黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

戸山ヶ原逍遙 陸軍戸山学校跡

2006-03-10 02:11:45 | ・軍都戸山ヶ原逍遙
東京新宿の北部に位置する地域は、かつて戸山ヶ原と呼ばれ、
敗戦までは大規模な陸軍の施設があった地域です。

そのほぼ中央に位置する標高44.6mの箱根山は、
江戸時代、尾張徳川家の下屋敷<戸山荘>の
庭の一部として築山された人工山で、
維新以降この一帯を譲り受けた明治政府によって
軍事演習場などが作られたそうです。

敷地内には作曲家団伊玖磨氏が所属し、
芥川也寸志氏が学んだ軍楽学校もあり、
いまでもその野外音楽堂跡が園内にひっそりと残っています。



元来の音楽堂は戦後しばらく残っていたそうですが、
現在は近年整備されたモニュメントがあるだけです。

戸山ヶ原のことをいろいろ教えて頂いたzeroさんがアップされてる、
大正12年(1923)の戸山ヶ原の地図を見ると、
現早稲田大学の文学部近くの軍楽学校と
箱根山の麓にある野外音楽堂が以外に離れてるのが判りますが、
近隣の住民への配慮だったのでしょうか。

また音楽堂のすぐ横には、
<陸軍戸山學校址>の碑がぽつんと佇んでいます。



今日3月10日は、
かつて日露戦争で大勝利を納めたのを記念してできた、
陸軍記念日でした。
そして今から61年前の今日、
あえてその日を狙って東京大空襲がありました。
死者は10万人と言われています。
最近<東京都平和の日>となった今日は、
民族とか国家とかそんなことを超えて、
敗戦の日より忘れてはならない日だと思います。

◆軍都 戸山ヶ原逍遙◆
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3 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
▼亀吉さんへ (廃墟徒然草)
2006-07-28 05:07:06
戸山ヶ原をウェブで検索していたときに、

もうURLは忘れましたが、

後半は廃屋状態だった、という記事を読んだ記憶があります。

軍楽学校の施設ですから、当然敗戦と一緒に閉鎖され、

GHQ時代は使われるものの、

その後放置されてしまったんでしょうか。



『新宿の散歩道』も『サインはV』と一緒に、機会があったら見てみます。



沢山教えて頂き、有り難うございますm(_ _)m

 

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音楽堂 (亀吉)
2006-07-27 20:49:06
芳賀善次郎著新宿の散歩道(昭和48年刊)に音楽堂の写真が掲載されています。これによると昭和18年2月に作られて、昭和35年頃取り壊されたようです。
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戸山が原 (zero)
2006-03-11 19:58:59
廃墟徒然草さん

地図へのリンクありがとうございます。

ちょいと更新しました(汗
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