変である兎毫斑(とごうはん)(禾目(のぎめ))、油滴(ゆてき)天目、曜変(ようへん)天目などがよく知られている。 ...

★四つ頭の茶会(よつがしらのちゃかい) http://p.tl/pxMR
京都建仁(けんにん)寺において開山栄西(えいさい)禅師の誕生忌(4月20日)に催される茶会。禅院茶礼の伝統を今日に伝えるものとされる。四つ頭は四主頭(ししゆちよう)の意で、4人の正客(しょうきゃく)(主位、賓位(ひんい)、正対位、賓対位)が対座する禅院斎宴の着席法である。... ついで、抹茶の入った天目茶碗(てんもくぢゃわん)が客に配られ、供給(くきゆう)僧が浄瓶(じんびん)を提げて、正客から順に茶碗に湯をついで茶を点(た)てる。 ...

●亜細亜●アジア●[Asia]●英音は「エイジャ」

2012年11月10日 17時13分56秒 | 色んな情報
●亜細亜●アジア●[Asia]●英音は「エイジャ」
★アジア [Asia]
六大州の一。東半球の北部を占める。世界陸地の三分の一にあたり、ヨーロッパ州とともにユーラシア大陸をなす。南北はマレー半島からシベリア、東西は日本からトルコおよびアラビアにわたる地域。ウラル山脈・カスピ海・カフカス山脈・黒海・ボスポラス海峡によりヨーロッパと画され、スエズ地峡によりアフリカ大陸に接する。アジヤ。
〔「亜細亜」とも書く〕
★アジア  http://p.tl/8zTt  http://p.tl/TThx
 アジア(亜細亜、Asia、羅音は「アシア」、英音は「エイジャ」(まれに「エイシャ」)、日本語では「アジア」と音訳されている)は、アッシリア語で東を意味する「アス」に語源をもつ。
古代では、現在の小アジアを指したが、現在では一般的にヨーロッパを除くユーラシア (EuroAsia) 大陸全般を指す一方で、政治的・経済的な立場の違いにより、異なった様々な定義がなされる場合がある。略称は亜である。

★アナトリア半島(小アジアから転送) http://p.tl/xQvn
アナトリア半島(ギリシア語: Ανατολία, Anatolia / Aνατολή, Anatolē、トルコ語 Anadolu)は、アジア大陸最西部で西アジアの一部をなす地域である。現在はトルコ共和国のアジア部分をなす。
 
日本語でアナトリア半島と言うと半島の名称のようだが、本来はアナトリアで、地形ではなく人文地理的な地域を表す言葉である。小アジア (希: Μικρά Ασία, Mikra Asia, 羅: Asia Minor) とも言う。

★亜細亜大学(あじあだいがく) http://p.tl/oh1q  http://p.tl/U77E
私立。1941年(昭和16)設立の興亜専門学校を前身として、1955年(昭和30)新制大学として設置された。「とくに日本およびアジアの文化社会の研究と建設的実践とアジア融合に新機軸を打ち出す人材の育成」を目ざす。2010年(平成22)時点で、経営学、経済学、法学、国際関係学の4学部と経済学、法学、アジア・国際経営戦略の大学院研究科をもつ。カリキュラムにアジア研究やアジア系言語など12か国語に及ぶ地域言語プログラムを組み込み、国際経済や発展途上国問題を扱う経済学科、国際関係学科など、アジアの教育研究や国際交流に力を入れている。所在地は東京都武蔵野(むさしの)市境5-24-10。

★東急グループ  http://p.tl/daIm
... 五島育英会(ごとういくえいかい)、とうきゅう外来留学生奨学財団、亜細亜学園(あじあがくえん)、大東急記念文庫、五島美術館、とうきゅう環境浄化財団、五島記念文化財団などがそれで、なかでも五島美術館は創業者五島慶太のコレクションの公開で、国宝・重要文化財を含む。このほか「電車とバスの博物館」(川崎市)も開設し社会教育の一助としている。

★当て字(あてじ) http://p.tl/OyW1
日本語を表記する際に、その語と意味のうえで直接関係のない漢字の和訓や字音を借用する用法、またはその漢字をいう。「宛字」とも書く。本来、漢字を用いて日本語を書き表すには、「やま―山」「たに―谷」のように、意味上の対応関係をもつ漢字を使うのが通常であるが、対応する漢字がない場合に、便宜的にある漢字の音や訓を借りて書き記し、さらに和語以外の外来語、外国語の表記にも及んだ。これが「当て字」である。... 前者には亜細亜(アジア)、仏蘭西(フランス)、珈琲(コーヒー)のように外来語や外国の固有名詞を漢字の音を借用して表記したもの、素敵(すてき)、兎角(とかく)のように漢字音を借りて和語を記すもの ...

★采覧異言(さいらんいげん) http://p.tl/rxM5
新井白石(あらいはくせき)の著書。ひとまず1713年(正徳3)に成ったが、完成は1725年(享保10)。7代将軍徳川家継(いえつぐ)に献上したもので、「異言(外国の言語風俗)を采(と)り覧(み)る」の語の示すように、海外事情を将軍に認識してもらうために書いた漢文体の作品。... と並んで知識人の間で広く読まれ、絶大な影響を与えた。構成は、巻1欧羅巴(エウロパ)、巻2利未亜(リビヤ)(アフリカ)、巻3亜細亜(アジア)、巻4南亜墨利加(ソイデアメリカ)、巻5北亜墨利加 ...

★少年文学(しょうねんぶんがく) http://p.tl/QK5g
広義では、現在一般的に「児童文学」とよばれている子供を読者とした文学の名称。これは博文館が1891年(明治24)に「少年文学叢書(そうしょ)」を刊行し始めたとき、巌谷小波(いわやさざなみ)がドイツ語のユーゲントシュリフトJugendschrift(英語のJuvenile Literature)の訳語として使ったのが日本では初めてである。... 日本も同様で、たとえば少年小説の日本における始祖といわれる押川春浪(おしかわしゅんろう)の『海島冒険奇譚海底軍艦』(1900)の流れをくむ山中峯太郎(みねたろう)の『亜細亜(アジア)の曙(あけぼの)』は1931年(昭和6)から32年にかけて、また吉川(よしかわ)英治の『神州天馬侠(しんしゅうてんまきょう)』は1925年(大正14)から3年7か月の間、講談社の『少年倶楽部(くらぶ)』に連載された。 ...

★政教社(せいきょうしゃ) http://p.tl/KTQU
明治中期~大正期の国粋主義者の思想・文化団体。1888年(明治21)4月3日に杉浦重剛(しげたけ)ら13名によって創設され、機関誌『日本人』(後継誌『亜細亜(アジア)』『日本及(および)日本人』)を発刊した。欧米文化の無批判的な模倣に反対し ...

★脱亜論(だつあろん) http://p.tl/MaX0
ヨーロッパを「文明」、アジアを「未開野蛮」とみて、日本はアジア諸国との連帯は考えずに西欧近代文明を積極的に摂取し、西洋列強と同様の道を選択すべきだとする主張。「脱亜入欧」も同じ意味である。... 「我国は隣国の開明を待て共に亜細亜(アジア)を興すの猶予(ゆうよ)ある可(べか)らず、寧(むし)ろ其伍(そのご)を脱して西洋の文明国と進退を共にし、(略)亜細亜東方の悪友を謝絶する」と論じた。 ...

★福沢諭吉(ふくざわゆきち) http://p.tl/sLMf
... 1885年には「脱亜論」を発表、「亜細亜(アジア)東方の悪友を謝絶する」というに至る。彼は朝鮮の開明派金玉均(きんぎょくきん)らの亡命を保護したりしたが、基本的にはアジア諸国を犠牲にしても日本が欧米列強に ...

★山中峯太郎(やまなかみねたろう) http://p.tl/hPoD
小説家、児童文学者。大阪生まれ。3歳のとき1等軍医山中恒斎(こうさい)の養子となり、陸軍幼年学校、陸軍士官学校に学ぶ。陸軍大学校に進んだが中退、中国革命軍に投じた。... 主人公本郷義昭(ほんごうよしあき)が活躍する『亜細亜(アジヤ)の曙(あけぼの)』(1931~32)などを ... 『少女倶楽部』に連載。第二次世界大戦後『実録アジアの曙』(1962)で文芸春秋読者賞を受賞した。 ...

★亜細亜映画 - Wikipedia  http://p.tl/Nm3c
 亜細亜映画(あじあえいが)は、かつて存在した日本の映画会社である。映画監督の 白井戦太郎が設立し、大阪府下に撮影所を構えた。同年6月、第一映画社と改称したが 、撮影所が同年9月の台風で損壊し、解散した。3作の剣戟映画を製作した。

★亜細亜が好き 目次  http://p.tl/pcZx

●サラサ●更紗

2012年11月10日 16時23分59秒 | 色んな情報
●サラサ●更紗
★三省堂 大辞林
サラサ 1 0 [(ポルトガル) saraça]
人物・花・鳥獣・幾何学模様などをさまざまな色で手描(が)きや型染めにした綿布。室町末期より南アジア諸国から輸入され、日本でも作られた。印花布。花布。〔「更紗」とも書く〕
★歴史民俗用語辞典
更紗
読み方:サラサ(sarasa)
室町時代以降、南蛮船によりもたらされたインド・ジャワ・ペルシア・シャム産の花文などの木綿布。
★伝統的工芸品用語集
更紗
読み方:さらさ
発祥地はインドといわれていますが、ペルシャ、タイ、ジャワにも独特のものが生まれています。その模様は唐草、ベーズリ、珍しい動物などを強烈だが渋みのある色彩で染めた異国情緒豊かなもの。
★近代文学作品名辞典
更紗
読み方:サラサ(sarasa)
作者 谷崎潤一郎
ジャンル 随筆
★『ウィキペディア(Wikipedia)』 http://p.tl/AE_1  http://p.tl/iQOx
更紗(さらさ)は、インド起源の木綿地の文様染め製品、及び、その影響を受けてアジア、ヨーロッパなどで製作された類似の文様染め製品を指す染織工芸用語。英語のchintzに相当する。日本ではインド以外の地域で製作されたものを、産地によりジャワ更紗、ペルシャ更紗、和更紗などと称している。
★更紗の語源  http://p.tl/BnwC
「さらさ」の語源については諸説あり、決定的な説はない。インド北西部の港であるスラト(Surat)が語源であるとする説が古くからあるが、「スラト」と「サラサ」の音韻には差が大きく、この説は現代ではあまり支持されていない。ポルトガル語が語源であるとする説もある。また、16世紀末のオランダ人、リンス・ホーテンの『東方案内記』に、綿布の名としてsarasoあるいはsarassesという名称が見え、これが語源であるとする説もある。
 
「更紗」という漢字表記が定着するのは江戸時代末期のことで、それ以前には「佐良佐」「紗良紗」などさまざまに表記されていた。1713年(正徳3年)刊の『和漢三才図会』では「華布」と書いて「さらさ」と読ませている。この「華布」とは「文様のある布」の意である。また、江戸時代には「更紗」に相当する染織品を「しゃむろ染」とも称し、「紗羅染」「砂室染」などの字をあてている。たとえば、1638年(寛永15年)に刊行された『毛吹草』には「紗羅染」の表記が見られる。シャム(タイ国)方面を経由してもたらされた染物という意味合いで「しゃむろ染」と称されたものであるが、現存遺品を見る限り、こうした染物の大部分はインド製である。
 
★和更紗  http://p.tl/sqYO  http://p.tl/z1RS
早くから作られたものに鍋島更紗があり、その他江戸時代後期になると日本各地で更紗の模倣品が製作されるようになり、天草更紗、長崎更紗、堺更紗、京更紗、江戸更紗などが著名である。文様の表出には、手描きや木版のほか、日本独特の技法である伊勢型紙を用いた型染めがある。伊勢型紙とは、現在の三重県鈴鹿市の特産で、渋紙を何枚か重ね、彫刻刀で繊細な文様を彫ったもので、これを布面にあてがい、刷毛で染料を塗り込むものである。近世の日本ではアカネ染めの技法が開発されていなかったため、全体に色彩は地味であり、文様も扇などの日本的風物を取り入れたものがある。
 
★Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ)
名詞
更紗(さらさ)
・インド起源の木綿地の文様染め製品、及び、その影響を受けてアジア、ヨーロッパなどで製作された類似の文様染め製品。人物、鳥獣、草花などの模様を手描きあるいは木版や銅板で種々の色を用い染めている。
翻訳
・ドイツ語:Chintz
・英語:chintz
・フランス語:chintz
・イタリア語:chintz
・オランダ語:sits
・スロヴェニア語:Činc
・スウェーデン語:chintz

★インド更紗(いんどさらさ) http://p.tl/gS_a
... わが国には、17~18世紀に輸入されたものが古渡(こわたり)更紗として珍重されて残っている。主産地はベンガル湾に面した東海岸のコロマンデル地方、中部デカン高原など。 ...
★更紗紙(さらさがみ) http://p.tl/YcwX
更紗模様をつけた加工和紙。「さらさ」という略称のほかに、「印花紙(いんかし)」(はなおしぞめ)の別名もあり、おもに壁紙に用いられた。更紗(沙羅沙)は本来金巾(かなきん)(キャラコ)や絹布の片面に ...

★石材(せきざい) http://p.tl/wWwi
... 化石を含むものから、角礫(かくれき)岩状の更紗(さらさ)とよばれるものなどいろいろのものが ... 国内では叢雲(そううん)、白雲、貴蛇紋、更紗、渓流、岩永更紗、八重桜、若狭(わかさ)大理石など多数の銘柄が知ら ...
★大理石(だいりせき) http://p.tl/LUAM
... 角礫(かくれき)岩あるいは礫岩状の石灰岩は、その網目状の斑(まだら)模様から更紗(さらさ)とよばれている。平行な縞(しま)模様が発達し、淡褐色・多孔質のものはトラバーチンとよばれ ...

★印金(いんきん) http://p.tl/Kh_q
布帛(ふはく)に型を用いて漆、糊(のり)などの接着剤を置き、その上に金箔(きんぱく)あるいは金粉を施して文様を表したものをいう。... たとえば印金更紗(さらさ)、金更紗とよばれるものがそれで、とくに前者は金箔あるいは金泥で独立した模様を構成しているもの、後者は更紗模様の一部に補助的に金箔、金泥の加えられたものをさしている。 ...

★羽織(はおり) http://p.tl/G04v
... 色絵羽羽織は華やかな雰囲気があり、しゃれ着、街着には絞り、小紋、ろうけつ、更紗(さらさ)などを用いる。日常着は木綿(縞(しま)、絣(かすり))、ウールなど。羽織は季節により冬は袷羽織 ...
★襦袢(じゅばん) http://p.tl/_RX1
... そのほか単襦袢の胴には木綿、太織紬(つむぎ)を用い、袖だけ縮緬、無地染め、絞り、小紋、更紗(さらさ)などを用いたものもある。下着の下衣は脚布(きゃくふ)といい、二幅(ふたの)の布で丈を長くし、紅 ...
★帯(おび) http://p.tl/iidi
... 染めの帯には更紗(さらさ)、塩瀬(しおせ)、紬(つむぎ)、羽二重などが用いられる。また刺しゅうを施した凝った帯もある。染めの帯、刺しゅうをした帯は、趣味に、またおしゃれ用として用いる。 ...

★金巾(かなきん) http://p.tl/1plu
ポルトガル語のカネキンcanequineから出たことばといわれ、15、16世紀ごろに南方から舶来された綿織物をさすことから使われてきた。一般には30~40番手の綿糸で平織にした薄織物をさす... 加工によって晒(さらし)金巾、色金巾、更紗(さらさ)金巾(捺染(なっせん)金巾のことをさす)などがある。これらは衣料として広く用いられ、白足袋(たび)、割烹着(かっぽうぎ)などは古くからよく知られ ...
★甲斐絹(かいきぬ) http://p.tl/1Kvh
「かいき」ともいう。海気、海黄、改機とも記され、近世の初めオランダ人によって、更紗(さらさ)などとともに東南アジアより渡来した先練りの絹織物の一つであったが、寛文(かんぶん)年間(1661~73)に ...

★型染め(かたぞめ)http://p.tl/zhsq
型を用いて文様を染め表すこと、またその技法による染物。... これに対して版型による防染文様染めは、わが国上代の臈纈(ろうけち)やインド更紗(さらさ)、ジャワ更紗、ヨーロッパの文様染めなどのなかで用いられている。型の素材は、古くは陶製のものなども使わ ...

★サロン(腰衣)http://p.tl/MT6F
... ものを着用することもある。用布には、多彩な文様が織り出されたり染め出されたりした上質綿布、絹布が使われる。インドネシアではバティック(ジャワ更紗(さらさ))のサロンが特徴的。丈は腰で調節されるが ...

★寝具(しんぐ) http://p.tl/WNGd
... ふとん地は青梅(おうめ)夜具地、更紗(さらさ)、八端(はったん)など綿織物、絹織物、ほかに化合繊の織物があるが、汗を吸い取る綿織物がもっともよい。夏掛け用には麻、縮(ちぢみ)を用いる。 ...

★捺染(なっせん)
「なせん」ともいう。広い意味では、色を直接布面に施すプリント染めのこと。たとえば、絞りや中形(ちゅうがた)、纈(ろうけち)染めのように染料に浸(つ)けて浴染せずに、顔料、もしくは染料を顔料のように媒染によって発色した状態にしたものを直接布面に塗り、摺(す)り、押捺して染めるものをいう。狭義に捺染という場合は、模様を型で置いたものをいう。たとえば同じ友禅染めでも型を用いない手描き友禅は、普通、捺染とはいわない。これに対して、型友禅はいかに精巧なものでも捺染ということになる。更紗(さらさ)でも、描き更紗に対してブロックによるものが捺染の範疇(はんちゅう)に入ることになろう。また、同じく型を用いて、しかも染料を直接布面に塗って染めるものでも、紅型(びんがた)や江戸小紋は ...

★利休鼠(りきゅうねずみ) http://p.tl/w08O
色名の一つ。利休色といわれる灰色がかった黄緑色に、鼠色が加わったもの。利休茶、利休柳などと同様に茶人の千利休(せんのりきゅう)にちなんでつけられた名。抹茶(まっちゃ)の緑色と侘(わ)び茶の雰囲気を連想していわれた利休色に、鼠色を強めてさびた味わいを表した色合いである。ただし、利休が愛用した色という意味ではない。なおまた、北原白秋作詞による『城ヶ島の雨』の「雨は降る降る城ヶ島の磯(いそ)に 利休ねずみの雨が降る」によっても、広く知られた。またほかに、徳冨蘆花(とくとみろか)の『黒潮』では「利休鼠のたて小波(さざなみ)の小紋縮緬(ちりめん)に更紗(さらさ)縮緬を襲(かさ)ねて」とある。

★ふとん【蒲団・布団】 http://p.tl/NrFT
寝具の一種。近世において、木綿綿(もめんわた)の普及により、夜着とともに用いられるようになった。もともと衾(ふすま)といわれていたものである。... 現在は綿織物では綿サテン、更紗(さらさ)なども多く用いられ、これは三幅物になっているので、敷ぶとんはそのままの幅で丈の2倍あればふとん1枚ができる。 ...

★衾(ふすま) http://p.tl/fsTu
被とも書かれる。布帛(ふはく)で長方形につくり、寝るとき身にかける夜具。『万葉集』に「むし衾なごやが下に伏せれども」と柔らかな苧麻(からむし)の衾をかけたさまを歌っている。『延喜式(えんぎしき)』縫殿寮の巻、年中御服(ごふく)の条に紅(くれない)の被があげられ、綿入れで、褥(しとね)に対して入れる綿の量が2倍となっている。伊勢(いせ)神宮御神宝中にも錦(にしき)、綾(あや)、帛(はく)の被が伝えられている。『満佐須計(まさすけ)装束抄』に、御張台(みちょうだい)に敷く衾は、紅の打(うち)で襟のついていないもの、襟にあたるところに紅練糸(ねりいと)の左右撚(よ)り糸で三針差(みはりざし)といって縫い目の間隔を長短の順に置いた縫い方をするとある。『源氏物語』(柏木(かしわぎ))に「ふすまひきかけてふし給(たま)へり」と記している。

●競馬●サラブレッド●競走馬   ●パチンコと在日韓国・朝鮮人の関係

2012年11月10日 14時43分01秒 | 色んな情報
●競馬●サラブレッド●競走馬   ●パチンコと在日韓国・朝鮮人の関係
★ジェニュイン  http://p.tl/600U
日本の競走馬、種牡馬である。馬名の由来は「正真正銘の、本物の」を意味する英語Genuineから。フジキセキ、タヤスツヨシと並び、サンデーサイレンスの初年度産駒を代表する一頭である。おもな勝ち鞍は、1995年皐月賞、1996年マイルチャンピオンシップ。

★サラブレッド  http://p.tl/e_6N
 サラブレッド (Thoroughbred) は、18世紀初頭にイギリスでアラブ馬やハンター(狩猟に用いられたイギリス在来の品種)等から競走用に品種改良された軽種馬である。
現在も、競馬で勝つことのみを目的とし日々交配と淘汰とが繰り返されており、人が創り出した最高の芸術品とも呼ばれている。
競走時には48~59kg(競走時の馬の負担重量 = 騎手自身の体重 + 不足分)の重量を背負った状態において、数分間継続して60〜70km/hの速度で走ることができる。
血統のよい馬や優秀な成績を残した馬は億単位の価格で取引されることもある。主な生産国はアメリカ、オーストラリア、アイルランド、日本等であり、世界では毎年11万頭ほどが生産されている。競馬以外では乗馬目的にも使われ、オリンピックの馬術競技で活躍することもたまにある。他の品種を改良する際にもしばし使われクォーターホースやスタンダードブレッド、セルフランセ等多くの馬種の礎となった。
語源は Thorough [ 完璧な、徹底的な ] + bred [ 育てられた、躾けられた ] で血統背景だけではなく、育つ環境も含めて完璧であることを指す。
純血を意味するアラビア語の直訳という説もある。

★競馬(けいば、英: horse racing) http://p.tl/Ohmy
騎手の乗った馬により競われる競走競技、およびそれの着順を予想する賭博である。イギリスを発祥とする近代競馬は多くの国々で開催されており、その多くは勝馬投票券の販売とセットの興業として行われている。しばしば、「スポーツオブキングス(The Sport of Kings)」の渾名で形容される。

★騎手(きしゅ)とは、馬を操縦する人のことである。  http://p.tl/yKi4
競馬制度は国家・地域によって異なり、それぞれに独自の競馬文化と歴史を有し、開催運営や人材育成のシステムが築かれている。その中において「騎手」という意味の言葉が、競馬の競走への参加に必要な資格ないし公的なライセンスとしての資格称号を指すこともある。

★競走(きょうそう)  http://p.tl/icuk
人や動物や乗り物が(通常、同じ距離を同時に)走って速さを競うことである。 レース(英:race)、レーシング(英:racing)とも言う。
人間が徒足で行う競走は陸上競技においては距離のみを示して競走の語を略することが多い。馬に騎乗して行うものは競馬、自動車やオートバイを用いるものはモータースポーツ(ギャンブルでは一般的にオートレース)、ボートに載って行われるものは競漕と呼ばれる。

★投票券 (公営競技)  http://p.tl/NLAb
日本の公営競技における投票券(とうひょうけん)とは各競技における競走対象の着順を予想して投票(購入)し、結果に即し配当を得るための券である。本項の倍率は、現在の日本で使われている100円に対する配当金を示す方式を用いる。

★公営競技(こうえいきょうぎ) http://p.tl/YPYI
公の機関がギャンブルとして開催するプロフェッショナルスポーツの総称である。

★賭博(ギャンブルから転送) http://p.tl/3gbI
 賭博(とばく、ギャンブル(Gamble)、博打、博奕、賭け事(かけごと))は、金銭や品物などの財物を賭けて偶然性の要素が含まれる勝負を行い、その勝負の結果によって賭けた財物のやりとりをおこなう行為の総称。日常的に賭博(ギャンブル)を行う者をギャンブラーと呼称される。
また技術や道具や錯誤などを用い、見掛けの確率、期待値を変えることなく、相手に気付かれぬよう有利に実際の確率、期待値を変えて行う賭け事、勝負事をいかさま賭博といい、それらを行う者をいかさま師、ゴト師と呼ぶ。
★ギャンブル依存症  http://p.tl/vCXX  http://p.tl/0Ux5
ギャンブルの依存症で、進行性で完治することはない精神的な病気。ギャンブルなしでは生きていけなくなった人をギャンブル依存症者と呼ぶ。自己の生活基盤、価値観、仕事や学業、家族や友人などの人間関係を犠牲にしてもギャンブルを続けてしまう。しかし適切な専門職の介入と自助グループや、各種心理療法によって回復することは出来る。ここで言う回復とは、再びギャンブルに手を出してしまったら元の依存状態になってしまうので、「一生ギャンブルに手を出さない」「新しい生き方を学ぶ必要がある」と言うことである。

★パチンコ  http://p.tl/wijo
ガラス板で覆った多数の釘が打たれた盤面上に小さな鋼球を盤面左下から弾き出し、釘に従って落ちる玉が特定の入賞口に入ると、得点、あるいは賞球が得られる遊技(ゲーム)。最も一般的な営業形態は風俗営業として、客が遊技の結果得た鋼球をパチンコ店が指定する特殊景品と交換し、景品買取業者(古物商)が運営する景品交換所がそれを買い取る形で現金と交換するシステム(後述)となっている。
★パチンコの問題点  http://p.tl/ClXT
風俗営業としてのパチンコには、さまざまな社会問題の存在が指摘されている。
以下に問題点とされる事例・要因とパチンコを支持する側のそれに対する反論を挙げる。
★パチンコと在日韓国・朝鮮人の関係  http://p.tl/ib9h
パチンコ産業は在日韓国・朝鮮人の割合が高く、韓国の中央日報によれば、日本に約1万6000~7000店ほど存在するパチンコ店の経営者に占める割合は90%という指摘がある(2010年2月現在の店舗数は1万1600店程度に減少している)。
パチンコチェーン店マルハンの韓昌祐会長は、2005年にテレビ番組のインタビューで、「現在日本にあるパチンコ店の約7割が在日韓国・朝鮮人による経営」という見解を示した。また、『AERA』(2006年2月13日号)では「全国のパチンコ店オーナーの出自の内訳は、韓国籍が50%、朝鮮籍が30~40%、日本国籍、華僑が各5%」としている。
また、2008年1月10日のハンギョレの記事ではパチンコ業界の6割が在日韓国・朝鮮系としている。
民団傘下の「在日韓国商工会議所」では、所属する1万社のうち約7割がパチンコ業に係わっており、韓国民団、朝鮮総連の幹部、団員に多数のパチンコ店経営者、関係者が存在するため、日本公安警察はパチンコ業界が韓国民団、朝鮮総連の資金源と見ている。

●やましろ(山城)

2012年11月10日 14時10分46秒 | 色んな情報
●やましろ(山城)
★さんじょう ―じやう 0 【山城】
⇒やまじろ(山城)
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やましろ 【山城】
(1)〔古くは「山背」「山代」とも書かれた〕旧国名の一。五畿内の一。京都府の南東部に当たる。城州(じようしゆう)。
(2)京都府南部、相楽(そうらく)郡の町。木津川中流右岸を占め、野菜・タケノコ・茶などを産する。
(3)徳島県西端、三好郡の町。四国山地にある山村。大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)の峡谷で有名。
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やまじろ 0 【山城】
山頂や山腹に設け、防御を自然の険しい地形に依存した城。
山地を利用した城。
→平城
→平山城
★山城(やまじろ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山城(やまじろ)は、険阻な山を利用して築かれた城。
日本においては、江戸時代の軍学者によって分類された地形による城の分類法の一つ。
高地は軍事的防御に有利であり、山に城郭を築く行為は場所と時代を問わず普遍的に行われている。日本以外で山城が多く築かれた時代と地域として、(日本の古代山城のモデルとなったと思われる)三国時代の朝鮮、中世の西ヨーロッパなどがある。山城とは呼ばないが、近代の旅順要塞やマジノ要塞も山に築かれた要塞群であって、機能は似ている。

城は、防御に有利な地形に築くことが望ましく、険しい山はその条件を満たすが、住むには不便であり、守るべき対象である人の居住地から離れている。したがって、山城は防御専用として造られることが多かった。城主は、平時には麓に住民と共に住み、敵が来襲すると山上の城に立て籠もる、といった使い方がなされたようである。
★日本  http://p.tl/ns8w
日本の山城には、次の3種類がある。
・古代山城
  飛鳥時代から奈良時代の近畿から九州北部にかけて築かれた。
・中世山城
  中世・戦国末期まで全国的に築かれた(戦国末期のものを戦国山城ということもある)。
・近世山城
  安土桃山時代後期から江戸初期までに築かれた。
・構造
小城の場合は、山の頂上に簡単な建物を造り、食料、武具を保管するだけで、後は自然の地形を利用して、適宜、山の各所に柵、堀、土塀を設けるといった程度であったらしい。
中規模の城では、峰々に本丸、二の丸といった曲輪を造り、居住用の施設も備え、長期の籠城に耐えられるようにした。
大城では、周辺の山々に支城を設け、山系全体を要塞としていた。
・山への築城
古代の山城(鬼ノ城・備中国)
戦国期の山城を描いた絵図(春日山城・越後国)
戦国期の山城(波賀城・播磨国)日本において初めて山に軍事的防御施設が築かれるのは弥生時代の高地性集落である。その後、飛鳥時代から奈良時代にかけて、唐や新羅の侵攻に備えて西日本各地に古代山城が築かれた。
★山城国(やましろのくに) http://p.tl/hYWf
旧国名。現在の京都府南部の地域。山(さん)州、城(じょう)州。東は近江(おうみ)・伊賀(いが)、南は大和(やまと)、西は河内(かわち)・摂津(せっつ)・丹波(たんば)の国々と接していた。盆地の周辺の山々から、高野(たかの)川、賀茂(かも)川(鴨川)、桂(かつら)川、宇治(うじ)川、木津(きづ)川などが流れ出し、合流して淀(よど)川となる。これらが合流する中央低地部分に巨椋(おぐら)池があった。... 宜(よろ)しく山背国を改め山城国となすべし」とあり、これ以後「山城」に改められた。  五畿内(きない)の一つで、『和名抄(わみょうしょう)』には、「田八千九百六十一町七段二百九十歩」とある。 ...
★山城物(やましろもの) http://p.tl/Ec-S
山城国(京都府)で制作された刀剣の総称。京物ともいう。当地では鉄の産出をみないが、平安時代以降文化の中心地として多くの刀工が活躍し ... 山城物は、寺社や領主に隷属せず、一般に市販されていたのが特色とみ ...
★石垣山城(いしがきやまじょう) http://p.tl/2pJH
戦国期の城。神奈川県小田原市早川にある。1590年(天正18)豊臣(とよとみ)秀吉が小田原城に籠城(ろうじょう)する北条氏を攻めたときに、対(たい)の城として小田原城を眼下に望む笠懸(かさがけ)山に築いたものである。 ...
★月山城(がっさんじょう) http://p.tl/bNhQ
鎌倉期~江戸初期の城。島根県安来(やすぎ)市広瀬(ひろせ)町富田(とだ)にあり、富田城ともよばれ、富田月山城、月山富田城などともいう。城は平安末期、藤原景清(かげきよ)によって築かれたともいわれるが伝承の域を出ない。鎌倉期出雲(いずも)守護として入った佐々木義清(よしきよ)が築き、佐々木氏が大迫(おおさこ)城を本拠とするようになってからは、守護代の尼子(あまご)氏が守っていた。 ...
★多聞山城(たもんやまじょう) http://p.tl/uVdI
戦国期の城。奈良市法蓮町にあった。多聞城ともいう。1560年(永禄3)松永久秀(ひさひで)が佐保(さほ)山(眉間寺(みけんじ)山)に築いたのが初めといわれる。久秀は織田信長に一時叛(はん)したが、73年(天正1)にはふたたび信長に降(くだ)り、そのとき城を信長に献じ信貴山(しぎさん)城に退いている。塁上に長屋造りを設けたのが「多聞櫓(たもんやぐら)」の名の始まりといわれている。石垣は郡山(こおりやま)城に運ばれ、ほとんど遺構はみられない。

★瓶原(みかのはら) http://p.tl/FvPR
京都府南東部、木津川(きづがわ)市の東部にあたる旧加茂(かも)町の木津川北岸の地区。740年(天平12)に聖武(しょうむ)天皇の恭仁(くに)京が造営されたが、わずか4年で廃都となり、その跡に山城(やましろ)国分寺が建立された。現在、金堂と塔の礎石が残っていて、国指定史跡となっている。また東の銭司(ぜず)には、和同開珎(わどうかいちん)の鋳銭所跡がある。

★上杉謙信(うえすぎけんしん) http://p.tl/K0qf
... 父は越後国の守護上杉氏の守護代で頸城(くびき)春日山城(かすがやまじょう)(上越市)の城主長尾為景(ためかげ) ... 弟の景虎は春日山城下の臨済宗(りんざいしゅう)林泉寺(上越市)の天室光育 ...
★毛利元就(もうりもとなり) http://p.tl/lnly
安芸(あき)国高田(たかた)郡吉田郡山(よしだこおりやま)城(広島県安芸高田市吉田町)主、毛利弘元(ひろもと)の二男。のちに父が兄興元(おきもと)に郡山城を譲って多治比猿掛(たじひさるがけ)城(安芸高田市吉田町)に隠退した際、それに従った。... のちに父が兄興元(おきもと)に郡山城を譲って多治比猿掛(たじひさるがけ)城(安芸高田市吉田町)に隠退した際 ... 1523年(大永3)重臣に推されて家督を継ぎ、郡山城に入った。大内・尼子(あまご)両勢力の対立 ...

★相給(あいきゅう) http://p.tl/S3YX
江戸時代の知行(ちぎょう)形態。分給、分郷、相知(あいち)、入会(いりあい)知行ともいう。一円所領、一円知行に対するもので、一村が複数の領主に分割支配された知行またはその土地をいう。領主の数で二給とか三給、四給とよんだ。... また、諸藩家臣の知行地や公家(くげ)領も相給知行が原則で、岡山藩領備前(びぜん)国(岡山県)尾張(おわり)村には26給、公家領山城(やましろ)国(京都府)吉祥院(きっしょういん)村は64給 ...

★相嘗祭(あいなめまつり) http://p.tl/kOz3
上代、11月上(かみ)の卯(う)の日に天皇が諸神に新穀を供した祭り。「あいにえまつり」「あいんべまつり」ともいう。相新嘗(あいにいなめ)の略語とみられ、神に新穀をさしあげ、天皇が神とともに饗宴(きょうえん)を行う意と解されるが、あるいは諸神合同の新嘗の祭りと考えるほうが原義にかなうともいえる。... 相嘗にあずかる神は時代を追って増加し、平安時代には山城(やましろ)、大和(やまと)、河内(かわち)、摂津、紀伊の5か国の71座の神々に奉幣(ほうへい)が行われたことが『延喜式(えんぎしき)』にみえる。 ...

★葵祭(あおいまつり) http://p.tl/zS9V
5月15日に行われる京都市北区上賀茂(かみがも)の賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂神社)、左京区下鴨(しもがも)の賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)両社の祭り。元来、賀茂祭(かもまつり)と称し、平安時代に祭りといえば賀茂祭をさすほど有名であった。... しかし、前日(申(さる)の日)に山城(やましろ)国司の行う賀茂国祭は早く698年(文武天皇2)に行われたことが ... 勅使を中心に検非違使(けびいし)、山城使(づかい)、内蔵(くら)使、舞人などの旧儀による ...

★赤松氏(あかまつうじ) http://p.tl/d59p
播磨国(はりまのくに)(兵庫県)佐用(さよう)郡佐用庄(さようのしょう)を本貫とする在地領主。室町時代播磨国守護。... 追討されて播磨国城山城(木山城)(きのやまじょう)に自害する。その領国は山名氏の領するところとなった。1456年(康正2)赤松氏一族および譜代(ふだい)の家臣らが後南朝から神璽(しんじ)を奪還した功によっ ...

★県(あがた) http://p.tl/WIYB
古代、大和(やまと)国家の地方制度。国造(くにのみやつこ)の支配する国よりも、普通は狭い領域をさし、国の下の単位となる地方もあり、県主(あがたぬし)の支配下にあった。... とくに多く分布するのは、大和、山城(やましろ)(京都府)、河内(かわち)(大阪府)、吉備、筑紫などで、そのうち大和の六県(むつのあがた)は、高市(たけち)、葛城(かずらき)、十市(とおち) ...
★県主(あがたぬし) http://p.tl/qYP4
古代、大和(やまと)王権の地方制度県(あがた)を支配した首長で、のちに姓(かばね)となる。大和王権の直轄領となった県から、その特産物を朝廷に納め、また県の神社を管理した。山城(やましろ)(京都府)の鴨(かも)県主は、賀茂(かも)神社(現在の上賀茂神社、下鴨神社の前身)を祀(まつ)り、その地域の農耕を管理していた。 ...

★朝倉氏遺跡(あさくらしいせき) http://p.tl/xnpt
福井市城戸ノ内(きどのうち)町に所在する中世城下町跡。一乗谷館(いちじょうだにやかた)跡などともいう。戦国時代に越前(えちぜん)国主であった朝倉氏の本拠地で、1471年(文明3)から1573年(天正1)まで存続した。遺跡は南北に細長い谷間とその両側の山地に立地し、山地には山城(やまじろ)、櫓(やぐら)、砦(とりで)などの防御施設が築かれ、南北二条の土塁によって区画された平地内(城戸内)には城主の居館、侍屋敷 ...

★安土桃山時代  http://p.tl/r5sb
... 桃山時代の呼称は、秀吉の晩年の居城である山城(やましろ)(京都府)伏見(ふしみ)の地がのちに桃山ともよばれるようになったことに基づくもので、秀吉当時における呼称ではない。 ...

★油座(あぶらざ) http://p.tl/540K
中世の油商人の組織。油は古くからゴマ、エゴマ、木の実を原料として製造され、多くは灯油として寺社や公家(くげ)で使用された。油は最初荘園(しょうえん)年貢として徴収されていたが、しだいに徴収が不可能になるにつれて、支配下の商人に調達させることになり、商人も保護を受ける必要性から、寄人(よりうど)や神人(じにん)として大寺社に結集し、平安後期には油座が成立した。... とくに石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に奉仕した山城(やましろ)大山崎(おおやまざき)油座(油神人)や興福寺大乗院(こうふくじだいじょういん)を本所とした符坂(ふさか)油座(春日(かすが ...

●ラクシュミー女神●吉祥天(きっしょうてん)

2012年11月10日 13時06分06秒 | 色んな情報
●ラクシュミー女神●吉祥天(きっしょうてん)
★ラクシュミー  ラクシュミー女神 http://p.tl/5S7d
吉祥天(きっしょうてん)(लक्ष्मी,ラクシュミー,Lakshmi,Laxmi)は、ヒンドゥー教の女神の一柱で、美と豊穣と幸運を司る。乳海攪拌の際に誕生した。ヒンドゥー教の最高神の1人ヴィシュヌの妻とされており、数多くあるヴィシュヌの化身と共に、吉祥天も対応する姿・別名を持っている。幸運を司るため、移り気な性格であるともいわれる。蓮華の目と蓮華の色をした肌を持ち、蓮華の衣を纏っている。吉祥天が誕生した時、アスラ達が彼女を手に入れようとしたが、失敗に終わった。あるアスラは彼女を捕まえる事に成功し頭の上に乗せたが、その途端に逃げられた。かつてはインドラと共にいたこともあったが、インドラでさえ吉祥天を自分の元に留めておく為には、彼女を4つの部分に分けなければならなかったという。
 
10月末から11月初めのインド歴の第七番目の月の初めの日「ディーワーリー」(दीवाली, Diwali/またはサンスクリット:दीपावली, Deepawali)は吉祥天を祝うお祭りである。
 
なお吉祥天はア吉祥天という不幸を司る女神を姉に持つともされ、ヴィシュヌの妻になる際に「私があなたの妻になる条件として姉にも配偶者を付けるように」とヴィシュヌに請願し、ある聖仙(リシ)とア吉祥天を結婚させ、晴れてヴィシュヌと吉祥天は一緒になったという神話も一方で残っている。
 
仏教にも取り込まれて吉祥天と呼ばれている。福徳安楽を恵み仏法を護持する天女とされる。また弁才天(サラスヴァティー)と混同される場合がある。
・別名
  ・シュリー(श्री, Srī) - 吉祥。
  ・パドマーヴァティー(पद्मावती, Padmāvatī) - 蓮を持つ女性。
  ・チャンチャラー - 移り気。
★乳海攪拌(にゅうかいかくはん)は、ヒンドゥー教における天地創造神話。
ドゥルヴァーサは厳しい修行を経て偉大なリシ(賢者)となった。彼は非常に短気で怒りっぽく、礼を失した者にしばしば呪いをかけたが、丁寧に接する者には親切であった。ある時、人間の王たちが彼から助言を受けるべく地上に招き、美しい花で造った首輪をかけて手厚くもてなしたところ、ドゥルヴァーサはとても喜び、王と王国を祝福した。その後彼はこの美しい花輪を与えるべくインドラを訪ね、その首にかけて祝福した。インドラたちは彼を丁寧にもてなし滞りなく送り出した。その直後、インドラが乗る象が花輪に興味を示したため何気なく与えたが、戻ってきたドゥルヴァーサがそれを見て激怒し、インドラたち神々に呪いをかけて能力を奪ってしまった。この機をとらえてアスラ(阿修羅)が天へ侵攻してきたが神々はなすすべがなかった。インドラはシヴァ、ブラフマーに助けを求めたが、ドゥルヴァーサの呪いは彼らにも解けない。ヴィシュヌが、不老不死の霊薬「アムリタ」を飲めば失われた力を取り戻せると言い、それを作り出すために乳海攪拌を実行することにしたが、神々だけでは不可能な作業であり、アムリタを半分与えることを条件にアスラの協力も求めた。
 
アンコール・ワット第1回廊、浅浮き彫りにみられる乳海攪拌(一部)。中央にヴィシュヌ、その下に彼の化身の亀クールマがいる。ヴァースキを引っ張っているアスラが左側に、神々が右側に描かれている。ヴィシュヌ神の化身である巨大亀クールマに大マンダラ山を乗せ、大蛇ヴァースキを絡ませて、神々はヴァースキの尾を、アスラはヴァースキの頭を持ち、互いに引っ張りあうことで山を回転させると、海がかき混ぜられた。海に棲む生物が細かく裁断されて、やがて乳の海になった。ヴァースキが苦しんで口からハラーハラという毒を吐くと、シヴァがその毒を飲み干したため事なきを得たが、彼の喉は毒によって青く変色した。
 
さらに1000年間攪拌が続き、乳海から白い象アイラーヴァタや、馬ウッチャイヒシュラヴァス、牛スラビー(カーマデーヌ)、宝石カウストゥバ、願いを叶える樹カルパヴリクシャ、聖樹パーリジャータ、アプサラスたち、ヴィシュヌの神妃である女神ラクシュミーらが次々と生まれた。最後にようやく天界の医神ダヌヴァンタリが妙薬アムリタの入った壺を持って現れた。
 
しかしアムリタをめぐって神々とアスラが争い、一度はアムリタを奪われかけたが、ヴィシュヌ神は機転を利かせて美女に変身し、アスラたちを誘惑した。アスラたちは美女に心を奪われ、アムリタを手渡した。その結果、アムリタは神々のものとなったが、神々がアムリタを飲むさいにラーフというアスラがこっそり口にした。それを太陽神スーリヤと月神チャンドラがヴィシュヌ神に伝えたので、ヴィシュヌは円盤(チャクラム)でラーフの首を切断した。ラーフは首から上だけが不死となり、頭は告げ口したスーリヤとチャンドラを恨み、追いかけて食べようと飲み込むが体がないためすぐに外に出てしまう(日食・月食)。その体ケートゥとともに凶兆を告げる星となった。
 
その後、神々とアスラの戦いはますます激しさを増したが、ヴィシュヌ神が心に日輪のごとき武器を思い描くと、天からスダルシャナというチャクラムが現れた。それをヴィシュヌ神が投げるとアスラを群れごと焼き、あるいは切り裂いた。
 
★ヴィシュヌ http://p.tl/ykjb(英: Vishnu, Viṣṇu, デーヴァナーガリー:विष्णु)は、ヒンドゥー教の神である。
三神一体論では、3つの最高神の1つで世界を維持する役目があるとされる。
 
一般には、4本の腕を持ち、右にはチャクラム(円盤、あるいは輪状の投擲武器)と棍棒を、左にはパンチャジャナ(法螺貝)と蓮華を持つ男性の姿で表される。そのためチャトゥルブジャ(4つの武器を持つ者)という称号も持っている。
 
★レンゲ(蓮華、蓮花)とは、
・ハス(蓮)の花のこと。  http://p.tl/3Bjj
・ゲンゲ。レンゲソウ。   http://p.tl/E-S9
・中華料理などの食卓で使われる陶製の匙 http://p.tl/ETkE のこと。散蓮華(ちりれんげ)http://p.tl/5fTj

★アスラ(असुर)とは、インド神話・バラモン教・ヒンドゥー教における神族または魔族の総称。ペルシャにおけるアフラ・マズダー。
 
本来、『リグ・ヴェーダ』に見られるように、古代インドにおいてアスラは悪役的な要素はなく、デーヴァ神族の王インドラに敵対することもある天空神・司法神ヴァルナの眷属を指していたが、その暗黒的・呪術的な側面が次第に強調されるようになり、時代が下った古代インドではアスラを悪として扱うようになる。「アスラはア(a=非)・スラ(sura=生)である」という俗語源説もこの転回を支持するものだった。
 
インド神話がバラモン教からヒンドゥー教へと発展し、シヴァ・ヴィシュヌが新しく主神となると、アスラはヴァルナの眷属という設定が薄くなる。そのうち、デーヴァ族に敵対する種族であれば何でもアスラと呼ばれるようになった。
 
アスラが仏教に取り込まれそれが中国に伝わると、漢字を当てて「阿修羅」と表記されるようになった。また、中国において「阿」の文字が子供を呼ぶときの接頭辞(日本でいう「~ちゃん」に該当する)と同じ表現であることからか、「修羅」とも呼ばれる。
 

★アース神族 http://p.tl/soIS(古ノルド語:Ás, Áss, 複数形:Æsir エーシル, 女性形:Ásynja, 女性複数形:Ásynjur, 古英語:Ós, ゲルマン祖語再建形:*Ansuz, アサ神族とも)とは、北欧神話における最高神オーディンを長とする神々の系統のことである。
 
スノッリ・ストゥルルソンがいくつかの文献で述べている伝説によれば、アース神族はアジアからドニエプル川下流に移り、ヴァン神族と戦うが、後に和解、人質としてニョルズとその息子フレイ、娘フレイヤを受け取った。
 
アース神族は、世界の中心アースガルズに住む。神々はしばしば巨人の脅威にさらされるが、その度にトールの剛勇やロキの頭脳で難を逃れる。世界終末戦争ラグナロクでは死力を尽くして戦うが、世界と共に滅ぶ事となる。
 

★インド思想の核心『チャクラ意識』とは何か? 吉祥文様と招来されるラクシュミ女神 http://p.tl/zdZ9
★4つの手と4つの足を持つ女の子ラクシュミちゃん。in インド http://p.tl/9PtR

●チベット問題

2012年11月10日 09時07分51秒 | 色んな情報
●チベット問題
ダライ・ラマだけが正しい訳ではないようだ。
支那の方も良いことはしていない。
問題には色んな側面を含んでいることを考えて行かないと解決しても解決に成らないことも多いのでは。
弾圧は行けないけれども当事者の両方の意見を聞くのも大事なことだ。
チベット問題を知っていたことでも も一度見直してみてはどうだろうか。
 
 
★チベット問題  http://p.tl/dnIz
チベットに対する中華人民共和国の支配・統治にともなって生じる各種の問題である。特にチベット人による独立運動への弾圧、弾圧にともなう中国軍によるチベット人の大量虐殺や人権侵害が大きな争点である。
本記事ではチベット問題について中国政府の見解とチベット亡命政府の主張を対照させながら、概説する。
★【超入門 チベット問題】  http://p.tl/p-t5
★チベット問題の歴史淵源  http://p.tl/WCGB
★チベット問題について   http://p.tl/SJn6  http://p.tl/Qk5m
★解放前のチベットは農奴制社会 http://p.tl/m1kX


★マイ日本 pekapekaさんの日記 一部抜粋  http://p.tl/wXiy
解放前のチベットは農奴制社会
 一九五一年の解放以前、チベットは、歴代ダライ・ラマを代表格とする封建的大地主によって支配される「政教一致の神聖国家」であった。
 国土は人口の約五%にすぎない大地主に支配されていた。貴族、官僚はもちろん、チベットの高僧もまた大地主であり、住民の大部分は人権がない農奴であった。かれらは「話す馬」として極貧の状態におかれ、平均寿命はわずか三十六歳、文盲率は九割以上で、売買の対象だった。農奴が「人」となったのは、五一年の解放以降のことである。
 チベット仏教はこの大地主支配の「精神的支柱」であり、「現世で苦労するほど来世で報われる」などという教義で農奴をダマし、無給労働(ウラグ)でさらに搾り取っていた。家庭に男子が二人以上いれば、一人は強制的に僧侶とされた。
 五九年のチベット暴動??ダライ・ラマ十四世のインド亡命につながった??は、社会主義建設によって土地と農奴を奪われた地主階級による反動的なものであり、後述するように米国の後押しによって引き起こされた。
 このように見れば、十四世が「民主主義」や「人権」を振りかざすのは、ペテン以外のなにものでもないことが分かる。ダライを支持する人びとは、チベット人民に「農奴に戻れ」と説教するつもりか。

★ペマ・ギャルポのつぶやき(1) チベット問題の本質 . http://p.tl/Tw9o
★『・世界に流れる中国兵によるチベット人虐殺動画 ~チベット問題が世界中に認知されることを祈って~』 http://amba.to/QzsiK3
★『・新疆ウイグル自治区で再び大規模な住民蜂起 ~拡大する占領地での独立運動~』 http://p.tl/bSY2
★『チベット問題を拗れさせた原因は朝日新聞にある。』 http://amba.to/RK8I21
★チベットの歴史  http://p.tl/Iekx
チベット問題を知らない人が読んだら、カルト系サイトじゃないかと思われるかもしれない 」と指摘を受けました。これは僕も以前から気にし ... でもやっぱり、ある程度の解説は 必要だと思うので、チベット問題についてちょっと軽く触れておきます。

★チベット問題の整理  http://p.tl/vIYi
★チベット問題【憧れの大地へ】 http://p.tl/fCZZ
★日中愛好協会(正統)-チベット問題資料館 http://p.tl/pZ29 中国共産党中央カラだけの目線だけで見ているもの
★国民が知らない反日の実態 - チベット侵略の正体 http://p.tl/fxZr
★チベット - Wikipedia  http://p.tl/DHYf
★2008年のチベット騒乱 - Wikipedia  http://p.tl/lcNe
★朝日新聞の中国報道問題 - Wikipedia http://p.tl/EGiZ
1960年代から現在に至るまでに、朝日新聞社発行の『朝日新聞』に掲載された中華人民共和国に関する記事が、中国共産党の利益に叶うように偏向、歪曲されているという指摘である。批判の論旨は、「『朝日新聞』の報道が中華人民共和国寄りである」「『朝日新聞』は一党独裁の全体主義国家である中華人民共和国(中国共産党)と癒着している」といったものである。『朝日新聞』の中国関連報道に対する批判本としては、朝日新聞社OBでジャーナリストの稲垣武の著作などが出版されている。

●よみがえり 【蘇り/甦り】 ●(ぬえ)鵺、鵼、恠鳥、奴延鳥  「ぬえ」という鳥が鳴くと人が死ぬ

2012年11月10日 07時01分06秒 | 色んな情報
●よみがえり 【蘇り/甦り】 ●(ぬえ)鵺、鵼、恠鳥、奴延鳥  「ぬえ」という鳥が鳴くと人が死ぬ
★よみがえり ―がへり 0 【▼蘇り/▼甦り】三省堂 大辞林
よみがえること。蘇生(そせい)。

★アドニス(ギリシア神話) http://p.tl/Okdb
ギリシア神話の美少年。この人物の神話はシリアに起源し... この神話は、冬の間枯死(こし)し、春になると芽生えて繁茂する植物の生態を象徴している。シリアやキプロスでは、毎春アドニスのよみがえりを祝う祭りが行われた。[執筆者:小川正広 ...
★アドメトス  http://p.tl/KcRV
ギリシア神話の英雄。テッサリアのフェライの王で、カリドンの猪(いのしし)狩りやアルゴナウテスたちの遠征に参加した。... だれかが身代りに死ねば彼の長生きを許すと約束させた。身代りには妻のアルケスティスがなったが、彼女はヘラクレスの助けによってよみがえり、ふたたびアドメトスと長い間幸福に暮らした。 ...

★いけ花(いけばな)
... いけ花の初期は「たてはな」といい、それが江戸初期に様式を完成させて「立花(りっか)」の形式を生むと、立花が当時のいけ花の名称となった。また茶の湯の流行により茶室の花が生まれると、単に「花(はな)」とよび、「お花」などという呼び名もここからおこった。... 花の盛りには花を供える土俗があったというのは、霊のよみがえりを図る呪術(じゅじゅつ)的儀式にほかならず、そこには花を活霊(かつれい)としてみる民俗があったことを物語る。 ...

★ゴースト・ダンス  http://p.tl/s1c7
19世紀後半に北米先住民(アメリカ・インディアン)の間におこった千年王国論的な宗教運動。... ゴースト・ダンス(幽霊踊り)とよばれる儀礼を行うことによって、死者の霊がよみがえり、バッファローの大群が再来し、白人は消滅し、昔の楽園がもたらされると信じられた。 ...

★最後の審判(さいごのしんぱん) http://p.tl/kY3e
現世界の悪が究極的に神によって審(さば)かれるという「最後の審判」の思想は、古くはゾロアスター教や古代イスラエルの預言者にみられる。... [執筆者:月本昭男] 美術 キリスト教美術において、審判者イエス・キリストを中心に死者のよみがえり、義人と罪人の選別、天国および地獄などを上下左右に配したいわゆる最後の審判図は ...

★使徒信条(しとしんじょう) http://p.tl/q9bA
キリスト教会はきわめて初期のころから、弁証と教育のために信仰の内容を表現するうえで簡単な定式を用いていた。『... 陰府(よみ)にくだり、3日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり ... 交わり、罪の赦(ゆる)し、身体(からだ)のよみがえり、永遠の生命(いのち)を信ず。 ...

★千年王国(せんねんおうこく) http://p.tl/zd_u
千福年、至福(しふく)千年ともいう。キリスト教の終末論の一形態で、「ヨハネ黙示録」20章の字句どおりの解釈に基づく。... そこで罪人たちもよみがえり(第二の復活)、審判を経て火の池に投げ入れられる(第二の死)。一方、義しい人々は天国(神の国)の永遠の至福のなかに入り、終末は完成する。 ...

★端唄(はうた) http://p.tl/FVkh
日本音楽の一種目。1分ないし3分程度の小歌曲。大半は作詞・作曲者未詳であるが、江戸末期の名ある文化人の手になったものが多いという。日本全国で愛唱され、幕末から明治期にかけて非常に流行した。だれもが知っていたという点では、義太夫(ぎだゆう)節とともに双璧(そうへき)をなす。ことに、他の種目のように劇場や花柳界が背景ではなく、家庭音楽としてもてはやされただけに... 端唄は新しくよみがえり、現代の文化として定着した。  なお、地唄(じうた)や琵琶(びわ)にも「端唄」という呼び名はあるが、いずれも曲目の分類名にすぎないのでここでは割愛した。 ...

★人魂(ひとだま) http://p.tl/6LzF
火の玉ともいい、死者の霊をいう。人が死ぬときに人魂が出るといい、夜分に出ると青色の光を発して空中を飛ぶという。地上に落ちたものを見ると「こんにゃく」のようなものという。人魂が川を越すと本人はよみがえり、あと3年ぐらい生存できるともいう。大分県旧大野郡(現、豊後大野(ぶんごおおの)市など)では、「ぬえ」という鳥が鳴くと人が死ぬのでこの鳥を「ヒトダマ」とよんでいる。 ...

★惑星ソラリス  http://p.tl/_oSL
1972年にアンドレイ・タルコフスキーが監督したソ連映画。原作はスタニスワフ・レムのSF小説『ソラリスの陽(ひ)のもとに』だが、レムはこの映画をSFではなく、ドストエフスキーの『罪と罰』だと酷評した通り... クリスは過去の記憶がよみがえり自責の念から懊悩(おうのう)する一方、コピーであるハリーは実物になってクリスとの真実の愛を求めようとするがかなわない。 ...

★ぬえ 1 2 【▼鵼/▼鵺】三省堂 大辞林
(1)トラツグミの異名。
(2)平家物語などで、源三位頼政に射殺されたという怪物。頭は猿、体は狸、尾は蛇、脚は虎に、それぞれ似ていたという。
(3)((2)から転じて)得体の知れない人物のこと。
★鵺 :ぬえ  隠語大辞典
半鳥半獣の怪物の意から転じて、えたいの分らぬものにいう。
★ぬえ
出典:『Wiktionary』 (2011/03/04 07:08 UTC 版)
名詞
ぬえ【鵺、鵼】
1.トラツグミの別の呼び名。
2.空想上の動物。頭は猿、胴体は狸(たぬき)、尻尾(しっぽ)は蛇、手足は虎でトラツグミの様な声で鳴く。
  (略)城のその屋根の上へ、山も見えぬのに、鵺が乗って来そうな雲が、真黒な壁で上から圧附けるばかり、鉛を熔かして、
     むらむらと湧懸って来たろうではないか。(泉鏡花『南地心中』)
3.複数のものが混合されて出来上がったもの。
   口頭伝承と、言語とは、別なものである。そして後者は、段々時代の経るに従うて変化して行くもので、民族が古ければ古い程、
   多く変化する。が、口頭伝承の方は、一部分は、時代と調和するが、段々時代の経過するにつれて、其処に変な、鵺のやうな文章が出来上る。
   (折口信夫『古代に於ける言語伝承の推移』)
4.正体がよくわからなかったり、曖昧なもの、こと。
関連語
語義3
キメラ、キマイラ
★(ぬえ)鵺、鵼、恠鳥、奴延鳥 ウィキペディア http://p.tl/z7nO
鵺、鵼、恠鳥、奴延鳥(ぬえ)は日本で伝承される妖怪や物の怪である伝説の生物。
この意が転じて、得体の知れない人物をいう場合もある。
元来、鵺とは夜に鳴く鳥のことであり、『古事記』『万葉集』にも名が見られる[2]。この鳥の正体は、現在ではトラツグミのこととするのが定説である。
この鳥の寂しげな鳴き声は平安時代頃の人々には不吉なものに聞こえたことから凶鳥とされ、天皇や貴族たちは鳴き声が聞こえるや、大事が起きないよう祈祷したという。
★ぬえ【×/×鵺】大辞泉
源頼政が退治したという、伝説上の妖力をもった怪獣。頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎、声はトラツグミに似るという。
★ぬえ【鵺】   大辞泉
謡曲。五番目物。世阿弥作。平家物語などに取材。旅僧の前に鵺の亡霊が現れ、源頼政の矢に射殺されたときのありさまを語る。
★鵺(ぬえ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
能の曲目。五番目物。五流現行曲。世阿弥(ぜあみ)作。出典は『平家物語』巻四「鵺の事」。諸国一見の僧(ワキ)が摂津(せっつ)国芦屋(あしや)の里に着く。里人(間(あい)狂言)に宿を断られ、川のほとりの堂に泊まる。川から怪しい者(前シテ)が現れ、自分は夜な夜な宮廷を脅かしたため、源頼政(よりまさ)の矢にかかった鵺の亡霊であるがと、その最期のさまを語る。頭は猿、尾は蛇(くちなわ)、手足は虎(とら)、鳴く声は鵺に似た怪しい存在である。丸木舟に乗って闇(やみ)に消えるが、僧の祈りにやがてその正体(後(のち)シテ)を現し、仏法を妨げ、天子の命をとろうとしたその悪心も、ついに滅亡したありさまを演じて、また暗い世界へと沈んでいく。退治されたものの側から、源頼政の栄光が語られるわけであるが、滅びゆくもののロマンを鵺という怪物に託した、世阿弥の名作の一つである。
[ 執筆者:増田正造 ]

●きんたろう 【金太郎】●『紙芝居』の歴史

2012年11月10日 06時06分03秒 | 色んな情報
●きんたろう 【金太郎】●『紙芝居』の歴史
★きんたろう〔キンタラウ〕【金太郎】
(1)源頼光の四天王の一人、坂田金時(さかたのきんとき)の幼名。相模の足柄(あしがら)山に住む山姥(やまうば)の子といわれ、獣を友として育った怪力の持ち主。浄瑠璃・歌舞伎では怪(快)童丸の名で登場。
(2)
1.(1)をかたどった人形。
2.《1が掛けているところから》ひし形の布地の三つの隅にひもをつけた、幼児の腹掛け。

★さかた‐の‐きんとき【坂田金時】  http://p.tl/elrg
平安後期の武士。相模足柄山に生まれたと伝えられる。幼名、金太郎。源頼光の四天王の一人。後世の御伽草子などで伝説化され、五月人形となって残る。浄瑠璃・歌舞伎では快(怪)童丸の名で登場する。生没年未詳。
・「酒田」とも、また、「公時」とも書く。

★金太郎(童話)  [単語記事] - ニコニコ大百科  http://p.tl/Uafi
金太郎は、赤い腹掛けが特徴。常にまさかりを担いでおり、体が赤くて太く、怪力の持ち主。またの名を怪童丸。
足柄山に住み、熊や猿、鹿などを友達とし、相撲や乗馬(乗熊?)が趣味。
ここらあたりは童謡でも概ね歌われているので、知っている人も多いだろう。
しかし、実在の人物だったこともあってか、金太郎の存在は知ってはいるものの、物語の概要を詳しく説明できない人が多い。また、金太郎伝説は足柄山のある神奈川県や隣接する静岡県のほか、長野県などにも存在する。
金太郎の好きな食べ物はおにぎりと焼き芋である。おにぎりは、動物たちと相撲を取った後に動物たちに分け与えるなど、金太郎の優しい一面を表している。
また、「まんが日本昔ばなし」に登場する金太郎は青い腹掛け1枚で過ごしており、お腹が空いたときに母親からもらった焼き芋をたくさん食べている場面があるが、焼き芋には繊維質がたっぷり含まれており便意を促す働きがあることがよく知られており、実際に「まんが日本昔ばなし」の金太郎にはそれをよく表している下記のエピソードがある。
金太郎は焼き芋をたくさん食べ過ぎたので、翌朝になって急激な便意を感じたので、急いで猿といっしょに外に出ることになった。金太郎は腹掛けを付けていてもお尻が丸見えなので、腹掛けを付けたままでお腹に力を入れて「うう~んっ」と勢いよくふんばると、金太郎はでっかくて長いうんこをいっぱい出た。うんこがいっぱい出たことですっきりした金太郎は母親に「おっかあ、でっかくて長いのが出たぞ」と呼ぶと、母親もすぐに金太郎のところへやってきた。母親が金太郎のところへ行くと、金太郎のでっかいうんこを見て「ほんにまあ、でっかいうんこじゃね。元気な証拠じゃ」と、でっかくて長いうんこが出た金太郎は元気な男の子である証拠として褒めていた。


★大江山 おおえやま http://p.tl/kvDx
石見神楽の演目。平安時代、源頼光が配下の四天王と共に大江山に住み都を荒らす鬼とその頭領である酒呑童子を退治する。

★酒呑童子 しゅてんどうじ  http://p.tl/Az7A
酒呑童子(しゅてんどうじ)は、京都と丹波国の国境の大枝(老の坂)に住んでいたとされる鬼の頭領(盗賊であったとも)である。他の呼び名として、酒顛童子、酒天童子、朱点童子と書くこともある。室町時代の物語を集めた『御伽草子』などによると、酒呑童子の姿は、顔は薄赤く、髪は短くて乱れた赤毛、手足は熊の手のようで、背丈が6m以上で角が5本、目が15個もあったといわれる。彼が本拠とした大江山では龍宮のような御殿に棲み、数多くの鬼達を部下にしていたという。
★鬼退治伝説の意味  http://p.tl/tCwg
大江山の位置する丹後地方は古くから大陸との交流が深く、帰化人は高度な金属精錬技術により大江山で金工に従事、多くの富を蓄積していた、これに目を付けた都の勢力は兵を派遣、富を収奪し支配下に置いた。このような出来事が元になり自分達を正当化、美化しようとの思いから土蜘蛛退治や鬼退治伝説が生まれたのではないかとする説もあり、帰化人が山賊化し非道な行いをしたので鬼と呼ばれたという説もある。

★金太郎飴(きんたろうあめ) http://p.tl/IstW
飴細工の一つで、東京都台東区根岸に所在する株式会社金太郎飴本店の登録商標である。日本の昔話の主人公である金太郎の顔の睫毛や瞳などを含む目・鼻・口・月代(さかやき)などの色を模した板状の飴をあらかじめ用意し、切った断面が顔の形になるように各部位に配置した後、適当な太さに細長く伸ばし切断したもの。すべての工程は飴が熱く柔らかいうちに行われる。
題材は基本的には金太郎の顔だが、金太郎の顔でないキャラクターや文字などの場合もある。これも金太郎飴と呼ばれることがある。
但し、正式名称は「組み飴」と言う、名前の由来は、職人が大阪に修行に行った時、大阪では「おかめ」「福助」の絵柄だったが、関東では足柄山が近かった為に名付けられた
これから派生して、人や意見について、杓子定規で個性がなくどこを取っても同じようなことを「金太郎飴的」と表現することがある。英語では同趣旨の慣用句として「Cookie-cutter」(クッキーカッター。“どこから見ても同じ見え方”)がある。

★紙芝居(かみしばい) http://p.tl/1tSQ
絵を見せながら演じ手が語って進める芝居的パフォーマンスのことで、主に子供たちを対象にした簡易な芸能である。
明治時代以降存在した「立絵」の紙芝居と、世界恐慌時代に立絵が廃れた後で誕生した「平絵」の紙芝居とに大きく分けられる。
★紙芝居の系譜  http://p.tl/xWWH
現在見る形式の紙芝居は戦前と戦後に1回ずつのブームに沸いた後、内容が教育的でないなどの批判に遭って自主規制したため自由奔放な発想を失ったこともあり、お株をテレビに奪われて急速に衰退していった。
現在では、街頭紙芝居はほとんど廃れ、代わって一般市民が「手づくり紙芝居」を楽しんでいる。
・源流
 古来より、日本には「絵解き」と言って、絵を見せながら物語を語って聞かせる伝統があった。『源氏物語』にも、女房が姫君たちに絵巻を見せながら物語る場面が出てくる。寺では僧侶が曼荼羅や寺の縁起を「絵解き」で参拝者たちに語って聞かせた。
時代が下り、江戸時代から明治・大正にかけて、小さな穴から箱の中の絵を覗くのぞきからくり縁日の見世物小屋で楽しまれた。絵だけではすぐあきられるので、これに語り(のぞきからくり節)をつけたものが人気を博した。
また同じ時期に寄席や縁日で楽しまれた、写し絵、手影絵、影絵眼鏡もまた、「絵を見せながら語る」という点で、紙芝居の源流と言うことができる。この延長線上に無声映画があり、映画館では活弁士がスクリーンの前で熱弁を振るった。

★紙芝居とは (カミシバイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 http://p.tl/gWQc
★民話の部屋 立ち絵紙芝居〔明治末期〕 http://p.tl/ZirI
立ち絵のはじまりは、明治20年頃、落語家の円朝の弟子の新さんという人が絵が上手かったので、自分の得意としていた「西遊記」や「忠臣蔵」を絵に描かせて、駄菓子屋で1枚1銭で売らせ、当時の子供がその絵をくりぬいて竹の串に貼り付けて楽しそうに遊んでいるのにヒントを得て、新さんと興行師丸山善太郎という人が考え出したとされています。

★kamishibai 紙芝居ノート6 歴史  http://p.tl/qoSE
★昔の紙芝居 紙人形が舞台動き回る(2011年6月27日)http://p.tl/n94g
★紙芝居ストーリー-誕生から現代まで - デヂタル紙芝居ネット http://p.tl/uoIQ
★デヂタル紙芝居ネット(カミシバイ.net) : : 紙芝居年表   http://p.tl/S5Of
★みかん、紙芝居のルーツ立絵を探る! 2010年8月22日: 紙芝居語り手 http://p.tl/I7YH
★立ち絵紙芝居|かみけん!【茨城大学紙芝居研究会】 http://amba.to/XqscfF
★『紙芝居』の歴史|紙芝居屋「三橋とら」の日常ε=( ・_・) http://amba.to/XqsO4T