黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

吉見百穴~前編

2013-12-16 04:28:17 | 廃墟その他
昨年のことですが、
仕事がらみで埼玉県の熊谷へ行く機会があり、
しかも早々に用件が終わってしまったので、
かねてから行きたいと想っていた吉見百穴へ脚を伸ばしました。

吉見百穴

「吉見百穴」…その名前からして奇妙なこの遺跡は、
埼玉県のほぼ中央、比企郡吉見町にある、
古墳時代の墳墓跡。
江戸時代中期の文献にその名が残り、
明治時代には居住vs墳墓論争が繰り広げられたものの、
結局現在では墳墓説が定説になっているようです。





吉見百穴

入場料を払って敷地に入ると、
いきなりそこかしこに穴の空いた、
巨大な蟻塚のような百穴遺跡が現れますが、
実際に見るとかなり大きく異様な光景でもあります。





吉見百穴

穴の配列は西から東へ行くに従って整然とし、
また、上中下段で穴の空き方が違う様ですが、
それが時代によるものか、はたまた、
埋葬した人の身分とかと関係があるのは謎だそうです。





吉見百穴

配置によっては、こういった顔の様に見える場所も。
穴の大きさは目分量で高さ約1m位です。
穴へ導く様な「羨道」を通って穴の中の玄室へと続いています。
玄室入口にはかつて「封鎖石」と呼ばれる石製の扉があり、
粘土で固定されていたそうです。





吉見百穴

玄室には「棺座」と呼ばれる、
遺体を安置する場所を造り込んだものが多くあります。
棺座はけっこう大きく、
一族代々に渡って使うためのものだったようです。
棺座手前の床麺は出入口に向かって傾斜し、
内部に入り込んだ水を排水できる構造になっていた様です。





吉見百穴

古墳時代の人々は、死後の世界を信じていた様です。
横穴の構造も、死者が出入りし易い様にとの配慮から。
そういう意味では、古代エジプトとかと同じですね。





吉見百穴

幾つかの穴には「ヒカリゴケ」が生息しています。
太陽の光を反射して発光している様にみえるコケですが、
平地での生息は極めて珍しいようで、
天然記念物に指定されています。





吉見百穴

後編へ続きます。


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