「マツモト建築芸術祭」は18会場で開催されていて、1日では回りきれなかったのでまた別の日に出かけました。この日最初に訪れたのは「かみかわ建築設計室」…大正14年に医院併用住宅として建てられた木造2階建ての看板建築です。周囲はステンドグラスもはめ込まれて洋風に仕上げてあります。
内部は和風と洋風が同居していました。
展示作品はアーティスト「МISSISSIPPI(ミシシッピ)」…京都在住の画家さんの作品は温かみのあるものでした。
ここは昔は医院、今は設計事務所…おもしろ看板や粋なデザインの建物のパネルも展示してあって注目でした。
もう一つ注目は入り口にあった看板…「まつもと水発見室」と書かれていて、ここの方に伺うと松本は良質の地下水が豊富なのでその地下水を利用しようというプロジェクトだそうです。この建物庭でも井戸掘りの工事をして水が出たところで、今後この会社ではこの井戸水を使っていくと話されていました。
この一つ西の通りは東町通り…善光寺街道の案内もある宿場町で古い家も残されていました。
善光寺街道沿いにある「レストランヒカリヤ」…明治20年に建てられた商家の蔵屋敷です。取り壊しが検討されていたこの建物、レストランとして再生されました。黒漆喰の壁に観音扉の付いた窓が印象的です。
こちらの建物から奥の蔵に向かいます。この内部はおしゃれな空間でした。
奥にあるレストランのある蔵座敷も奥の蔵も国の登録有形文化財に指定されています。
ここで展示されているのはアーティスト「後藤 宙」…主に糸を使った作品でその造形の美しさに惹かれました。
蔵の窓から見える風景や蔵の前の盛り塩にも注目して見てきました。蔵をおしゃれに変化させた空間も出来ていました。
次に訪れたのは「珈琲茶房かめのや」…明治期創業の老舗菓子店が喫茶を構えていた場所を受け継いでいるコーヒー専門店です。昭和レトロな喫茶店の構えはとても懐かしい雰囲気でした。
ここに展示されていたのはアーティスト「飯沢耕太郎」…写真やドローイングやコラージュなどと詩も発表されています。
ちょうどお昼時でしたので喫茶店のランチをいただきました。お勧めのビーフカレーとBLTホットサンドです。他にナポリタンなど懐かしの喫茶店メニューがありました。アート作品に囲まれて美味しくいただきました。
次は「かき船」…昭和8年に開業した牡蠣料理を提供する屋形船です。松本城総堀に浮かんでいます。
ここの展示はアーティスト「中島崇」…大規模な作品は光を捉えて輝いていました。この方の作品は松本市役所展望室にもありました。このお堀の向こうのビルは市役所です。
この付近ではかなりの年月大切に使われてきたであろう建物が見られました。
次に訪れたのは「上土シネマ」…大正時代から90年にわたって親しまれた映画館ですが、今は閉館しています。懐かしいポスターや薄暗い廊下、屋内の公衆電話のボックスなどが見られました。
ここの作品はアーティスト「河合政之」…ヴィデオ・アーティストとして様々な映像を発表している方です。変化する色の映像が流れていました。
和菓子屋さんで桜餅の看板の中の「大島桜」の葉を使用しているとの記載に注目し、小松パン店さんで予約した牛乳パンを購入したりして歩きました。大島桜の葉は娘が塩漬けにして送ってくれているので桜餅を作ろうと思ったことでした。
辰巳の御庭の湧き水とサザンカの花を見、繩手通りを横に見て女鳥羽川を渡り、「信毎メディアガーデン」へ行きました。
「信毎メディアガーデン」は下諏訪町出身の建築家「伊東豊雄」さんが手がけて2018年に出来た建物です。新聞社の社屋ですが一般に開放され、お店も入っています。
ここの展示はアーティスト「井村一登」…黒曜石を加工した作品が並んでいて、さまざまに変化した作品に注目でした。
「信毎メディアガーデン」の前の道は本町通り…この先、女鳥羽川を越えて大名町通りになって松本城に至ります。「メディアガーデン」の前から西に延びるパルコのある伊勢町通りは「野麦街道」に続いていて標識がありました。牛つなぎ石も街道の名残でしょうか。
本町通りから中町通りに入る方向を指さす「善光寺街道」の標識がありました。中町通りは蔵が多く、なまこ壁の街並みが続いています。小さな路地の両側も蔵造りです。
「善光寺街道」は中山道から善光寺に至る道で、塩尻市の洗馬で中山道と別れて松本を経由して北に向かっています。松本の街中の道はこの地図で印をつけてみました。中町通りの現在地の場所から東町通りを北へ向かっています。
この日は帰りに松本の知人宅を訪問しました。玄関に鉢植えの梅があって見事に花盛りでした。春を感じたひと時でしたがこの日は寒く、塩嶺峠の温度表示は午後3時で0℃の真冬日でした。
盛りだくさんの「マツモト建築芸術祭」…素敵な建物とアートを2日間かけてようやくほとんど見ることが出来ました。2日目のこの日歩いたのは7548歩でした…
や蔵がきちんと残されているのも、松本の街に
規模があり、経済力があったからでしょうね。
途中、越中屋という看板が右手に見えるカーブ
の画像、良い角度の写真ですね。日本の街中
って、ヨーロッパと違い、あまりこういう小さな
カーブって少ないですよね。
レストランヒカリヤの黒い建物も立派なこと。
二階の窓なんてすごい。壁の厚みも感じますね。
やはり大きな街です。堪能しました。
街をあげてイベントを盛り立てようという
気持ちが強いのでしょう。
ずいぶん大きな催しになっているのですね。
目の保養、口の保養にもなって?
くちこは、和洋折衷時代の洋館、好きですよ。
和館が繋がっている洋館とかね。
ステンドグラスも好きだす。
良い雰囲気の街並みが素敵です。
「マツモト建築芸術祭」を二日間にわたって楽しまれたのですね。
そういえば、昨年の大町の芸術祭は、
お泊まりしながらの二日間でしたっけ?
あの時もほぼ全作品を見て回られたんでしたね。
本当にアートがお好きなんですね! それに行動力もすごい!
今回の記事も、まぁ、写真が多いこと!
思わず数えちゃいました(笑)
見学もですが、写真を撮られるだけでも大仕事ですね。
そして、掲載写真を選ぶのがまた大変そう〜
写真に添えられている説明も、素晴らしいです!
あれこれ調べながらだと思いますが、
それでもとんとん拍子でブログ更新されて、ただただ感服です♪
3回にわたる記事をじっくり読ませて&見せていただいて、
松本の素晴らしさを再認識したところです・・・
建築芸術祭は、タッジーマッジーさんのためにあるような企画ですね。
本当にお疲れ様でした。
わたしも久々にお出かけしたんだけど、
その記事は食べ物の写真ばかりで、お恥ずかしいですよ。
こんな風に、永久保存版のブログ記事が載せられるような、
お出かけをすればいいのですが、やっぱりお出かけ目的は、
食べることが多くなってしまいます。
花より団子的な・・・(笑)
松本城も明治の初めに壊される危機があったそうですが、
住民の力によってその危機を逃れ、護られたようです。
古い建物を大事に残して使い続ける気風があるのでしょうか、
松本にはその後の近現代の建物が残されています。
そうですね、経済的な基盤もなければこうは残せませんね。
このカーブのある道は「なわて通り」
その昔は松本城の総堀と女鳥羽川にはさまれた土手のような所で、
縄を伸ばしたような地形から「なわて(繩手)通り」と名付けられたそうです。
小さなお店が長屋風に並んでいて魅力的な場所です。
レストランヒカリヤの建物は素晴らしいですね。
この観音扉の付いた窓と黒漆喰の壁に注目で、
よくぞ残してくれたと嬉しくなる建物です。
建物とアートのコラボはあちこちで行われていますが、
松本の街はそれにふさわしい場所かと思います。
地元の方々の思いも感じるイベントでした。
ここには江戸時代の城下町で発展した名残もありますし、
近現代の古い建物も比較的残っているかと思います。
こうした建物を見るのは目の保養になりますし、
懐かしい喫茶店メニューで口の保養もできました。
和洋折衷のレトロな洋館も良いですね。
そうした建物を大事に使っている方々がいるのも嬉しいこと!
ここはお城と明治から昭和の建物と近代的なビルが同居していて、
こうした街の雰囲気はいつ訪れてもいいものですね。
昨年から始まったこの芸術祭、昨年は一日で回って、
疲れましたし、全部見学できなかったので、
今年は初めから2日間の計画でした…
そういえば昨年の大町も2日がかりでした。
とにかく齢重ねて何事も時間がかかります(笑)
それに写真を整理して記事にするにも時間がかかり…
これも年々億劫になりつつありますがどうにかやっています。
少しでも頭の刺激にもなっていればいいなと思いつつ(笑)…
ブログの世界を教えて下さったみさとさんに感謝です!
こうして歩いてみると松本の素晴らしさを感じますね。
見ることと同時に食べることも大いなる刺激!
脳の活性化に好奇心と美味しいものをいただくことが役立つそうです…
お出かけの目的が食べ物って言うのは素晴らしい選択です!
私もこの日、小松パン屋さんの牛乳パンを予約して手に入れました…
美味しいものをいただくのは嬉しいことですね。
中には、宿敵長野市への対抗心があったかも
しれません。
県庁を最終的には長野市に
盗られ、その怨みはかなりなもののはず。
その争いの過程で、長野市に明らかに勝てる
ものと言えば、その一つが松本城だったか
もしれません。
なーんて勝手に想像しました。
長野県は南北に長く大きな県ですから、
県庁をどこにするかは大きな問題だったことでしょう。
その対抗意識は大きかったことと思います。
長野に県庁が行ってしまいって、
より一層松本城への思いも深まったのかもしれません。
そして日銀や大学を呼び込んだようです。
その後空港も…
松本もなかなか頑張りましたね。
この二つの都市の歴史は面白いです…
信濃毎日新聞と書いてあり、その下に
長野本社とあり、さらにその下に松本本社と
ありますね。
それを見て私は、あー、こう書かないと
いけないんだろな、松本支社ではまずいん
だろなぁと思ってます。シンマイの売れ行き
にも影響するかもしれませんしね。
しかし明らかに諏訪が本拠の新聞である
長野日報は、もともとは違う名前だったのに
逆に県内拡販を狙ったのか長野日報という名前
に変更。すでに諏訪だけではなくなってるの
でしょう。
信州は面白いです。あの名曲、信濃の国も
長野の国じゃまずいのでしょうね(笑)
健脚でないと出来ないアート鑑賞ですネ。
松本は豊かな経済力で、建造物にはかなり資本を投入している印象を受けます。
木造の建物が多い時代に石造りや当時最先端のコンクリートを使用した建造物が多いですものネ。
時代を経ても風化することなく現存している事からも解りますネ。
「いちい」の木の刈込は旧家で良く見かけましたネ。
今は殆ど見られませんネ。
その昔、私は「かき船」に牡蠣料理を食べに行った事がありますヨ。
しばらく、松本に行っていませんが・・・
現存しているのですネ?!
ビックリ‼
私が行ったのはもう20年以上前ですが・・・
その頃でもかなり古びた印象でしたが、改装しながら維持営業を続けられているのですネ。
中町も縄手通りも何処も変わらない様な気がして・・・
アートより先に、建物が懐かしくて一気に拝見しました!!