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やっぱり、気楽にいこう!

つれづれなるままに

モネ・睡蓮の池

2005-06-17 08:51:34 | Weblog
世界救世教の地上天国祭で熱海の瑞雲郷にいってきました。
MOA美術館のモネ・睡蓮の池周辺にはモネの自宅から移植したという睡蓮や、様々な美しい花が咲き誇っていました。
瑞雲郷の建物、庭園、また美術館の芸術品はどれをとっても非常に美しいですが、すべてが教祖の岡田茂吉師の指示によってつくられ、収集されたとのことです。

救世教の教祖岡田茂吉師は昭和宗教界最大の偉人です。

彼の教えとその実践である「浄霊」は無数の人々の苦しみを現実に救っています。
それにたいして既成の宗教の側は現実にどれだけの人々の苦しみを克服させることができるだろうかと反省することが多々あります。
私はその意味で門外漢なので、救世教を讃えるのは勇気のいることですが、じっさいに「浄霊」によって難病を克服している人々を目の当たりにすることによって、岡田教祖の素晴らしいことを実感せざるを得ないというのが現実です。
岡田教祖の教えを見聞するに、医療と健康について考えさせられることが多くなりました。
また現代の医療の現場ではいかに誤ったことが平然と行われているかということがだんだんわかってきました。

晴耕雨読ー恵みの雨

2005-06-15 10:29:29 | Weblog
山の水がからからだったので、久しぶりの雨はよいお湿りとなった。
雨の日はとりあえず農作業を休めるので、好きな本を読んだり、ギターの練習が思いっきりできる。
衣食住に欠けるところはないし、カネはないが、そのかわり自由な時間がわりとあるので理想的な生活なのだけれど、どこかで満足できないのはやはり「にんげんだもの」(相田みつを作)
こうして雨の日も晴れの日もあーだこーだ過ごしながら一生終わるのだろうなあ。

万博・・・結局踊らされてしまったなあ(-_-;

2005-06-11 16:56:27 | Weblog
とうとう万博に行ってしまった。

 計画の当初からこの万博には反対だった。今でも基本的にこの気持ちは変わっていない。
巨額な国家予算を投じ、自然破壊をおこなってつくったこの会場の建造物のほとんどは、取り壊されてゴミとなるのだという。自然と共生、自然の叡智というが、聞いてあきれる、やりきれない思いだ。だから万博には行くまいと思っていたが、結局行ってしまった。

 炎天下の中、行列のあるところにはけして並ぶものではない。が、いきなり藤岡のバス乗車場では1時間待たされてしまった。入場ゲートから会場に入るまでにもかなり待たされた。検問やらボディーチェックがまたうざったい。テロ対策というが、これくらいのガード、プロのテロリストならその気になれば簡単に突破するだろう。

 この時点で子供はすでにぐずぐず状態である。グローバルループ上から入口ゲートを見ると、さらに黒山の人出である。ちゃんと帰れるか不安になった。
 やっと入場できアフリカ共同館に入館して一息ついた。それにしてもパビリオンとはいうが、土産物屋が軒を連ねている印象だ。
 昼時になったので食事をしようとしたが、何処もかしこも行列でしかも席がない。高い入場料を払って、ファーストフードの立ち食いという屈辱だけは避けたい。さいわいマレーシア館の裏手に比較的人通りの少ないスペースがあり、テーブルとベンチもあったのでそこでそそくさとマレーシア館で購入したカレーとナン、ナシゴレンで昼食をとった。

 それにしてもわたしにとって楽しかったのは企業館のハイテクではなく、各国パビリオンの芸術や芸能だ。写真のちょっと関根 勉似のインドのパーカッション奏者の演奏は超絶といってもよかった。ふらふら歩いているところで偶然出会うことができる素晴らしい演奏や芸術。そうした方面に興味がある人には通し券でしばしば通うことはけっして損ではないと思う。

 夕方には渡辺貞夫のパフォーマンスを観る。ショーが始まって司会者から演奏者の真ん前に行っていいという許可があったので、目的のブラジルパーカッション集団オロドウンのかぶりつきに陣取り、テンションアップ。セネガルのグループも素晴らしかった。

 結局いろんな意味で踊らされてしまったなあというのが感想です。

うめ収穫祭

2005-06-09 09:26:39 | Weblog
今年も恒例のうめ収穫祭が梅園で行われます。
6月19日(日)に予定しております。
チラシもBrunoくんにお願いしてできてきました。デザイン感覚はさすがです。
ことしは東海テレビ「てれび博物館」の取材が入ります。
タレントの森野熊八さんが来て、地元の主婦の皆さんと梅を使った料理を披露してくださるとのこと。
肝心の梅の成りですが、天候不順のためあまりよくありません。
梅雨時ですが、当日はを期待しております。

西国観音霊場巡拝

2005-06-04 08:04:15 | Weblog
旧東加茂道交会の観音霊場巡拝団は、200有余人の善男子、善女人の皆様方とともに、今回は近江、若狭、丹後のお寺を中心に、西国観音霊場巡拝にいって参りました。
こうして毎年、観音様のお参りに出かけられることに感謝、合掌。
写真はいわずと知れた天橋立。

とよかもふれ愛フェスタ

2005-05-30 08:08:26 | Weblog
とよかもふれ愛フェスタにて演奏
野外はちときつかったが、フリマの方は順調にほぼ完売。お客さんとのやりとりも楽しい。
当日演奏されたベンチャーズのコピーバンドのドンキーズ、隆月くん、カワイくんに6月19日の梅収穫祭りのイベント出演の依頼をしてきました。よろしくお願いします。

ミンダナオ島の元日本兵

2005-05-28 19:04:11 | Weblog
 奇しくも、日露戦争から100年というこの年に、フィリピンのミンダナオ島の山中に元日本兵が二人存在していることが報道された。
 先の戦争に従軍されたかた、また経験されたかたがたにとって、このニュースは万巻胸に迫るものがあるに違いない。私とて例外ではない。私は東京オリンピックの年に生まれ、高度経済成長とともに成人し、衣食住の苦労というものを知らない。しかしあの昭和の大戦で中国や南方に派遣され、辛酸をなめたお年寄りたちの話をうかがうにつれ、想像にあまりある、戦争の悲惨さを感じ取ることができるからである。

 ミンダナオ島の元日本兵のお二人は、軍法会議で罰せられることを心配して帰国を躊躇されているという。
 おなじように旧日本軍人で30年もグアム島におられた横井庄一さん、またルバング島におられた小野田寛郎さんが帰国されたことのことを私ははっきりと覚えている。
 「恥ずかしながら・・・」と申し訳なさそうに帰国された横井さんにたいして、小野田元中尉は眼光鋭く、ぼろぼろの軍服を着ておられたが何となく子供心に恐ろしい感じであった。
 上官の武装解除の命令があるまでは決して油断されなかったため、わざわざ戦争当時の元中尉の上司がフィリピンに赴いて小野田さんを日本に連れてきた。いまおもえばあの小野田中尉の姿は(映像をとうしてではあるが)私が目の当たりにした最初で、最後の生身のサムライの姿であったのかもしれない。
 その後、小野田さんは日本の軽薄な世相に愛想が尽きたのか、ブラジルに移住されてしまった。その際も無言であったように覚えている。誠にこれがサムライというものではないか。こんにちお年を召した小野田さんの映像を目にすると、当時の眼光はすでになく、穏やかな姿になられているのがとても印象的だ。

 たいへん失礼ながら横井さんにしても、小野田さんにしても、経済成長に踊りまくっている当時の日本社会にひょっこりと現れたその様子は、なんとなく滑稽であったことも事実であった。それは当時、日本の軍部にひきづられながら、ずるずると戦争の泥沼に引き込まれ、圧倒的な経済力と兵力に差のあるアメリカ相手に戦ってしまった日本社会の滑稽感と相通ずるところがあるような気がする。

 ともかくミンダナオ島のお二人の(もっと存在しているという情報もある)が横井さんや小野田さんのような生活をされているのではなく、現地で家族をもって幸せに暮らしておられることを願ってやまない。あるいはそうでなければ90を目前にする高齢まで生存はされていないであろう。そしてぜひ帰国が実現してほしいと思う。

 それにしてもかれらの望郷の思いはいかばかりのものであろう、そしてもし帰国されたならばいまのこの日本の世相をどのような目で見られるのであろう。

 じつに万感胸に迫るニュースである。

日本海海戦から100年

2005-05-27 09:35:44 | Weblog
日本国にとって歴史的記念日であるこの日が、どうして国民の祝日になっていないのか非常に疑問である。

それはともかく100年前の今日、午前4時45分、哨戒船信濃丸は対馬沖において「敵艦見ユ」の第一報を大本営に向けて発信した。
この情報を受けて連合艦隊司令長官東郷平八郎中将は「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直二出動、之ヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の指令を発令した。この指令自体詩的に思えるのは私だけだろうか。

 司馬遼太郎さんはこの戦争について、
「日露戦争というのは、世界史的な帝国主義時代の一現象である事には間違いない。がその現象の中で、日本の立場は追いつめられた者が、生きる力のぎりぎりのものをふりしぼろうとした防衛戦であったこともまぎれない。」
と述べている。

 まさに日露戦争は日本国と東アジアのアイデンティティーの存亡に関わる、世紀の一戦であった。もしもロシアに中国東北部、および朝鮮半島の支配権を許してしまえば、日本も朝鮮も中国もへったくれもあったものではない。これは断固として阻止せねばならない。朝鮮も中国もいまだ近代化しておらず、対抗できたのはわずか40年前に開国し、血のにじむ努力で近代化を推進したわが国の明治維新の元勲たちとその直接の子孫たちであった。
 かれらは政治、外交、軍事にあり得る限りの叡智を結集して、この難局にあたり、結果としてこの日本海海戦において敵バルチック艦隊を壊滅させ、ロシアに大打撃を与えた。侍はコサックを打ち負かした。
 
 東洋の名も知らぬ小国が大国ロシアの大艦隊を打ち破ったことで、ロシアの支配下にあった北・東ヨーロッパの国々や大国の植民地にあるアジアアフリカの国々にたいへんな勇気を与え、民族独立運動に希望を与えた。

逆にこの戦勝によって、日本人に驕りを生じさせ、その驕りが昭和のきわめて馬鹿げた日中戦争、そして太平洋戦争につながった。歴史の正と負の側面である。

これを機会に司馬さんの名作『坂の上の雲』をもういちど読みなおしてみようと思う。


かじや24の日ライブ

2005-05-25 10:36:35 | Weblog
ひさしぶりの24円ライブでした。
だんだん慣れてきましたが、やっぱり他の出演の人を待ってる時間は嫌なものだ。
だがこの嫌な感じが、快感にかわっていけば進歩だ。
今月の29日にはふれ愛フェスタで演奏予定。なによりも場慣れが肝心肝心。
それにしてもだいちゃんのPAは最高だ。あれこれこだわらないのがいい。
よくもあの音響の状態から立て直したものだ。だいちゃんに拍手!!

僕もかじやが開店した当時、PAをいじらせてもらったが、いまいちで、不向きだった。
PAには特殊な才能が必要なのだ。

田植の準備

2005-05-24 09:01:10 | Weblog
代掻きも終わり、田んぼには水が満ちあふれました。
いよいよ田植です。
百姓をやっていると天気に敏感になります。
それにしても今のところ今年の天候はちょっと変です。気温がなかなか上がりません。
このままでは稲の根っこが張りません。
知らない業者から在庫の保有米を10俵欲しいといわれた近所のお百姓もいます。
不作を見越して米の買い占めに動いているのだとしたら許せません。