八ヶ岳の山梨県側の北杜市を訪ねたドライブの続きです。須玉町の「三代校舎ふれあいの里」に行ってみました。明治時代の小学校の建物「津金学校」が以前から気になっていたのです。その建物は明治8年に建てられたものです。この写真も設定ミスのまま撮ってしまったもので、おかしなことになっていますが…
明治初期の和洋折衷(擬洋風)建物は松本にある国宝「開智学校」や里山辺にある「山辺学校」を見ていますが、この「津金学校」もとても素敵な雰囲気の建物でした。隣には大正時代の学校の建物があって、これもまたいい雰囲気を醸し出していました。ここでは農業体験ができるようですが、冬季閉鎖中でした。
その隣には昭和の学校の建物もあって、こちらはレストランなどが入っているようでした(冬季閉鎖中…)
明治初期の建物の「津金学校」の内部は博物館として公開されていて見学してきました。入り口にあったオルガンとかなり急な階段です。
教室の机も椅子ももちろん木製…長年使いこまれた様子が良く分かりました。二人分繋がった机も記憶のどこかにあります。
展示室には昔の学校の備品なども展示されていました。注目は給食のセット…昭和40年くらいのもののようです。
教科書も古いものがあれこれ展示されていました。国語の教科書です。
この地区には蔵の鏝絵も残っているようで展示されていました。以前に信玄の棒道を歩いた時に小淵沢から甲斐小泉に至る道で鏝絵を見かけたことを思い起こしました。この地区にも鏝絵職人さん(左官屋さん)がいたようです。
この建物の上には「太鼓楼」があって、太鼓が吊るされていました。太鼓をたたいて始業や終業の刻を告げたのだそうです。
この学校に残されていたピアノには「根津さんのピアノ」と表示されていました。山梨県出身の実業家「根津嘉一郎」さんから昭和8年に贈られたものだそうです。根津美術館も根津記念館も思い起こしながら、根津嘉一郎さんの偉業に思いを馳せました。
まだまだあった懐かしいもの…こんなおもちゃも蓄音機も展示されていました。
学校の床の板張りも廊下の様子も往時のまま残されているようでした。
明治、大正、昭和の学校が残る「三代校舎ふれあいの里」…古き建物と残された物たちを興味深く見ることが出来ました。校庭跡には桜の木が植えられていて、サクラの花が咲く頃にも来てみたいものだと思いつつ帰途につきました…
思ってしまいました(笑)
全然違いましたね。はやとちり。
最近古い校舎を新しい用途に使う機運が
全国的にあってとても良いなと思います。
勉強机もすごくいいですね。
シンプルな全部木でできた机。
給食のお皿も、なんだか懐かしいー。
私の時代もそんなのでしたよ。
私の小学生時代は昭和40年代に入って
しまいますから。
天気の良い日のドライブだったのですね。
やっぱり青空は気持ちがいいです!
やはりこの写真もカメラの設定によるものだったのですね。
前記事の山はすぐに分かりましたが、
こちらは、なんてメルヘンチックな建物だろう…って思ってしまいました(笑)
逆に、こんな設定というのも、使い方によってはおしろいですねぇ〜
「津金学校」は小学校の建物なのですよね。
内部の写真で、階段があまりにも段差が高くて驚きました。
給食のセットが懐かしいです。
こんな風におでかけができて、よかったですねぇ〜
その後倦怠感など残ってませんか?
ものすごく寒いですから、暖かくしてお過ごしくださいね♪
明治時代の擬洋風建物で連想されるのは
やはり松本の開智学校ですね。
この建物は小さいですが雰囲気はよく似ていました。
こうした建物の用途として、なかなか良い使い方!
ここの農業体験もレストランも時期には賑わっているようです。
学校給食のメニューが提供もあるようです。
この勉強机は懐かしかったです。
私の頃は木製のものばかりでした。
机の上が蓋になっているタイプもうありました。
そうそう暖房は石炭!
これは珍しい事かと思います。
だるまストーブでした…
給食のセットも懐かしいものです。
長いことこのスタイルの学校給食が続いて、
多くの方が親しんだ風景かと思います。
昨日も今日も冷え込んでいますね。
今日諏訪湖に行ったらかなり氷っていました。
ニュースでは全面結氷と言っていましたが、
風が出て薄い氷は岸に打ち寄せられている感じでした。
御神渡りへの期待もありますが、難しいかもしれません。
このお恥ずかしい写真…どうしようか迷ったのですが、
証拠写真として載せてしまいました。
取説も読まず使っていて、改めて勉強し直さねばと反省!
どうしたらこんな写真になるのか、不思議です…
この津金学校は小学校として使われていたそうですが、
この急な階段はちょっとビックリでした。
しかも手すりの無いところもあって恐る恐る上りました。
懐かしいものがたくさん展示されていて、
特にこの給食に使われたものは注目でした。
ここでは懐かしい給食メニューも食べられるようでした。
いつもご心配いただきありがとうございます。
ようやく体調が戻ってきて動けばるようになりました。
寒い日々なので少しずつ無理の無い範囲でやっております。
本当に雪と寒さの毎日、みさとさんもお気をつけ下さいね。
ようこそ、山梨へ!!
「津金学校」
気にしてくださっていたのですね~。
義母の同級生も津金出身の方がいらして、この地のこと気にしていたのですが
それは私たち夫婦が偶然に「津金小学校」に立ち寄った話をしてわかったことなのです。
私ももう一回行きたかったのですが それがないいままた義母は逝ってしまいました。
カメラの設定ミスも また不思議が雰囲気を醸し出しておもしろいですね。
「白鳥がぬめっとしている」なんて(言葉を選んだつもり)でコメントしていました。失礼いました。
津金学校
この建物の方式は「藤村式建築(山梨県だけの呼び名かな?)」
「とうそん」ではなく 明治時代の知事「県令・藤村紫朗(ふじむらしろう)」指導の下で建てられた擬洋風の学校建築なのですが(ご存知でしたら失礼)
特に山梨県、長野県に多かったようですね。
松本の旧開智学校は「国宝」ですものね。
私の母校も塔屋のついた「藤村式建築」(記念誌写真より)なかなかおしゃれだったんだなぁと記念誌の写真を眺めていました。
私の時代は木造校舎(二代目ですね)、給食セットのアルマイト皿は懐かしいこと!
この教科書は父たちの時代のものです!!
根津さんのことはタッジ―マッジーさんも「お馴染み」ですね。
根津記念館にあるピアノは「昭和5年」に寄贈されている(記念館オープン前には文化会館に飾られていて写真撮影OKでした)
きっと地元なので第一号だったのでしょう。
私も小学校時代は根津さんのピアノにお世話になりました。(もう、鍵盤が硬くて重くて指の力が必要でした)
八ヶ岳のこっち側の旅
あれこれと反応していたのですが PCが不機嫌+Wi-Fi不具合。
「人生で一番ヒマ」なんて書いてしまったとたんに
「ささらほうさら=甲州弁、めちゃくちゃ いろいろなことが(悪いこと)が重なる」
コメントの出し遅れになってしまいました。
私も行ったのです。八ヶ岳のこっち側、
「八ヶ岳おろし」を体験してきました。
寒いですね。
体調が戻られている様子で一安心ですが
ほんとに無理なさらないでくださいね。
この一文は復活
↓
私は たまには違う道を通ろうと、偶然に行った「津金」のですが
学校の近くに「海岸寺」というところにも立ち寄りました。
アジサイ咲く中の石仏群に感激してきました。
追伸したのはその石仏の製作者は
「長野県高遠の出身で江戸時代後期の名工であった守屋貞治」と知っ、紹介したくなりました。
詳しくは↓ こちら
http://www.tsugane.jp/meiji/rekisi/sutama/kaiganji.html
あら、津金学校のHPでした。
どうすればこのように写るのですか?
私の普通のカメラでも設定で出来るでしょうか?
凄く興味があります。
古き学校っと言っても一番上の玄関(?)モダンですネ。
絵画の様な写真の写し方も素敵!
是非、写し方を教えてください。
勉強机も懐かしい!
百葉箱の中には風向計がありましたネ。
私の時代は少し古いので給食は毎日は無かった様な??
余りに昔で記憶の彼方です。
興味深くコメントを拝見し、
たくさん確認してお返事したいのですが、
ネット環境を無い所にいて、
スマホでは覚束無いので、
また改めてお返事いたします。
すみません…
この写真、どうしたらこうなるか謎…
PCの無い場所で検索もままならず、
また改めてコメントいたします。
すみません…
ずっと気になっていた「津金学校」!
ようやく行ってきました。
近くのようで遠い八ヶ岳の向こう側…
こんな時期でしたが、見どころ満載でした!
takeさんも行かれたのですね、この津金学校…
しかも偶然に立ち寄られたのですか!
そちらには見どころがたくさんあってこうしたことも起こる、
本当にいい所ですね。
それなのにこんな写真ばかりで何とも残念でお恥ずかしい限りです。
どこをどう設定してしまったか夫に見てもらったら、
設定の項目がとってもたくさんあって、その設定ミス…
ピクチャーエフェクトという項目が絵画調になっていたようです。
「津金学校」の「藤村式建築」は解説で初めて知りました。
擬洋風建築は山梨県からだったのですね。
開智学校もこの「藤村式建築」を参考にしたとの記述もありました。
takeさんの母校もこの「藤村式建築」だったのですか!
それは凄いことですね。
この塔屋がついているのが特徴ですね。
ここの太鼓楼も興味深く見てきました。
給食セットは私の時代も同じでしたが、
この教科書はかなり古いものですね。
それでもあれこれ懐かしく思いながら見学ができました。
根津嘉一郎さんが登場したのは嬉しかったです。
この根津さんのピアノは山梨県下全ての学校に送られたとか…
素晴らしいお話ですね。
takeさんも身近で触れられたピアノだったのですね。
美術館のこともそうですが、財を社会に還元される姿勢…
改めて立派な方だったと敬服するばかりです。
どうにか少し遠出ができるようになりました。
お心遣いの言葉をありがとうございました。
寒い毎日、takeさんもお気を付け下さいね。
追伸もありがとうございました。
学校の近くに「海岸寺」というお寺があったのですね。
それは気づきませんでした。
アジサイも石仏もそれに石工の守屋貞治にも興味津々!
津金学校のHPも見て行ったつもりでしたが、
この校舎のことばかり頭にあって目に留まらなかった?
この日は残念でしたが、今度また必ず行ってみます!
海岸寺の存在、それに長野県にもう一体ある千手観音の存在も知り、
故郷の光前寺にある石仏も思い起こしました。
高遠町歴史博物館に展示されていた高遠石工の道具なども目に浮かび、
思い出したり検索したりして興味が尽きなかったです。
教えていただきありがとうございました。