宮城県の北部、奥羽山脈の東側の麓にある、
細倉鉱山のシリーズです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/75/10e6a1113057438349d7464562f0d66c.jpg?random=f28543d93c66b30aeb615a04ab3c8ad0)
前回までアップして来たくりはら田園鉄道。
その終点の細倉マインパーク前駅の先には、
かつての大亜鉛鉱山であり、
経産省認定の近代化遺産群33にも選定されている、
細倉鉱山があります。→Mapion
採掘作業は1987年に終了し、事実上閉山していますが、
今でも施設を利用して、都市鉱山の再生などを行なっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/ff/dbff035b27863da4d456cbaecc049bc6.jpg?random=f616e1a21f47e958c8f88845f27b4a66)
鉱業所内の見学をしようと思って申し込みましたが、
さすがに当日の見学は無理の様で、
隣接する細倉鉱山資料館→Mapion
で予習することにしました。
敷地内にはかつての人車や鉱車などが展示され、
産業資料館の見学心を盛り上げてくれます(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/0b/807a8fd8fb52b3ca666fcd2b646b63e0.jpg?random=e3894866dadb0b8ba4b798f5737eb6e9)
昭和初期のろうそくカンテラ。
あまりにカッコよすぎるデザインですが、
命の危険と隣り合わせの職場を照らすライトだと思うと、
過酷な労働条件だったことが偲ばれます。
細倉鉱山は16世紀の後半に銀山としてスタートし、
17世紀の後半には鉛の産出に力を入れる様になったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/bb/17e428843a2a579a7f12a3c2aff836fa.jpg?random=1a6076b150a401d74f2a815ed5dd7e37)
幕末の頃は隆盛を極め、
江戸時代として破格の大きさ(約6cm四方)の、
「細倉当百(とうひゃく)」という地方硬貨も作られたそうです。
基本的には鉱山内での使用だったそうでうが、
地域の通用硬貨としても使われたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/e7/214fe95be9a3aa2269b549f62b23356f.jpg?random=270dd214bf77bbc7d00c8667e1b2c40d)
昭和の初期に使われていた、
水中で撹拌沈殿させて鉱石を選別する選鉱ジッガー。
館内には鉱山の歴史が、テキストと写真で、
丁寧に解説されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/71/a5c47190ff39d08fb2cfdf97a93771dd.jpg?random=3e96a627856b21ab9e727e749b7970d9)
大正時代に使われていた亜鉛精錬変流器、
とかいう装置だそうですが、
電気?鉛?って感じで、全然わかりません。
ただ、近代化産業の息遣いは、
とっても伝わって来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/6d/43384d286e593930c7111dcad0cb342f.jpg?random=9a2e38f497420a857b4ad3253071bf68)
画像はクリックで拡大します
電気も鉛も全然わからないんで、
ついついこういったものに目がいってしまいます。
特に鉱山には関係なく、
当時、こういった言葉遣いをしていた、
という参考だそうですが、
なんでまたこんな顔にしたんでしょうね?
「かばねに就いて」「つらに就いて」の「ついて」って、
こんな字を書いたんですね。
「くびた」「ももた」「あしのべら」「けつめど」「ほねから」
どれも衝撃的です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/34/3b1b6575f91dcd2f6d58bf3289139e4b.jpg?random=2289a28d6b72c0170a66eb807e318a8d)
当然ジオラマコーナーもあります。
マネキンを流用したからか、
作業員が全員、イケメンのヨーロッパ人でした。
尚、細倉鉱山の見学は、
併設された細倉マインパークがメインだと思いますが、
この時は廃線のロケがメインだったので、
マインパークへは行かず、
周囲を散策することにしました。
<<< ガンバレ!東北 >>>
細倉鉱山のシリーズです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/75/10e6a1113057438349d7464562f0d66c.jpg?random=f28543d93c66b30aeb615a04ab3c8ad0)
前回までアップして来たくりはら田園鉄道。
その終点の細倉マインパーク前駅の先には、
かつての大亜鉛鉱山であり、
経産省認定の近代化遺産群33にも選定されている、
細倉鉱山があります。→Mapion
採掘作業は1987年に終了し、事実上閉山していますが、
今でも施設を利用して、都市鉱山の再生などを行なっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/ff/dbff035b27863da4d456cbaecc049bc6.jpg?random=f616e1a21f47e958c8f88845f27b4a66)
鉱業所内の見学をしようと思って申し込みましたが、
さすがに当日の見学は無理の様で、
隣接する細倉鉱山資料館→Mapion
で予習することにしました。
敷地内にはかつての人車や鉱車などが展示され、
産業資料館の見学心を盛り上げてくれます(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/0b/807a8fd8fb52b3ca666fcd2b646b63e0.jpg?random=e3894866dadb0b8ba4b798f5737eb6e9)
昭和初期のろうそくカンテラ。
あまりにカッコよすぎるデザインですが、
命の危険と隣り合わせの職場を照らすライトだと思うと、
過酷な労働条件だったことが偲ばれます。
細倉鉱山は16世紀の後半に銀山としてスタートし、
17世紀の後半には鉛の産出に力を入れる様になったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/bb/17e428843a2a579a7f12a3c2aff836fa.jpg?random=1a6076b150a401d74f2a815ed5dd7e37)
幕末の頃は隆盛を極め、
江戸時代として破格の大きさ(約6cm四方)の、
「細倉当百(とうひゃく)」という地方硬貨も作られたそうです。
基本的には鉱山内での使用だったそうでうが、
地域の通用硬貨としても使われたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/e7/214fe95be9a3aa2269b549f62b23356f.jpg?random=270dd214bf77bbc7d00c8667e1b2c40d)
昭和の初期に使われていた、
水中で撹拌沈殿させて鉱石を選別する選鉱ジッガー。
館内には鉱山の歴史が、テキストと写真で、
丁寧に解説されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/71/a5c47190ff39d08fb2cfdf97a93771dd.jpg?random=3e96a627856b21ab9e727e749b7970d9)
大正時代に使われていた亜鉛精錬変流器、
とかいう装置だそうですが、
電気?鉛?って感じで、全然わかりません。
ただ、近代化産業の息遣いは、
とっても伝わって来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/6d/43384d286e593930c7111dcad0cb342f.jpg?random=9a2e38f497420a857b4ad3253071bf68)
画像はクリックで拡大します
電気も鉛も全然わからないんで、
ついついこういったものに目がいってしまいます。
特に鉱山には関係なく、
当時、こういった言葉遣いをしていた、
という参考だそうですが、
なんでまたこんな顔にしたんでしょうね?
「かばねに就いて」「つらに就いて」の「ついて」って、
こんな字を書いたんですね。
「くびた」「ももた」「あしのべら」「けつめど」「ほねから」
どれも衝撃的です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/34/3b1b6575f91dcd2f6d58bf3289139e4b.jpg?random=2289a28d6b72c0170a66eb807e318a8d)
当然ジオラマコーナーもあります。
マネキンを流用したからか、
作業員が全員、イケメンのヨーロッパ人でした。
尚、細倉鉱山の見学は、
併設された細倉マインパークがメインだと思いますが、
この時は廃線のロケがメインだったので、
マインパークへは行かず、
周囲を散策することにしました。
<<< ガンバレ!東北 >>>
黒い砂山に緑の草が生えるとは考えられませんでした・・・。
何を見ても悲しくなるばかりですが、しょうがナイ!!
私達にとって細倉は特別な場所です。
そんな場所に訪れてくれて、ありがとうございます。
あの頃の私達の笑い声が聞こえるようです。
幼なじみの友達と、このブログの話と細倉の話で盛り上がってしまいました。(ワタシのブログのコメント欄で・・)
思い出話は尽きません。
そういえば、あの本。
確か「細倉の方言」でしたっけ?あの本。
実家にも有ります。
私達が見ても大ウケものです。
大事な本ですよ。
思い出の場所はどんどん無くなって行くのがあたりまえですが、
炭鉱や鉱山地域もまた同様に、
思い出の場所が消えて行く街なんだと、
炭鉱や鉱山跡を訪れるたびに思います。
細倉は本当に駆け足だったので、
それほど見る事が出来ませんでしたが、
それでも細倉という土地を感じる事ができました。
鉱山よりも、細倉そして栗駒という土地が、
とても好きになりました。
それにしても『細倉の方言』のイラストは、
なんでああいったテイストで書いてしまったんでしょうね。