前回の記事に引き続き、
今年の7月に行なわれたJ-ヘリテージ主催の、
『長崎産業遺産視察勉強会』に参加した時のリポートです。
J-ヘリテージは、現代社会が抱える様々な問題点を、
近代化遺産を振り返ることでその解決の糸口を模索しようとするNPO団体で、
様々な遺産の見学会を開催したりメディアで遺産の必要性を訴えている団体です。
そんなJ-ヘリテージが主催した『長崎産業遺産視察勉強会』は、
軍艦島の非見学エリアと池島特別見学コースの視察という、
とても内容の濃いものでした。
今回は池島炭鉱の視察のリポート後半です。
午後はおもに坑道内の見学。
6月にアップした池島の記事の冒頭で触れたトロッコに乗って、
ゆっくりと坑道の中へ入って行きます。
この坑道は地表と水平に作られた坑道で、
もともとはボタを棄てるトロッコの為の坑道でした。
なので、見学のために作られたあとずけのものではなく、
リアルな坑道です。
人数が40人と多かったので、
坑道内は二班に分かれての見学です。
ガイドをして頂いたのは、池島でお仕事をされていた堀之内さん。
電気関係のお仕事が専門でしたが、
炭鉱のあらゆる施設を熟知されています。
坑道に入るとまずパネルが設置されていて、
池島のあらましを知ります。
堀之内さんが指し示しているのは、
港が池だった時の池島。
この池には龍がいました!と超まじめお顔でお話されます。
その次は主に掘削作業に使う機器の見学。
画像の右に写るのはロードヘッダーという掘削機。
この機器に関しては以前の記事の中頃で触れているので、
そちらをご覧下さい。
その先にはドラムカッターとう大型の機械が動態保存されています。
この機器は、あるときは野外展示、ある時は坑外の建物の中と、
見学に来るたびにいつも異なった場所に置かれています。
そして今回は、坑内に設置されていました。
坑道内に模擬の炭層を造り、掘削の様子が具体的に分かる仕組みになっています。
左寄りに写る白いとんがりが沢山付いている部分で石炭層を削り、
中央下のコンベアへ落として行きます。
右寄り上部に写る白っぽい天井は自走枠とよばれる装置。
掘削機が掘り進むのに合わせて、
同じ方向へ進みながら作業スペースを確保する機器です。
自走枠の天井を見ると無数の水滴。
坑道内は湿度が高く、過酷な労働環境だということが分かります。
数々の掘削機を見た後は、
保安や安全に関する設備のコーナー。
画像はエアーマントと呼ばれる装置。
普段は黄色いパイプの左端に写る様に、
小さな袋が吊るさってるだけですが、
袋を拡げるとポンチョのような状態になり人が入れます。
黄色いパイプを通して頭上から空気が送り込まれます。
坑内で酸欠やガスが発生する等の、
非常事態の時の救命装置のひとつです。
画像はベルを鳴らすスイッチ。
例えば停止していたコンベアを再度動かす時に、
周囲の注意を促す為に、下の紐を引っ張りベルを鳴らしたりします。
ご覧になっておわかりのように、かなりぼってりしていますが、
これは爆発を防ぐ防爆型と呼ばれる装置で、
この小さな装置一つで10万円だそうです。
坑内の装置は、電話からスイッチ等、
殆どの装置が防爆型で作られているので、
それだけでも相当の設備投資が必要なことが分かります。
防爆スイッチの奥には小学生の習字が展示されています。
これらは島内に唯一ある学校の生徒のもので、
お父さんに元気をあたえるため、
作業場の様々なところに張り出されていたそうです。
ところで名前がダナやラーハンなど日本人の名前じゃないものがみえますが、
これは2001年以降東南アジアから研修で来た家族の子供の作品。
ラーハンさんは3歳の頃日本に来て、
池島で10年過ごしたので、本国より日本の方が良く知っています。
結局ラーハンさんの家族は研修終了後に本国には帰らず、
そのまま日本に残って仕事をしているそうです。
そして今回特別に見学コースに入っていたのが、
竪坑の下部から上を見上げる場所。
炭鉱の坑道はガスが発生し易く、
操業が終わるとすぐに埋めたり水没させたりして閉鎖しますが、
池島はこうしてまだ坑道を使える様にしているので、
通気の為の竪坑だけは現在もそのままの状態です。
遥か上方に蓋のようなものが見えますが、
この上に竪坑櫓が聳えたっています。
そして蓋のすぐ手前に横穴があり、
その穴が前回の記事で取り上げた扇風機に接続し、
坑内の空気を排気する、というしくみです。
サーチライトを消すと漆黒の闇。
かつては周囲に設置されたガイドレールに沿ってケージが上下し、
この暗闇の中を、地底何百メートルも下へ降りて行きました。
炭鉱の竪坑がこうして残っていて、
しかも見学出来るのは極めて希少なものです。
そのあとは岩盤を打ち砕いて坑道を造る、
発破の作業の行程等を説明して頂きましたが、
発破に関しても以前の記事で取り上げているので、
そちらをご覧下さい。→この記事の中頃
こうして丸1日の池島視察は終わりました。
参加された皆さんも、この濃い2日間から、
産炭地のかかえる問題や素晴らしさなど、
多くのことを持ち帰られたのではないでしょうか。
地底産業の実際を見られる機会は殆どありませんが、
池島にはその全てが残っています。
池島を見るということは、明治以降の日本が造り上げて来た、
技術の叡智を知る旅です。
そして地底という漆黒の自然環境との戦いの歴史を知ることです。
軍艦島では主に住宅棟を巡り、
坂本さんの生活に根ざした感情寄りのお話。
そして池島では主に炭鉱施設を巡り、
元炭鉱マンの方の炭鉱に根ざした技術的なお話でした。
これらの両方をセットで見て聞いて、
はじめて炭鉱とはどんな所だったのかを知ることができると、
今回の長崎産業遺産視察勉強会に参加して思いました。
今年の7月に行なわれたJ-ヘリテージ主催の、
『長崎産業遺産視察勉強会』に参加した時のリポートです。
J-ヘリテージは、現代社会が抱える様々な問題点を、
近代化遺産を振り返ることでその解決の糸口を模索しようとするNPO団体で、
様々な遺産の見学会を開催したりメディアで遺産の必要性を訴えている団体です。
そんなJ-ヘリテージが主催した『長崎産業遺産視察勉強会』は、
軍艦島の非見学エリアと池島特別見学コースの視察という、
とても内容の濃いものでした。
今回は池島炭鉱の視察のリポート後半です。
午後はおもに坑道内の見学。
6月にアップした池島の記事の冒頭で触れたトロッコに乗って、
ゆっくりと坑道の中へ入って行きます。
この坑道は地表と水平に作られた坑道で、
もともとはボタを棄てるトロッコの為の坑道でした。
なので、見学のために作られたあとずけのものではなく、
リアルな坑道です。
人数が40人と多かったので、
坑道内は二班に分かれての見学です。
ガイドをして頂いたのは、池島でお仕事をされていた堀之内さん。
電気関係のお仕事が専門でしたが、
炭鉱のあらゆる施設を熟知されています。
坑道に入るとまずパネルが設置されていて、
池島のあらましを知ります。
堀之内さんが指し示しているのは、
港が池だった時の池島。
この池には龍がいました!と超まじめお顔でお話されます。
その次は主に掘削作業に使う機器の見学。
画像の右に写るのはロードヘッダーという掘削機。
この機器に関しては以前の記事の中頃で触れているので、
そちらをご覧下さい。
その先にはドラムカッターとう大型の機械が動態保存されています。
この機器は、あるときは野外展示、ある時は坑外の建物の中と、
見学に来るたびにいつも異なった場所に置かれています。
そして今回は、坑内に設置されていました。
坑道内に模擬の炭層を造り、掘削の様子が具体的に分かる仕組みになっています。
左寄りに写る白いとんがりが沢山付いている部分で石炭層を削り、
中央下のコンベアへ落として行きます。
右寄り上部に写る白っぽい天井は自走枠とよばれる装置。
掘削機が掘り進むのに合わせて、
同じ方向へ進みながら作業スペースを確保する機器です。
自走枠の天井を見ると無数の水滴。
坑道内は湿度が高く、過酷な労働環境だということが分かります。
数々の掘削機を見た後は、
保安や安全に関する設備のコーナー。
画像はエアーマントと呼ばれる装置。
普段は黄色いパイプの左端に写る様に、
小さな袋が吊るさってるだけですが、
袋を拡げるとポンチョのような状態になり人が入れます。
黄色いパイプを通して頭上から空気が送り込まれます。
坑内で酸欠やガスが発生する等の、
非常事態の時の救命装置のひとつです。
画像はベルを鳴らすスイッチ。
例えば停止していたコンベアを再度動かす時に、
周囲の注意を促す為に、下の紐を引っ張りベルを鳴らしたりします。
ご覧になっておわかりのように、かなりぼってりしていますが、
これは爆発を防ぐ防爆型と呼ばれる装置で、
この小さな装置一つで10万円だそうです。
坑内の装置は、電話からスイッチ等、
殆どの装置が防爆型で作られているので、
それだけでも相当の設備投資が必要なことが分かります。
防爆スイッチの奥には小学生の習字が展示されています。
これらは島内に唯一ある学校の生徒のもので、
お父さんに元気をあたえるため、
作業場の様々なところに張り出されていたそうです。
ところで名前がダナやラーハンなど日本人の名前じゃないものがみえますが、
これは2001年以降東南アジアから研修で来た家族の子供の作品。
ラーハンさんは3歳の頃日本に来て、
池島で10年過ごしたので、本国より日本の方が良く知っています。
結局ラーハンさんの家族は研修終了後に本国には帰らず、
そのまま日本に残って仕事をしているそうです。
そして今回特別に見学コースに入っていたのが、
竪坑の下部から上を見上げる場所。
炭鉱の坑道はガスが発生し易く、
操業が終わるとすぐに埋めたり水没させたりして閉鎖しますが、
池島はこうしてまだ坑道を使える様にしているので、
通気の為の竪坑だけは現在もそのままの状態です。
遥か上方に蓋のようなものが見えますが、
この上に竪坑櫓が聳えたっています。
そして蓋のすぐ手前に横穴があり、
その穴が前回の記事で取り上げた扇風機に接続し、
坑内の空気を排気する、というしくみです。
サーチライトを消すと漆黒の闇。
かつては周囲に設置されたガイドレールに沿ってケージが上下し、
この暗闇の中を、地底何百メートルも下へ降りて行きました。
炭鉱の竪坑がこうして残っていて、
しかも見学出来るのは極めて希少なものです。
そのあとは岩盤を打ち砕いて坑道を造る、
発破の作業の行程等を説明して頂きましたが、
発破に関しても以前の記事で取り上げているので、
そちらをご覧下さい。→この記事の中頃
こうして丸1日の池島視察は終わりました。
参加された皆さんも、この濃い2日間から、
産炭地のかかえる問題や素晴らしさなど、
多くのことを持ち帰られたのではないでしょうか。
地底産業の実際を見られる機会は殆どありませんが、
池島にはその全てが残っています。
池島を見るということは、明治以降の日本が造り上げて来た、
技術の叡智を知る旅です。
そして地底という漆黒の自然環境との戦いの歴史を知ることです。
軍艦島では主に住宅棟を巡り、
坂本さんの生活に根ざした感情寄りのお話。
そして池島では主に炭鉱施設を巡り、
元炭鉱マンの方の炭鉱に根ざした技術的なお話でした。
これらの両方をセットで見て聞いて、
はじめて炭鉱とはどんな所だったのかを知ることができると、
今回の長崎産業遺産視察勉強会に参加して思いました。
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