黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

軍艦島:トンネルコンベア

2016-06-01 00:14:11 | 軍艦島(端島)
ブログをはじめた頃にシリーズでお送りしていた、
「あまり知られていない軍艦島」
約10年くらい前は、公開する媒体がウェブだけだったので、
一生懸命アップしてましたが、
その後、軍艦島の書籍を幾つも書くようになって、
いつのまにかアップすることもなくなってしまいました。

実際、昨年世界遺産に登録され、
あまり知られていないことも、ずいぶん無くなったと思いますが、
ブログにアップしていないことはまだまだあるので、
久しぶりにアップしようと思います。



今回はトンネル・コンベアと呼ばれる施設です。



トンネルコンベアは、俯瞰図の下中央、
スクリーンで囲ったエリアにある地下施設です。







スクリーンで囲ったエリアの拡大俯瞰図。
地下施設なので、当然地上からは見えません。
アルファベットは、続く画像に対応する記号です。







位置的には、内海側の炭鉱施設のあったエリアのうち、
製品になった石炭を蓄えていた「貯炭場」と呼ばれるエリアの地下になります。
右下手前の四角い穴が、トンネルコンベアへの入り口。
奥に見える列柱が、製品になった石炭を運搬した、
ベルトコンベアが載っていた支柱の跡です。







見学コースからほど近い拡大俯瞰図のA地点に、
1.5メートル四方の穴が2つ空いていて、
ここからトンネルコンベアへ出入りできます。
実際に人が出入りしていたのは、
エリア拡大図のAとBの間にある、
下に向いて伸びているトンネルの最下部で、
この場所は、堤防沿いの人道へと通じています。







トンネルコンベアはベルトコンベアの支柱を挟むように平行して2本あり、
その2本のトンネルを繋ぐ連絡通路が、
拡大俯瞰図のB地点で見られるトンネルです。
トンネルコンベアは、コンクリート製のボックスカルバートで、
高さは、2メートルほどです。
壁面には、かつて通電していたであろう電線ケーブルが残っています。







拡大俯瞰図の下の位置にあたるトンネルを右へ進むと、
画像のような漏斗状の構造物が天井に設置されています。(拡大俯瞰図C)
錆による腐食が進行して、下半分が崩れた姿に、
人の手が加えられない40年の時間を感じます。







上の画像のように、入口に近いものは崩壊が進行していますが、
トンネルの奥へ進むと、綺麗な形で残るものもありました。(拡大俯瞰図D)
これがトンネルの中で一番右にあるものです。
トンネルの奥から出入口の方を向いて撮影しているので、
遠くに出入口の光が見えます。

さて、
このトンネルコンベアは、何のために使われていたかというと、
製品になった石炭を、この漏斗状の構造物を通して地上から地下に落とし、
トンネルの床面に設置されたコンベアで運んで、
船積みするための施設でした。

普通の炭鉱には無い施設。
それは、土地があまりにも狭かったゆえに発想された、
軍艦島ならではの極めて特殊な施設でした。

漏斗の下部に取ってのようなものが見えます。
トンネル内での作業員が、手前に引いて、
上にたまった石炭を落とすためのものですね。







トンネルの終点、拡大俯瞰図でEの地点は、
画像にようにブロックで塞がれています。
約2メートルの高さで続くトンネルは、
このブロックの部分だけ、徐々に高くなっています。
上の部分がR状になっていますが、
この部分は地上に露出した部分にあたります。







これがトンネルコンベア終点の地上部分。
その形から斜坑(斜めに造られた坑道)の入口であるとか、
坑内排気口などといわれているのも見かけますが、
この構造物は、製品になった石炭を排出する出口です。







トンネルを出入口の方へ戻り、
最初の頃に見た連絡通路を通って、
もう一つのトンネルへも行ってみます。
拡大俯瞰図の上に位置するトンネルの左側は、
下のトンネルに比べて、左の部分が短く、
連絡通路からほどなくして閉塞しています。







右側は最初のトンネルと同じだけの長さがあり、
同様に、等間隔で漏斗施設が並んでいます。
奥にあるおかげか、
拡大図の下のトンネルに比べていずれの漏斗もほぼ原型を保っています。

あまり知られていないながら、
軍艦島ならではの施設、それがトンネルコンベアです。

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軍艦島オデッセイ
オープロジェクト制作による軍艦島総合サイト。
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