原理は2つ以上は間違い

重力場の存在は加速度系の絶対性を否定した

やさしいメッセ-ジ

2007-03-07 23:07:20 | 自然科学
一般相対論のメッセ-ジ
皆さんが目にする物理現象は例えていえば球のようなものであるというものです。誰がいつどの方向から見ても同じです。「同じ」という言葉にはすこし説明をつける必要がありますが、精神は同じです。そのため少し相対論誕生の歴史を話してみたいのでお許しください。相対論が出来るまでは、ある1つの物理現象、たとえば「リンゴが落ちる」ということは地上にじっと立っている人と地上を一定の速度で走る電車に乗っている人は違うように観測すると思われていました。地上の人は「自分に対し真っ直ぐ落ちる」と述べるであろうし、電車の人は「リンゴが床に付くまでに電車が走るので少し後ろにずれて落ちる」と述べるであろうと。ところがよく観察するとリンゴはどちらも「その人に対して」真っ直ぐ落ちるのです。電車の速度に関係ないのです。やはり電車の中の人も「自分に対して真っ直ぐ落ちる」リンゴを観測したのです。それ故リンゴの落下のような「力学現象」に限定すれば物理現象は「慣性系」(=リンゴを観察する2人の関係)では「同一に観測される」と言うことになりました。球を観測すれば誰でも同じ形に観測します。これを「ガリレイの相対性」と言います。次に問題になったのが光の速度ですが、これも慣性系では同一になってしまいました。詳しくはのべませんが、光の伝播という「電磁気現象」にまで相対性が拡張されたのです。光の伝播という現象が球に相当します。それでも「加速度系」つまり、地上にいる人と、発車して速度を増しつつある電車の人の関係などでは相対性は無いと思われたのです。加速度運動をしている人は周りに何が無くても「自分は加速度運動をしているのがわかる」と述べても良いと思われていました。ところが地球などの真の重力場が存在すると重力圏内では加速度系と慣性系の区別が出来ないので加速度系でさえも慣性系と同等とみなすしか出来なくなったのです。加速度運動していると思っても、もしかしたらそこは重力場かも知れないからです。ここでこのような事実を説明する理論が等価原理というものです。詳しくは他の本を参考にして頂きたいのですが、ここで球に相当するのは「慣性質量と重力質量の比」です。これは任意の系で不変の値1を取るのです。この事実がある以上、たった1つの側面である重力場とはいえ見逃すわけには行きません。加速度系の独自性は重力場の存在により打ち砕かれ重力場の存在こそ一般相対性理論の要となったのです。かくして「任意の物理現象はどの立場から見ても同等である」となりました。加速度運動をしていようがいまいが、物理現象はどなたにも公平に同じに観測されていると言うものです。