うまさいと

お馬さんは好きですか?

コスモバルクが移籍?

2005-01-10 20:47:49 | 競馬
シンザン記念を観に行かないでまったりとこういうのを書くのもありかなと。


コスモバルクが天皇賞・春を目標とするらしい。総帥がぶち上げてたみたいだ。それも良いと思う。距離不安説が囁かれているけど、総帥のお馬さんなんだから。

五十嵐騎手から千葉騎手に乗り換わるらしい。私はそれも基本的にはオーナーの一存で決めて良いと思う。

日経賞で2着以内に入れなかった場合は天皇賞・春への出走権がなくなってしまうので中央移籍も有り得るとのこと。



いや、それはどうなのよ。何か違うぞ、と思わないだろうか。


コスモバルクは元々総帥自身に素質を認められて「JRAに外厩制度を認めさせる」といったものを背負って北海道競馬に入ったのではないのかと。わざわざ北海道と本州を何度も何度も往復して、その度に輸送で必要の無い負担を強いてまで中央入厩を拒み続けてきたのではなかろうかと。toroneiさんはこれを「レゾンデートル(存在価値?)」だとおっしゃているし、殿下は「このこだわりがコスモバルクをスポイルする結果になるのかも」といった感じのことを書かれているわけで。これは私が読んだものなので、実際に上の方々のサイトで読んでいただくのが一番だとは思うわけですが。私のとり違いもあるかもしれんし。というか、勝手に引用して申し訳ありません。


そこに加えて(?)一言。今回の移籍騒動はコスモバルクに託された「外厩制度の浸透」という点ではなく「地方と中央の垣根」という部分に焦点を当てているということに注目しなくてはならない。


繰り返す様だがよくよく考えるとコスモバルクは、元々「外厩制度の浸透」といった部分を訴え掛ける為に北海道と本州を往復し続けているお馬さんであるにも関わらず、実際は「中央と地方の垣根を無くす」といった部分だけがより濃いメッセージとなって競馬ファンに浸透しているのではなかろうか。これが騎手なら安藤勝己騎手の一連の移籍騒動なわけで。


私自身もこのテキストを書いている時点でこの部分を混同していた。というか、それを混同してしまう程に、コスモバルクに課された「外厩制度の浸透」という意義を失念していた。言い換えると、一般の競馬ファンにとって「コスモバルクは中央と地方の垣根という矛盾(かどうかは難しいが)を無くさせるためのヒーロー」という部分しか浸透していないのではないだろうかとも思う。


失念していた私がおばかだったというのはおいといてorz


今回思い付いたのは、コスモバルクに「外厩制度を認めさせる為の使者」という役割を果たしてもらうといったことは、かなり無理があるのではないだろうかと。




さて中央移籍については色々な意見があるわけだが、私は中央入りはちょっとなぁという気がする。毎回中央のレースに出ていること、そしてこれからもそれを続けるであろうということを考えると、コスモバルクにとっては良い選択であることは間違いないはず。しかし、このタイミングは違和感があるだろうと。中央移籍をやるならばダービー後しかなかったわけだし、そういった選択をしなかったことによって、有馬記念前はJRAに特例まで認めさせたのではなかったのか。


いや、待てよ・・・と。


これはJRAに「地方所属馬でも中央で十分な成績をおさめていればステップ無しに出られるようにしろ」ということを暗に(バレバレか)訴え掛けているのではなかろうかと。コスモバルクファンなら、この総帥の誘導にわざと乗せられてみるというのも一つの手かもしれない。何しろネオユニヴァースや安藤勝己騎手の件で、JRAはファンからの批判に弱いということが明らかになっているんだから(馬主サイドからの圧力があったのかもしれんが)。
(先に言っておくけど、この2つの件を否定的に捉えているわけではないのであしからず)


総帥は実は中央に入厩させる気はサラサラ無いのではなかろうかと。とりあえず、今のままにしておけば輸送さえ除けば自分のところで管理するのが一番安心できるだろうし。今回の移籍騒動は壮大な三味線というかそんな感じ。


つまり、総帥自身が既に「外厩制度の浸透」という役割をコスモバルクに担ってもらうことを諦めたのではなかろうかとも考えられる。知ってか知らずかその部分にまで触れてしまったというべきか。そういうことを考えているわけでもなければ暴走しているだけかもしれんのだが。


脱線ついでに話が飛躍するが、この壮大な三味線が本当であるならば、日経賞で3着以下に負けたら、長期で海外に連れて行くしかなかろうと。コスモバルクの適正がどういった馬場にあるかはわからない。一発勝負とは言わない。例えば欧州で長期滞在を試みてはどうか。世論を煽るには「海外であれだけ活躍できるお馬さんをなぜ中央で走らせることができないのか」という提言をすべきではないかと。これで「中央と地方の垣根」を訴え掛けられるわけだし、加えて欧州では余りにも一般的である外厩制度をより濃くアピールできることにはならないか。


夢物語になりそうなんで捕捉しておくけど、欧州で強いと言われているお馬さんがあまり揃わないG1、例えばそれがドイツやイタリアであろうとも、間違いなくG1であるわけだから、そこに勝ちさえすれば相当な宣伝効果になるのではないか。「活躍の場を求めて海外にまで連れて行ったオーナー」と「何も対応のできないJRA」という、より鮮明な図式を浮かび上がらせることによって、より鮮明に「中央と地方の垣根」をアピールすることができはしないか。今のまま(総帥の妄想っぷりがすごくて、お馬さんや騎手が可愛そうといった一般からの評判)では、それこそ宝の持ち腐れになってしまうのではないだろうかと。コスモバルクの知名度は少なくとも競馬ファンの間では間違いなく浸透しているわけだし「外厩でクラシックを獲る」といった第一次の計画は失敗に終わったわけだし。マスコミウケするのではないか。


今回の問題(ステップ云々)では中央でも外厩制度を認めさせるという役割を排除して「地方と中央の垣根」のみを訴え掛けているだけだろうと。というか、その両方の問題を一気に解決する気なのか?




本編は終わり。今からは余談。


当たり前だろうが、コスモバルクは相当人気のあるお馬さんだと思う。有馬記念でゼンノロブロイよりも票(無効票だが)を集めたということが如実に表しているのではないだろうか。競馬をG1だけ楽しむ人とか、そういった人々に訴え掛けるお馬さんというのは、偉大なお馬さんだと。これは好きとか嫌いとかという意味ではなく、競馬界にとって無くてはならない存在だろうと思う。そして、そういったことが無ければ、競馬がよりメジャーに、市民権を得ることはないだろうと。


コスモバルクがそういった色々な存在意義を持ち続け(背負い続け)て、なおかつ好走を続けて欲しいというのは一ファンの傲慢なんだろうと思う。しかし、そこに夢があるわけだし、それこそが「競馬」なのではなかろうかと。


あるメッセージ性をお馬さんに託すことによって、ファンの夢と重ね合わさせることによって競馬のイメージを変えていくというのもまた一興だと思う。競馬は他のスポーツと比べると、間違いなくギャンブル性が強いという面は否めない。だからこそ、ギャンブル性を抜きにしたって面白い面があるのではないかということを模索することが大事なのではないかと思う。


長くなったがこの辺りで。