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やっぱり、気楽にいこう!

つれづれなるままに

あわれかな・・・

2005-08-12 09:32:09 | Weblog
くだんの愛知県選出の某前衆議院議員、こんどは自民党愛知県連にも見離されたようである。
こうなるともうみっともないを通り越して、あわれ、気の毒である。
かの議員にも言い分があり、支持者の意向は法案に反対だろうと思って、反対票を投じたのであろうが、ともかくもこのざま、完全な読み違い。

一人の議員の動向をおってみるといろんな人間模様がみえてくるものだ。
民主主義の非常な側面である。選挙に落ちればお大尽からただの人に転落である。時には犯罪者になることも・・・

非常といえばこの猛暑の中、街頭に立って選挙運動をせねばならないのもそうである。ご苦労さんなことだ。
選挙運動とは有権者へのご機嫌取りにほかならないが、こっちにしてみれば街宣車で大音響でがなり立てられたり、選挙に動員させられたりすることのほうがより鬱陶しい。

現今の選挙運動が馬鹿馬鹿しくみえてならないのは私だけであろうか。

鼻で笑う

2005-08-11 19:26:09 | Weblog
 先日このブログで紹介した自民党の造反組の愛知県選出の某国会議員(支持者に土下座した人)は、郵政民営化法案に反対はしたが、実は自分は政策としては賛成であったと執行部に弁明書を提出したというのだ。

 私は決して立派な人間ではない。
 人道には反しないが、恥ずかしくて人にいえないことも、だらしないこともたまにはやることがある。

 けれども国会議員が堂々とこんな恥ずかしいことをしていいのかと思う。ポリシーとは政治用語であるが、この議員にはポリシーどころか、恥も外聞もないようだ。だったら最初から法案に賛成すればいいのに、どうも世間の風が造反組に厳しく吹き始めたのであわてて執行部にしっぽをふりはじめたのであろうか?


iTunes Music Store

2005-08-05 08:10:37 | Weblog
とうとう始まりました!日本でもこのサービス。
iTunes Music Store
なんとダウンロードできる曲が100万曲。
たいがいの街のCDショップに売っているアルバムなら即座に買えてしまいます。しかも一曲単位から。
これは音楽業界に革命を起こすだろう。
私としては最近あんまり音楽聴かないけど。

神風特攻隊 2

2005-07-15 09:44:09 | Weblog
フラッシュ
真実はどこに

 日本もイラクと同じようにかつて米国の露骨な干渉を受けたことがある。

 しかも二度。はじめは幕末のペリーの来航であり、次は日米戦争の最後通牒とされる ハルノートの提示である。これにより当時の日本はやむをえず開戦にふみきらざるをえなくなった。
 それにしてもこれは勝てるわけのない無謀な戦争である。物資兵力ともに米国には格段に劣っていた。なんとしてでも戦争は外交努力によって回避すべきであったとおもう。
 回避すべきではあったが、始まってしまったものは終結させなければならない。太平洋戦争末期、圧倒的不利な状況の中、日本国の存続のため、すこしでも有利な講和をせねばならない。そのことは心ある当時の日本国軍人全員が心から理解していたと思う。

そこに戦争の悲劇としかとらえられなかった「神風特攻隊」ほか魚雷「回天」等、犠牲的攻撃を強いる、敵からみれば常軌を逸したとしか考えられない日本軍の作戦の歴史的意義があったと考えたい。

 つまりこうした作戦で命を落としたかたがたはけっして犬死にではなかったということがいいたいのである。

 太平洋戦争当時、いうまでもなくミサイルなどというものは開発されていなかったが、「神風特攻隊」の出現は、現代のスカッドミサイルが突然当時の戦場に投入されたようなものであったと思う。250キロの爆弾を搭載した零戦がパイロット自ら索敵し、照準を定めて決死の覚悟で突入してくるのである。これはもう迎撃を免れればほぼ百発百中であるから、敵からみればこれほどの恐怖はなかったであろう。

 兵器というものはその破壊力以上に、心理的な影響を敵に与えるものである。このように日本軍が残り一兵卒にいたるまで、カミカゼの精神で決死の覚悟で抵抗するとすれば、米国にとってもこの戦争を維持することは多大な負担である。この思慮から、カミカゼはいちはやく日本との講和にこぎつけることの政治的判断の材料となったはずである。この米国の焦りが原子爆弾の投下につながったと考えるのは私だけであろうか?つまり常軌を逸した作戦に対する、常軌を逸した兵器、つまり核爆弾である。
 いうまでもなく核が戦場で実際に使用されたのは後にも先にも広島と長崎の2度だけである。東京裁判によって、いわゆるA級戦犯とされた人々は「平和に対する罪」を犯したとされるが、核爆弾の使用がどうして「平和に対する罪」とされないのかはなはだ疑問である。実際に米国人弁護士により、この疑問が東京裁判において提出されたが、たちどころに当局によって却下されてしまったという経緯もある。

 ともかく「神風特攻隊」の出現によって、米軍の本土上陸さらに、日本国内での殲滅戦を躊躇させ、米国に講和を急がしめたのは事実であるとおもいたい。それでなければこの常軌を逸した戦法で命を落としたかたがたが浮かばれない。



神風特攻隊 1

2005-07-14 08:20:13 | Weblog
神風特攻隊という言葉から何を連想するであろうか。

「戦争の悲劇」「軍国主義の象徴」「人命軽視の無謀な作戦」、現代の学校教育を受けた私たちからみれば、およそ肯定的なイメージからはほど遠いであろう。戦後の日教組による教育方針に批判的である私でさえもいままで神風特攻隊に肯定的な考えはもっていなかった。

ともかくこのフラッシュを見ていただきたい。

真実はどこに

自らの命を犠牲にして、敵に突入していくという、欧米人からしてみれば、極めて無謀で常軌を逸したこの戦法は、日本軍にとって当時の極めて不利な戦況のなか、米軍を恐怖にふるいあがらせたことであろう。
 例の2001年9月11日のニューヨークの同時多発テロは、明らかに日本軍のこの戦法を参考にしたものであり、それ以降今日にいたるまで反米イスラム系の過激派による自爆テロは世界を震撼させつづけている。
 こうした過激派の行為を容認することなどけしてできない。しかしなぜ彼らがそうゆう行為に走らざるをえないかということは一考の余地があるとおもう。

 米国というのは自らの価値観を絶対的な正義と考え、それに従わないものは圧倒的な軍事力と経済力によって制圧しようとする。
 たとえば米国とイラクの関係を見た場合、サダムフセインが米国に敵対し、イラク国内でいかに非民主的で専制的な政治をおこなっていたとしても、大量破壊兵器の保持を理由に、米国はイラクにたいして開戦にふみきり、政権を崩壊させてもいいという理由はない。これはヤクザの難癖と同じである。しかもこの戦争には石油利権のにおいがぷんぷんする。
 そうした米国の陰謀をイラク国民が肌で感じとらないはずはなく、かりにこの理不尽な戦争で自分の親族や子供が殺されたとしたら、かれらの反米闘争に立ち上がりたくなるという気持ちもわかるような気がする。

トカトントン

2005-07-12 09:58:31 | Weblog
 今の若い人は太宰 治の小説など読むのだろうか?

 あまり人生を後悔してはいけないが、僕の若いころ、後悔すべきことのひとつは太宰の小説にはまってそのほとんどを読んでしまったことだ。
 人の心の琴線に触れ、何らかの感動を生じさせるのが芸術であるが、太宰の文学の場合、人間のダメな部分の琴線を刺激する場合が多いような気がする。読者は自分のダメな部分で小説家と共有体験をし、その意味で太宰文学は魅力的なのだが、若いうちは自分のダメな部分になどあまり目を向けるべきものではなく、もっと希望を感じさせてくれるような小説を読むべきであったと思う。たとえば司馬遼太郎のような。
 太宰自身も破滅的な生涯を送ったが、かれの苦悩が小説に投影されており、その苦しみが読者に伝染するので、ある意味太宰の文学は危険だ。若い人はあまり彼の小説を読まない方がいいと思う。

『トカトントン』はある青森に住む郵便局員から、小説家である太宰がある人生相談の手紙をうけとったという形式からなる短編小説だ。
 その人生相談の内容とは、何かに興味を持ち、奮い立ってそちらの方向に進んでいこうとすると、どこからともなく、「トカトントン」という金槌で釘を打つ音が聞こえてきて、やる気が萎えてしまうのでどうしたらいいかという内容である。

『トカトントン』の主人公は実にダメな人間である。が、だれでもそうゆうダメなところはあるのである。その心の隙間に太宰の小説は入り込む。あーそうだな、そうだなと思っているうちに太宰にはまってしまうのである。


水神様

2005-07-08 08:43:55 | Weblog
 このところ多忙であることもあったのだが、なぜか心身ともに調子が悪く、朝の目覚めも悪く、ブログの更新もできなかった。
 昨夜など、北朝鮮のような専制国家からの脱出に失敗し、秘密警察に追われるという悪夢にうなされ、眠っては悪夢の連続という珍しい体験をした。
 忙しくて、屋ぐろの草も刈れなかったので、ひさしぶりにぼうぼうとなった水神湿地(私が命名)周辺の草を刈っていたところ、写真の水神様の石がどっかにいってしまい見つからず、狼狽したが、ごろんごろんと水の中に転がって、落ちているのを発見した。
 ちなみにこの水神様の石は人が見えないものが見える近所の「りょうおばあちゃん」が「(水神様が)あんまり喜んでおらっせんぞん』というので、私がおまつりしたものである。
 そこでこれはいかんとおもい、水神様の周辺の草を刈り、きれいにして、酒や水などをお供えして、「般若心経」をおとなえして謝罪し、供養差しあげた。これで幾分か気持ちが楽になった。
 この水神様はむかしからここに住みついていらっしゃるようで、怒らせるとうちの家族に不幸を与え、喜ばせるといいことがあることを体験的に私は感じているので、大事にせねばならないのだが、ついつい怠ってしまった。

水神様ごめんなさい。

極東国際軍事裁判

2005-06-26 08:48:03 | Weblog
Brunoくんから極東国際軍事裁判(東京裁判)についてのコメントをいただいたのでお返事させていただきます。

 いわゆる東京裁判は戦争の勝者が敗者を裁くという性質のもので、決して公平な裁判とはいえませんが、この裁判でA級戦犯に指名された人々をも含む、国民を無謀な戦争な導いた当時の国家指導者たちの戦争責任と事蹟について知ることは、昭和の戦争がなんであったのかということを考えるうえで必ず必要なことであると思います。

 だからといってかれらとヒットラーを同列に論ずることは、はたしてどうかと思います。

 いわゆるこれらA級戦犯とされた人々が、1978年に靖国神社に合祀されたことについても、国内には賛否両論あるけれども、個人的な意見では国家元首が過去の戦没者たちの追悼を行うことは国際的にもきわめて通常のことであり、当然のことであると思います。
 また昭和天皇は終戦以来、1975年まで普通に靖国神社にお参りされていたようでありますが、それまでは中国からのしつこい干渉はなかったのでしょう。

 この点で日中関係における靖国問題に関しては、日本国内のこうした国家主義的な存在に対して敏感に反応する特定の集団・層というある勢力を利用して、日本国内の世論を分断しようとし、日中外交を有利に運ぼうとする中国の政治的陰謀を見抜くべきであり、国内には様々な意見の相違があることは承知していますが、決して中国の尻馬に乗り、踊らされるのは日本国民として懸命な道ではないと思います。

参考に面白いフラッシュがあるのでよろしければ見てみてください。

大日本帝国の最期 第参幕

「大日本帝国」などというと右翼の街宣車を連想すること、私も例外ではないですが、かつては幕末の戦火をくぐった志士たちによって建国され、文明的にはまったくヨーロッパの先進国から隔たっている状態から、短期間で近代化を成し遂げ、欧州系民族以外でははじめて世界の第一等国として君臨し、大国に虐げられているアジアや北欧の国々に勇気をあたえた、誇り高い国家であったことも記憶にとどめておきたいと思うのです。







ひまつぶしに・・・

2005-06-22 09:54:24 | Weblog
DXフラッシュリンク集

おちゃらけから、大作までいろいろあって結構楽しめます。歴史物の「朝鮮戦争前編」「朝鮮戦争後編」は必見。
日本軍が負けて太平洋戦争が終わり、その後朝鮮半島で何があったかということがたちどころにわかります。
先の戦争では日本軍が残虐非道なことをやったと、このごろさかんに中国や朝鮮から避難されるけれど、戦争とは所詮大量殺戮を目的とするところ、国家が戦争状態にあれば日本軍でなくても残虐非道なことは行われるはず。けしてそれを肯定してはいけないが・・・
人民解放軍であれ、金日成の軍隊であれ、朝鮮戦争という戦争状態にあれば相当なことをしたはず。
その反省もなしに、国家が国民に対して反日教育をおこない、意図的な敵対心を生じさせるのは決して理性的な国の所行ではないですね。