黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

戸山ヶ原逍遙 陸軍技術本部・陸軍科学研究所

2006-04-30 04:01:31 | ・軍都戸山ヶ原逍遙
東京新宿の北部に位置する地域は、かつて戸山ヶ原と呼ばれ、
敗戦までは大規模な陸軍の施設があった地域です。
2ヶ月程前にアップした記事の続きになりますが、
今回のシリーズは最もディープな施設跡です。

現在は東京都健康安全研究センター、国立科学博物館分院、社会保険中央病院
がある一帯(Mapion 地図)に、
陸軍技術本部と科学研究所がありました。
これらの機関は細菌戦や化学兵器戦のための研究機関で、
特にここで行われた毒ガスの研究が、
やがて広島県の大久野島にある毒ガス大量製造工場の建設へと、
繋がっていったとききます。

建て替えの際に毒ガスボンベがみつかった、
東京都健康安全研究センター内の不要に広い空地。



前回アップした記事「戸山ヶ原逍遙 陸軍戸山学校跡」でふれた、
野外音楽堂の跡地のまわりには、
陸軍軍楽学校のことを記したものはなにもなく、
唯一陸軍戸山学校址の碑文の中に
「音楽」という文字がみあたるだけですが、
モニュメントの台座の中央をよく見ると、
ラッパを吹く天使のレリーフがあります。



おそらくこれが忌まわしくも忘れてはならない過去を、
綺麗な形で残そうとした、
新宿区の苦心の結晶なのかもしれませんね。

◆軍都 戸山ヶ原逍遙◆
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4 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
東京都健康安全研究センター (亀吉)
2006-08-01 21:03:45
百人町で生まれ育った亀吉です。ここは以前は都立衛生研究所でした。当時は今の空き地に本館があり、写真の左の建物の場所が空き地になっていました。亀吉たちはその空き地で毎日遊んでいました。陸軍時代の倉庫が放置されていて、怪しい薬品のビンがあったのを覚えています。また衛生研究所では動物実験をやっていたので、動物園みたいな匂いのするところでした。その後空き地に写真にある別館が建ち、そして本館の方が解体されたようですね。ところで実験の犠牲になった動物たちはここで始末されたらしく、今は動物慰霊碑が建っています。
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▼亀吉さんへ (廃墟徒然草)
2006-08-02 03:34:23
この一帯は、とにかく「衛生」とか「研究」とか、

そういった名称のつく建物がいれかわりたちかわり立ち続けている場所ですね。

そういう地場なんでしょうか。



昔この場所を何度か通った事がありますが、

そのおぼろげな記憶に残る建物がこの空き地に建っていた建物だったかもしれません。

今は結構綺麗な印象ですが、

もっと鬱蒼としていて、怪しい雰囲気だった記憶があります。



そうですか、犠牲になった動物たちの慰霊碑が・・・

殺虫剤のメーカーとかも、毎年一回、大供養をするといいますからね。



場所が場所だけに、国立科学博物館の分院がここにある理由を、

いろいろ思い巡らせてしまいます。

 

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リンクはらせてください (鳥居 靖)
2009-07-15 21:55:52
よくわかりやすく整理されたホームページで、感心しました。旧陸軍軍医学校跡地から発見された人骨問題の真相究明に取り組んでいる市民団体です。リンクをはらせていただいたので、ご連絡しました。もし、何か不都合があれば、以下までご連絡ください。
jinkotsu731@yahoo.co.jp
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▼鳥居靖さんへ (廃墟徒然草)
2009-07-16 11:44:32
ご訪問、ありがとうございます。
こんな軽く扱ったページを『人骨(ほね)は告発する』様からリンクを頂くなんて、
おこがましいとは存じますが、ありがとうございます。

裏の大学に通いながら、当時は731部隊だよ、としか知らず、
それ以上を知ろうとしなかったことへの反省も込めて、
アップした記事でした。

この記事が、
少しでもこの場所のことを知ってもらう切っ掛けになればいいなと
思っております。
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