廃墟徒然草 -Sweet Melancholly-

廃墟の他、廃墟感のある場所や事柄、遺跡や遺構、時空旅行、暗渠、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など

★ 廃墟徒然草 -Sweet Melancholly- へようこそ ★

2020-01-01 00:00:00 | はじめに
拙blogは、廃墟はもちろん、廃墟感を感じる場所や事柄、遺跡や遺構、時空旅行、暗渠、
都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角などを徒然にアップしています。
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★ お す す め 記 事 ★

中ノ島探索記:軍艦島の姉妹的島だった中ノ島。そのベールに包まれた実像を完全紹介。
消滅する街〜新宿ノーザンウエスト〜:高層ビルの狭間に残る新宿最後の昭和の街なみ。
鶴見線石油支線:廃線が物語る京浜工業地帯の発展と衰退、さらに現在の謎の運行まで。
東京暗渠〜神田川支流〜:たった3kmの暗渠に眠る、東京の知られざる街の記憶の旅。



★ 新     着 ★

05: 誰も見たことのない世界遺産「軍艦島」DVD BOOK:過去媒体未出の映像・画像満載の豪華版! [16 宝島社]
04: 軍艦島オデッセイ:2008年発売のDVDがBD版で復刻 [15 日活]
03: オール讀物:廃墟から世界遺産まで簡単解説 [15 文藝春秋社]
02: 軍艦島 奇跡の産業遺産:世界遺産になれなかった軍艦島の真の魅力とは [15 実業之日本社]
01: 軍艦島 DVD BOOK 奇跡の海上都市 完全一周:島内を完全一周ノンストップで解説&空撮も収録 [15 宝島社]

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★ 執筆関連作品 ★

05: 軍艦島入門:300枚以上のオールカラーの画像とともに軍艦島のいろはを解説した入門書 [13 実業之日本社]
04: 地形で楽しむ東京暗渠散歩:2のムックの増補書籍化。オールカラー&3D地形図採用 [12 洋泉社]
03: 東京ぶらり暗渠探検:東京山の手の暗渠を歩き尽くした国内初の暗渠本 [10 洋泉社]
02: 廃線跡の記録2:失われゆく鉄道大国ニッポンの原風景、第二弾。鹿島線を執筆 [11 三才ブックス]
01: ワンダーJAPAN vol.13:東洋一の砂選機。千葉にあった飯田建機工業のリポート [09 三才ブックス]

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ワンダーJAPAN 連載『新宿ノーザンウエスト〜昭和と平成の交差点〜』(vol.06〜09)
vol.06  vol.07  vol.08  vol.09



★ 企画・編集関連作品 ★

01: 軍艦島:ワンダーJAPAN TVの軍艦島スペシャルが未公開映像と共にDVD化決定 [13 日本コロムビア]

05: 軍艦島 廃墟からのメッセージ:軍艦島を世界遺産にする会坂本道徳による廃墟軍艦島からの未来へのメッセージ [14 亜紀書房]
04: 軍艦島 30号棟 夢幻泡影 1972+2014:閉山直前と40年後の軍艦島の姿をとらえた、写真家高橋昌嗣の懇親の作品 [14 大和書房]
03: 軍艦島超景:軍艦島の撮影に命をかけた写真家柿田氏の渾身の追悼写真集 [13 三才ブックス]
02: 産業遺産の記録:鉱業、建築、鉄道、軍事などヴァラエティに富んだ産業遺産の入門ムック [12 三才ブックス]

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★ O project 産業廃墟作品 [iOSアプリ] ★

03: 軍艦島黙示録 Vol.03『1972 青春 軍艦島』外伝 (iOSアプリ)
 軍艦島で仕事経験のある写真家の大橋弘氏のインタビュー [12 SCA talking book]
02: 軍艦島黙示録 Vol.02 昭和のタイムカプセル (iOSアプリ)
 島内に残る昭和の痕跡から昭和という時代を振り返る [11 SCA talking book]
01: 軍艦島黙示録 Vol.01 軍艦島ベストビューポイント (iOSアプリ)
 軍艦島を画像とナレーションで様々な角度から徹底解説 [11 SCA talking book]

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10: THE OBROADERS オブローダー〜廃道冒険家〜:未公開映像を加えた廃道シリーズの劇場版、BDでリリース! [15 日活]
09: 廃道レガシイ:廃道アドベンチャー・シリーズの完結編!廃道DVD第三弾 [14 日活株式会社]
08: 廃道ビヨンド:前作『廃道クエスト』を遥かに越えて危険と冒険に挑んだ廃道DVD第二弾 [14 日活株式会社]
07: 廃道クエスト:廃道の魅力を様々な角度から紹介。廃道界のカリスマ平沼氏主演 [13 日活株式会社]
06: とっておきの軍艦島ガイド:軍艦島と関連施設をオープロ自らが隅々までご案内 [11 日活株式会社]
05: 鉄道廃線浪漫 -風の声、時の音-:鉄道廃墟を映像と音楽、随想的なナレで綴る映像詩集 [10 日活株式会社]
04: 軍艦島オデッセイ -廿世紀未来島を歩く-:昭和の超近未来都市。その過去へタイムトリップ [08 日活株式会社]
03: 軍艦島 -FOREST OF RUINS-:30年間封印された廃墟の聖地、軍艦島の全貌。国内初のDVD [04 日活株式会社]
02: 軍艦島ダブルアンセムパック:下記軍艦島2作品を1パックにした究極のDVDセット [08 日活株式会社]
01: 萌の季節 -Ruins in Green-:タルコフスキーを彷彿させる怒濤の雨水が降る廃墟他 [04 オルスタックピクチャーズ]

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05: 軍艦島全景 -gunkanjima odyssey archives-:軍艦島のあらゆるフェーズがこれ一冊に [08 三才ブックス]
04: 廃線跡の記録:栗原田園鉄道、安比奈線、豊後森機関庫、他多数執筆 [10 三才ブックス]
03: ワンダーJAPAN vol.14:坑道から施設まで全てが残る池島炭鉱の詳細リポート [09 三才ブックス]
02: ワンダーJAPAN vol.12:上陸解禁になった軍艦島の見学コースを徹底リポート [09 三才ブックス]
01: ワンダーJAPAN vol.11:志免炭鉱竪坑櫓の内部見学の詳細リポート [09 三才ブックス]

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★ O project 産業廃墟作品 [ウェブ] ★

 軍艦島オデッセイ -GIGA INDUSTRIAL RUINS-:軍艦島ウェブエンサイクロペディア





  
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東京貧民窟をゆく〜内藤新宿南町

2016-05-28 00:23:30 | 東京ノスタルジア
東京貧民窟の今を歩くシリーズの最後は、
新宿駅の南西に広がっていた内藤新宿南町の貧民窟です。

これまでアップして来た、
四谷鮫河橋、浜新網町、上野万年町の三大貧民窟に劣らず、
多くの貧民が集住した街。
内藤新宿南町は、その後旭町(あさひまち)となり、
現在では新宿4丁目という住所にあたるエリアです。

江戸の中期から岡場所として発展した内藤新宿にほど近いことから、
日雇いや車夫のほかに、辻芸人なども暮らしていたといいます。

■概略地図■


横線のエリアがかつての貧民窟。
付近の google map はこちら


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エリアを斜めに分断する明治通りの西側は、
現在では小洒落た店が建ち並び、
新宿の新しいファッション街となりつつあります。
この場所に、かつて貧民窟があったとは、
とても想像のできない光景です。(概略地図:1)






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それに対して明治通の東側の一帯は、
木賃宿が軒を連ねる「新宿4丁目ビジネ旅館街」(概略地図:2)
1887年(明治22年)の「宿屋営業取締規則」によって、
木賃宿営業許可地域に指定された場所で、
今もその名残が色濃く残っていまっす。
この法令は、三大貧民窟をはじめとした都心部の貧民を、
周辺地域へ拡散させるための措置だったといわれる法令ともいわれます。
三大貧民窟に暮らした人々の多くが間借りだったの対して、
この地域では、木賃宿を常宿として暮らす人が多いのが特徴でした。






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新宿4丁目ビジネ旅館街の中で、ひときわ目を惹くのが、
二階部分を上下に二分し、玄関横に飾り窓のある老舗の旅館中田家です。(概略地図:3)
この平成の世に一泊1800円、個室でも2200円という看板をかかげ、
界隈でも群を抜いて時が止まった空間を演出しています。






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他の宿も小綺麗に改装されてはいるものの、
1泊4,000円前後の2階建てないし3階建ての宿が並ぶ街並には、
かつての木賃宿の名残がみてとれます。
また、以前にホテルだった建物が、
外観をそのままに、現在ではマンションとして使われている建物もあります。
画像は約10年前のもので、当時はホテルでしたが、
現在ではマンションとして使われているようです。(概略地図:4)






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また宿名を横文字にして小綺麗に改装し、
ドミトリーとして営業しているものもあります。(概略地図:5)






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かつて南町の真ん中に位置した天龍寺は、江戸時代の初めに移転開山した寺で、
一説には江戸の裏鬼門鎮護の役割を担っていたともいわれます。
まさに貧民街の歴史をつぶさに見てきた寺ですが、
併設する墓所の奥にドコモビルが聳える光景は、
隔世の感がいなめません。(概略地図:6)
また、天龍寺の境内は湧水が豊富で、渋谷川の源流のひとつとなっています。
水源と寺といえば、以前にアップした四谷の鮫河橋を思い出します。
この二つの要素は、貧民窟を生み出す大きな要因だったのかもしれませんね。






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ちなみに、エリアの一画に建つ雷電稲荷神社は、
源義家の目の前で雷雨がたちどころに止んだ白狐の伝説に因む神社。
1928年(昭和3年)に歌舞伎町の花園神社へ合祀されたものの、
跡地に鳥居や祠が再建され、旧地を示すものとして現存しています。(概略地図:7)



厚生労働省が発表した2015年(平成27年)のホームレスの数は、
全国で約6,500人、東京では市部を併せて約1,500人。
ちなみに国連人権委員会による2013年(平成25年)の報告では、
東京23区のホームレスは約5,000人だとしています。
この差は、調査方法の違いによるのでしょうが、
いずれにせよ、この数の中に、
いわゆるネットカフェ難民と呼ばれる人々は、
ほとんどカウントされていません。

事実、ネットカフェの利用者の中から、
家がある人かそうでない人かを判別するのは極めて困難であり、
また、ネットカフェ業界からも、難民ありきでの調査方法への反発から、
正確な調査は行われていないようです。

また、シングルマザーとなった女性が、
年収100万円に満たない貧困者になる確率は、
実に30パーセントを越えるともいわれています。

もはや貧民窟は過去の話、と笑ってはいられない時代です。



東京貧民窟に関して、紙面でご覧になりたい方はこちらをどうぞ。



『実話裏歴史 SPECIAL vol.32』 (ミリオンムック)
ミリオン出版/600円
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東京貧民窟をゆく〜上野万年町

2016-05-26 03:31:45 | 東京ノスタルジア
東京貧民窟の今を歩くシリーズの第三弾は、
上野駅からほど近いエリアにあった、下谷万年町(したやまんねんちょう)の貧民窟です。

四谷の鮫河橋、そして浜松町の新網町の貧民が、
軍の学校から出る残飯を目当てに集住したエリアだったのに対し、
こちらは繁華街である上野の残飯を目当てに集まった人たちでした。

またこのエリアに集住した貧民の職業を見ると、
これまでの日雇人足や車夫とともに屑拾いが多数いたのも、
繁華街に隣接していたからでしょうか。

万年町は三大貧民窟の中で最も狭く、
その面積は鮫河橋と比べると約5分の1程度でした。
しかし、人口は日清戦争後で3,800余人もいたというので、
密度は鮫河橋の約4倍。
極端な集住ゆえ、街の様相も前述の二箇所に比べて、
はなはだひどい有様だったようです。

■概略地図■


横線のエリアがかつての貧民窟。
付近の google map はこちら


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現在、エリアの南半分である万年町1丁目界隈は東上野1丁目という住所となり、
そのほとんどが東京メトロの上野検車区となっています。(概略地図:1)
1927年(昭和2年)、国内初の地下鉄を運行した東京地下鉄道が、
関東大震災で壊滅した貧民窟の跡地に、
上野電車庫として発足した場所でした。






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検車区の線路沿いにある昭和まっしぐらな居酒屋の入居する建物は、
側面まで施工された、ちょっと変わった看板建築です。(概略地図:2)






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検車区の塀はかなり長く、その規模が想像できますが、
高さがあるので、検車区の中を見ることはできません。(概略地図:3)
塀越しに写る上野学園は、もともと上野桜木町にあった女学校で、
戦後初の学内ストライキを行い、
大学民主化運動の契機となった大学だそうです。






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検車区の塀伝いに北へ進むと、
万年町の中央を横断する道へと突き当たります。
おそらくこの付近が貧民窟時代の中心地だった、
万年町2丁目(現在の北上野4丁目)でしょう。
現在では、道沿いにこぢんまりとした商店街があり、
道の先には、聳え立つスカイツリーが見えます。(概略地図:4)






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道を渡ると、特に醜穢を極めたというかつての万年町2丁目へ入りますが、
小規模な会社や一般住宅が建ち並ぶ普通の街角からは、
当時の面影を偲ぶべくもありません。
ところどころ長屋風情の一画が残るものの、
もちろん大正時代のものではないでしょう。(概略地図:5)






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古い建家の解体現場を見ては、(概略地図:6)
当時に想いを馳せるのが関の山です。






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解体現場のすぐ近くには、
古色蒼然とした壊れかけの祠がありました。
背面の制作年を確認することはできませんでしたが、
その雰囲気から、もしかしたら貧民窟の時代を見てきたお地蔵さんかも知れません。



これで、かつて東京にあった三大貧民窟の探訪は終わりです。
次回は、もう一箇所、新宿にあった貧民窟を訪れます。
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東京貧民窟をゆく〜浜新網町

2016-05-20 02:49:53 | 東京ノスタルジア
東京貧民窟の今を歩くシリーズの第二弾は、
浜松町駅からほど近いエリアにあった、浜新網町の貧民窟です。

四谷の鮫河橋のエリアの貧民が、
陸軍士官学校からでる残飯を目当てに集住したエリアだったのに対し、
こちらは築地の海軍兵学校からでる残飯を目当てに集まった人々でした。

この一帯は、元来江戸時代からの埋立地で、
道も碁盤の目のように造られていたので、
現在の垂直に交わる道に関しては、
江戸時代からそれほど変わっていないと考えていいかもしれません。

輪河橋に住んだ人々の職業は、おもに日雇人足や車夫でしたが、
このエリアには、それに加えて大道芸人が多かったそうです。
横山源之助の『日本の下層社会』に記された新網町の特徴として、
「表面に媚を湛えて傍らに向いてぺろり舌を出す輩多く」
とあるのは、これら大道芸人のトリッキーな行動を表した物だと思います。
それでは、現在の浜新網町を歩いてみようと思います。

■概略地図■


横線のエリアがかつての貧民窟。
付近の google map はこちら


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JR浜松町の南口の階段を降りて、目の前に広がるエリアが
かつて貧民窟があった場所になります。(概略地図:1)
ご覧のように、現在では中小の会社と飲食店が入居する雑居ビルが建ち並び、
かつて都内屈指の貧民窟があった場所とは、想像だにできません。






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しばらくエリアを歩くと、
正面に世界貿易センタービルが見えるます。(概略地図:2)
国内で2番目に建造された高層ビルは、今も健在。
江戸時代、貿易センターをはじめとした周辺の地域は武家屋敷が建ち並び、
そのはずれにあったのが新網町でした。
新網の名は、幕府から与えられた網干場の地を、
漁夫の住宅街としたことに由来するようです。






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貿易センターの見える辻から東へ進むと、
JR線を越える架道橋があります。(概略地図:3)
車両は通れない、歩行専用のガード。
横には時代を感じさせるお地蔵様がいますが、
礎石の刻印を見ると、昭和二十六年とあるので、
戦後のお地蔵さんですね。






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鉄骨補強された架道の先には、
かつての紀伊徳川家の浜御殿があった、
旧芝離宮恩師公園があります。






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線路沿いに浜松r町の駅のほうへ戻る途中、
細い路地から西の方を見た光景。(概略地図:4)
こういった細路地ですら、昭和の香りを嗅ぎ取れるくらいで、
決して貧民窟だったそぶりはどこにもみあたりません。






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エリアのほぼ中央には讃岐小白(こはく)稲荷神社(概略地図:5)は、
江戸の文政年間に、隣接する松平家の下屋敷に創建された讃岐社を明治以降一般に開放し、
その後、古川沿い(概略地図下方)にあった小白社を合祀した神社のようです。
エリアで唯一、貧民窟の記憶を留める神社といえるでしょう。



浜新網町の貧民窟は、エリアが狭く、
現在も、なんら特徴のない街角なので、
これで終わりです。
次回は三大貧民窟の最後の一つ、
上野万年町を訪れます。
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東京貧民窟をゆく〜四谷鮫河橋05

2016-05-18 02:49:29 | 東京ノスタルジア
かつて東京にあった3大スラムを歩くシリーズ。
前回に引き続き、四谷にあった鮫河橋(さめがはし)の貧民窟です。

常に飢えと伝染病、そして強盗におびえながら暮らしていた貧民窟での唯一の救いは、
貧民窟の住民が思いのほか人情に厚かったことでしょうか。
明治30年代に貧民窟の窮状を記した横山源之助の『日本の下層社会』には、
近隣に葬式があると、生活の困窮も顧みず仕事を休んで参列して、
悲しみを分かち合う様子が描かれています。

■概略地図■


横線のエリアがかつての貧民窟。
付近の google map はこちら
前回は概略地図中央周辺の暗渠道界隈を歩きました。
今回は、メイン通りへ戻ってから若葉の北部地区を歩き、
靖国通りへと抜けます。


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道は商店街の北端から西側へ蛇行していきます。
道沿いに幾つもある細道の一つを奥へ進むと、
高い石垣に行く手を阻まれた袋小路。(概略地図:19)
この付近の路地は、いずれも行き止まりです。






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袋小路の突き当たりには、
石の構造物の上に設置された小さな祠がありました。
すでにご神体が遷座されて長く経つのでしょうか。
扉も壊れかけの廃墟状態です。






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暫く進むと道の両側に坂のある十字路へでます。
進行方向右側の坂は、隣接する寺院に因む東福院坂。
また東福院坂の反対側は、暫く谷底の平坦な道が続き、
やがて高い階段に突き当たります。
階段の上から谷底と東福院坂を眺めると、
鮫河橋の谷がいかに深いかがよくわかります。(概略地図:20)






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階段を登った先にあるのは須賀神社。
江戸時代の初期、寛永年間に赤坂から遷座したと伝えられる神社で、
これまでアップしてきた貧民窟のエリアはもとより、
靖国通りを挟んで四谷四丁目から四谷駅、北は荒木町一帯までの総鎮守様です。
対面する谷頭に並ぶ寺とともに、
貧民窟の時代を見て来た神社といえるでしょう。
石段のほぼ終点、神社の境内へ入る直前の石垣に、
「四ッ谷鮫河橋 聰氏子中」と掘られた石盤が埋め込まれていました。
神社に由来をたずねるも、はっきりしたことはわからないとそっけない返答なので、
神社のウェブサイトを見たところ、
東京大空襲の折りに失われた部分を、戦後、氏子崇拝者が復興させたとあります。
その時の記念として残したものでしょうか。






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須賀神社から戻り、再びメインの通りを北上すると、
左手に現れるのが日蓮宗の日宗寺。(概略地図:21)
このエリアにある寺は、そのほとんどが丘の上にありますが、
この寺だけはは谷底にあるのが特徴です。






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寺に隣接した空地の隅に、
貧民窟に並走していた桜川の、もう一つの源流がありました。
こちらも若葉公園の源流とおなじく、
ほとんど生活排水路の様相ながら、
その水流は澄んでいて綺麗です。






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日宗寺の先は円通寺坂へ通じます。(概略地図:22)
既に、東福院坂の麓から日宗寺にかけて緩やかな登り道だったので、
谷底からいくぶんか高い位置へ来ていたのでしょう。
円通寺坂はそれほど傾斜もきつくなく、距離もそれほどありません。
鮫河橋の中では、もっとも緩やかな傾斜地です。
坂を登りきると靖国通り。
通りには多くの車が往来し、歩道にもたくさんの人が行き交います。
そこには、慣れ親しんだ東新宿の光景がありました。



東京23区のほぼド真ん中に位置する深い谷。
かつてそこにあった都内最大の貧民窟の現在を歩きました。
次回は、三大貧民窟の二つ目、浜新網町へ行きます。
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