黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

沖縄 #11:久高島1

2012-05-03 08:08:30 | ロケリポ・旅
シリーズ沖縄。今回から久高島です。

以前アップした『斎場御嶽』の記事で、
丸くくり抜かれた枝越しに見える久高島へ、
次回は是非行こうと書きましたが、
ついに行く事が出来ました。

久高島
久高島/フェリー

久高島は、沖縄本島の南東の海上6kmに浮かぶ小さな島です。
本島南部の知念岬にある安座真港から、
軽自動車が数台しか積み込めない小さなカーフェリーで行く事が出来ます。





久高島
久高島

海上に出て約30分。海の向こうに久高島が近づいて来ます。
久高島は長尺が約3Kmなのに対して短尺が約500mと、
極めて細長い島ですが、
ファリーはちょうど長尺を真横から眺める角度で進むので、
かなり大きな島に見えます。





久高島
久高島

やがてフェリーは島の南端に作られた港へ入港し、
ついに神の島といわれる沖縄発祥伝説の島へ上陸です。
本島よりも更に美しい海に、期待が膨らみます。





久高島
久高島

まず最初に訪れたのは島の東側に広がる海岸。





久高島
久高島

着色した様な空や海、そして人工的に作った様に見える植物など、
ニライカナイへの入口だということを実感させてくれます。





久高島
久高島

漁師さんが使う網かと思いきや、
スナヅルという植物だそうです。
根も葉もなく、ただ人工的なオレンジ色のツタだけの植物もまた、
不思議な感じです。





久高島
久高島

強い日差しと台風から身を守る為に、
このような育ち方をしているんでしょうか。





久高島
久高島

海岸に残されていたグラスストーン。
これもニライカライからの贈り物には違いないと思います。





久高島
久高島

島の中央付近にある伊敷浜へでる手前に、
小さな拝所がありました。
この先にある浜は、正月(久高島は旧正月)にお祈りを捧げ、
家族の人数分の小石を持ち帰る事で知られる浜だそうですが、
ただしそれは久高島内に限っての事。
島外へ持ち出すと病に冒されるという言い伝えがあり、
それは、祈りの詰まった石が、
ここへ戻ろうとすることに由来するそうです。

またこの伊敷浜は、
海の向こうからから最初に五穀が流れ着いた浜、
とも言われているそうです。





久高島
久高島

伊敷浜からほど近い所に、
今から約750年前、現在の久高島に住む人々の祖先が、
移り住んだと言われる場所があります。
祖先を最も大切にする久高島では、
勿論、ここも聖地あり霊場です。

一般的に聖地と呼ばれる場所は、
それと分かる目印や建物が建っているのが通例ですが、
久高島では、そういったことはありません。
いわゆる自然のまま手を加えずに、共に生きる思想があるそうです。

画面中央の小さな香台が唯一の拝所を表すもので、
あとは祠はおろか、この場所へ入る目印すら一切ありません。



かつて岡本太郎が沖縄の御嶽を訪れ、
その何もない神聖な空間に感動を覚えたというエピソードは、
沖縄の中でも特にこの久高島の事ですが、
世の中にその存在を広めた岡本太郎は、
実は久高島の人にとってはけむたい存在のようです。

久高島は現在でも風葬で、
家族が亡くなると三年風葬し、
その後海で洗い流して納骨するそうです。

その風葬の場を無断で訪れ、
しかも内部の様子を写真で撮影して発表したので、
久高島の人達は憤りを覚え、
それ以来風葬の場所を一切公開しなくなったそうです。

…続く

久高島



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4 Comments

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 (non)
2012-05-05 14:52:28
きれいな色
海の色も
空も

岡本太朗氏調べました。
ひどいね、自分の富でやりたい放題と
いう気がしました。

風葬もすごいですね
風にさらして洗うって
魂がいつまでも残るような
気がします。

好きな人にそんなふうに
みおくられたらいいですね。

都会は時間の流れ早く
火葬にて早く思い出も
消しちゃうような気がします。

海いいな・・・
返信する
▼nonさんへ (KLO@廃墟徒然草)
2012-05-05 15:43:47
そうなんです、久高島の海や空はもう…
今回の記事ではあんまりアップしてませんでしたね。
これからもっとアップしようと思います。

岡本太郎氏の事は、
nonさんのコメントを読んで、改めた思いました。
岡本太郎さんって、そんなに富には興味ない人で、
風葬の件も、ただ驚き感動したから伝えたいと思ったんではないかと思いますが、
でも、島民の気持ちを考えてないことには違いないですね。
昭和って、実はあまり気持ちを考える、
ってノリが今よりなかったのを思い出します。
凄く荒削りな時代だったというか…

風葬って一番自然な気がします。
チベットの方では、鳥に食べてもらう鳥葬というのもあるそうで、
これはこれで人間が自然の一部だと実感できるとは思いますが、
ちょっとエグい印象を持ってしまいますね。
返信する
沖縄だから (non)
2012-05-05 19:02:12
テンペストなのかなと
思ってた。
音楽家なんですか?
いい曲
和なんだ
音楽聴きながら久高島
聴くと
神の島ね。
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▼nonさんへ (KLO@廃墟徒然草)
2012-05-07 04:01:10
そうですそうです、テンペストでは音楽を担当しました。
テンペストの仕事をさせて頂いたおかげで、
首里城へ行く事もできたし、琉球時代の沖縄も、
少しは知る事が出来ました。
よろしかったらサントラもお聞きになって下さいませ。
王朝の話なので、いわゆる沖縄音楽の感じではありませんが、
久高島に伝わる祭り<イザイホー>を取り入れた曲(M6)や、
台湾の歌手<サミンガ>さんをフィーチャーした曲も入っています。
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