黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

細倉鉱山 #01

2011-10-12 02:56:29 | 産業遺産
宮城県の北部、奥羽山脈の東側の麓にある、
細倉鉱山のシリーズです。



前回までアップして来たくりはら田園鉄道。
その終点の細倉マインパーク前駅の先には、
かつての大亜鉛鉱山であり、
経産省認定の近代化遺産群33にも選定されている、
細倉鉱山があります。→Mapion
採掘作業は1987年に終了し、事実上閉山していますが、
今でも施設を利用して、都市鉱山の再生などを行なっています。







鉱業所内の見学をしようと思って申し込みましたが、
さすがに当日の見学は無理の様で、
隣接する細倉鉱山資料館→Mapion
で予習することにしました。
敷地内にはかつての人車や鉱車などが展示され、
産業資料館の見学心を盛り上げてくれます(笑)







昭和初期のろうそくカンテラ。
あまりにカッコよすぎるデザインですが、
命の危険と隣り合わせの職場を照らすライトだと思うと、
過酷な労働条件だったことが偲ばれます。

細倉鉱山は16世紀の後半に銀山としてスタートし、
17世紀の後半には鉛の産出に力を入れる様になったそうです。







幕末の頃は隆盛を極め、
江戸時代として破格の大きさ(約6cm四方)の、
「細倉当百(とうひゃく)」という地方硬貨も作られたそうです。
基本的には鉱山内での使用だったそうでうが、
地域の通用硬貨としても使われたそうです。







昭和の初期に使われていた、
水中で撹拌沈殿させて鉱石を選別する選鉱ジッガー。
館内には鉱山の歴史が、テキストと写真で、
丁寧に解説されています。







大正時代に使われていた亜鉛精錬変流器、
とかいう装置だそうですが、
電気?鉛?って感じで、全然わかりません。
ただ、近代化産業の息遣いは、
とっても伝わって来ます。






画像はクリックで拡大します

電気も鉛も全然わからないんで、
ついついこういったものに目がいってしまいます。
特に鉱山には関係なく、
当時、こういった言葉遣いをしていた、
という参考だそうですが、
なんでまたこんな顔にしたんでしょうね?

「かばねに就いて」「つらに就いて」の「ついて」って、
こんな字を書いたんですね。
「くびた」「ももた」「あしのべら」「けつめど」「ほねから」
どれも衝撃的です。







当然ジオラマコーナーもあります。
マネキンを流用したからか、
作業員が全員、イケメンのヨーロッパ人でした。

尚、細倉鉱山の見学は、
併設された細倉マインパークがメインだと思いますが、
この時は廃線のロケがメインだったので、
マインパークへは行かず、
周囲を散策することにしました。

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2 Comments

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大切な場所。 (ズッコ)
2011-10-12 22:49:09
細倉鉱山のアノ煙突から、煙が絶える日が来るとは思っても居ませんでした。
黒い砂山に緑の草が生えるとは考えられませんでした・・・。
何を見ても悲しくなるばかりですが、しょうがナイ!!

私達にとって細倉は特別な場所です。

そんな場所に訪れてくれて、ありがとうございます。
あの頃の私達の笑い声が聞こえるようです。

幼なじみの友達と、このブログの話と細倉の話で盛り上がってしまいました。(ワタシのブログのコメント欄で・・)

思い出話は尽きません。


そういえば、あの本。
確か「細倉の方言」でしたっけ?あの本。
実家にも有ります。

私達が見ても大ウケものです。
大事な本ですよ。

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▼ズッコさんへ (KLO @ 廃墟徒然草)
2011-10-13 03:04:34
東京は日夜、街が上書きされて行って、
思い出の場所はどんどん無くなって行くのがあたりまえですが、
炭鉱や鉱山地域もまた同様に、
思い出の場所が消えて行く街なんだと、
炭鉱や鉱山跡を訪れるたびに思います。

細倉は本当に駆け足だったので、
それほど見る事が出来ませんでしたが、
それでも細倉という土地を感じる事ができました。
鉱山よりも、細倉そして栗駒という土地が、
とても好きになりました。

それにしても『細倉の方言』のイラストは、
なんでああいったテイストで書いてしまったんでしょうね。
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