エリトリア・・赤い大地という意味だったはず
緊張の続くボーダーの町に旅人はめったに来ないし、さらにはほとんどお目にかかれない東洋人が歩いている、というので私の後ろに好奇心の強い青少年の行列ができた。
並んで歩きながら「どこに行くの」「名前は何というんだ」と訊くヤツがいる。
子どもは「チャイナ!!」とはやし立てる。この国には、中国製と韓国製の物品がいろいろ入っていて、東洋人というと、だいたいそのどっちか、と思っているフシがある。
反対方向から歩いてくる土色をした村人たちはじいっと穴の開くほど見つめる・・・そういう人たちには、顔に「見つめられクレーター」ができる前に「サラーム(こんにちは)」とニッコリする。
そうすると「サラーム、サラーム」とすばらしい笑顔で返礼がある。
要するにセナフェに悪いヤツはいないんだけど、かつて上野動物園にパンダ見物の行列ができたように私の後ろと周囲に人が集まるというわけなんだ。
メテラ村の入り口にまた検問があった。
通してもらったものの、どこが遺跡かまったくわからない。検問所の男に、ガイドブック(Lonely planet)に書いてあるテグリニアで書いた地名を見せても、首を振る。どうやら文盲(今は差別語かな・・・もんもう、とよむ・字が読めない人)らしい。
困っていたら、一人の少年が寄ってきた。
「あなたはどこに行くの?遺跡に行くのだったら案内するよ」
「あなたはガイドなのか」
「ぼくはガイドじゃない、彼は親戚の結婚式で、今日はいない」
一月はエリトリアの結婚月、毎土・日曜、結婚式がある。式のあと親類縁者数百人を招いてのパーティが行われる。そういう事情でガイドが不在というのはよくわかる。彼はウソをいっていない、と思う。
「遺跡はどこにあるの?」
あそこ、と少年は指さす。
自分で行けそうだが、彼はついてくる。もう一度、彼をじっくり眺めた。顔つきは真面目そうで、何より目が落ち着いている。案内してもらうのもいいかも知れない。
「あなたにガイドを頼むわ。いくらなの」
こういうところで現れたガイドについて行く場合は事前交渉は必須、という「我が辞書」に乗っ取って訊いてみた。法外なことをいわれたら、断るか、ディスカウント交渉をするつもりだった。
少年は一瞬困った顔をして「別にあなたの気持ちで」みたいなことをぼそぼそ、長々という。明らかに当惑している。
その表情を見て、今度は私が「えっ」と思う番だった。キミはお金目的で現れたんじゃないのか?
今まで訪れた発展途上国の観光地で、こういう状況で登場するガイド志望者はみんな「金ほしさ」だった・・そうだ、彼らはまず「いくら」を先に言った。
いくらで連れて行く、いくらで案内する・・彼らは訊かれるままに遺跡の位置を示したりしなかった。
そんなことをしたら、仕事を失う。
目の前にいる少年も「お金がほしい」気持ちはあるのだろう、しかし、外国人と話したい、というピュアな好奇心のほうが強いようだった。
すれていない。
海セン山センが現れる観光地をたくさんバックパッカー旅して、私は疑り深いしたたかな旅人になってしまったのかも知れない。少年の横顔を見ながら、すこし自分を恥じた。
「じゃ、行こう、つれていって」
という私の言葉に、彼は羊が通る野良道へと歩き出した。
「ここは大丈夫ですが、道を外れて歩くと危険です」
「どうして」
「地雷が埋まっていることがあります」
そうかあ・・・言葉がなかった。
まず彼は、古代の文字が刻まれた石の塔、「オベリスク」に案内してくれた。
それは、エチオピア軍が侵入したときに倒されて転がっていた。
「エチオピア軍は、この国で沢山の遺跡を壊しました」
彼は、悲しそうな顔をしていった。
「初めはトルコが、次はエチオピアがこの国の歴史あるモノを破壊しました」
彼は、地中に埋もれていて残った遺跡を案内しながら
「ここが入り口です、ここは神殿ではなくてふつうの住居でした。ここに住んでいた人たちは神を信じていませんでした」
などと説明をしてくれる。
詳しい。
「あなたは、歴史が好きなのね」
少年は、にかみながらうなずいた。
「あなたは将来、歴史を勉強するの?」
「アスマラ大学に行けたら・・落ちたら、ソルジャーになります」
そうだった。
この国の若者は高校卒業後にサワに行かねばならない。
サワは、まあ、私にいわせれば「軍事教練」をするところだ。
アスカダムは「今は軍事訓練の場ではありません、若者の教育施設です」というが、エリトリアテレビで見たサワの様子は軍人養成所以外の何ものでもなかった。
卒業後、と書いてしまったが、最近は卒業前に行くようになったらしい。サワに行くのをいやがって高校を卒業しないで止める子が多いからだ。
大学の入学試験に合格するか、サワで訓練を受けてミニタリーサービスで前線や各地の部隊に駐在するか。これは無期限、無給のまさに「サービス」のお仕事だ。
この国のふつうの若者には将来の選択肢がこの二つしかなかった。目の前にいる17才の歴史好きの若者にもそのどちらかしか、未来は開けていない。
サワで訓練を受けていて、大学入学許可通知が来ると抜けて好きな学問をすることができる。しかし失敗すると、下手したら前線で戦死だ。
軍事訓練とミニタリーサービスは男女関わらず義務なので、女子は「妊娠」という非常手段を行使するらしい。結婚していなくてもとりあえず身ごもれば「母体保護」ということで家庭に返される。
この国の幹線道路脇には、等距離で木が植えられている。一見、街路樹の続くふつうの風景だが、アスカダムはいった。
「あれはソルジャーツリーだよ、エリトリアでは兵士が一人死ぬと木を一本植えるんだ」
どこに行っても、ソルジャーツリーは延々と続いていた。
「この国では、ほとんどすべての家庭で独立戦争の犠牲者を出しているよ」
アスカダムは言う。
確かに親族訪問をすると、居間に必ず若者の遺影があった。
若者には無限の未来がある、といったのは誰だろうか。とりあえず正しいとは思うが、こんな国もある。
この国の若者たちは何とか外国に出たがる。親も必死に出したがる。道理である。若者に二つしか将来の選択肢がない、一方には死が待っているかも知れない国に明るい未来はない、と私は思う。
メテラの遺跡を見終えて、また彼に案内されながら村へ戻った。
途中、すれ違った女性が私を見て彼に何かを言った。
「彼女は何を言ったの?」
「あなたは荷物を背負って、疲れているように見える、何で代わって持ってあげないのか、といわれました、ぼくが背負います」
彼は私のザックを指した。
パンダのようには見られはするが、こういった親切はこの国に来て、あちこちで受けていた。
「大丈夫、疲れてはいない、日差しが強くて暑いだけ」
「暑い? 今、この国は涼しい、寒いですよ、あなたは暑いですか」
「この気温は日本の夏です」
なんて話をしながら、村に着いた。
彼に心ばかりの礼を渡しながら「アスマラ大学に行けるように、あなたの成功を祈っている」と、握手して別れた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
付記 アスカダムは、難民として北欧に渡った。そして、今はノルウエー人だ。彼は性格のよい立派な人、頭もよく私が理解できる範囲の英語を駆使してさまざまなことをレクチャーしてくれた。
もちろん、ノルウエー語も話せるが、母国語2つ(テグリニア・アマリニア)フランス語や英語もできる人。
今生、もはやオランダ在住の友人や彼の配偶者の一族には会えないだろうな・・・私、ワクチンは打たないし、そうするとヒコーキは載せてもらえないと思うので。
・・・
この旅行記は続きが確かあったはずなので、パソコンの文書ファイルを探して、また加除訂正して記事にするかも知れません。
緊張の続くボーダーの町に旅人はめったに来ないし、さらにはほとんどお目にかかれない東洋人が歩いている、というので私の後ろに好奇心の強い青少年の行列ができた。
並んで歩きながら「どこに行くの」「名前は何というんだ」と訊くヤツがいる。
子どもは「チャイナ!!」とはやし立てる。この国には、中国製と韓国製の物品がいろいろ入っていて、東洋人というと、だいたいそのどっちか、と思っているフシがある。
反対方向から歩いてくる土色をした村人たちはじいっと穴の開くほど見つめる・・・そういう人たちには、顔に「見つめられクレーター」ができる前に「サラーム(こんにちは)」とニッコリする。
そうすると「サラーム、サラーム」とすばらしい笑顔で返礼がある。
要するにセナフェに悪いヤツはいないんだけど、かつて上野動物園にパンダ見物の行列ができたように私の後ろと周囲に人が集まるというわけなんだ。
メテラ村の入り口にまた検問があった。
通してもらったものの、どこが遺跡かまったくわからない。検問所の男に、ガイドブック(Lonely planet)に書いてあるテグリニアで書いた地名を見せても、首を振る。どうやら文盲(今は差別語かな・・・もんもう、とよむ・字が読めない人)らしい。
困っていたら、一人の少年が寄ってきた。
「あなたはどこに行くの?遺跡に行くのだったら案内するよ」
「あなたはガイドなのか」
「ぼくはガイドじゃない、彼は親戚の結婚式で、今日はいない」
一月はエリトリアの結婚月、毎土・日曜、結婚式がある。式のあと親類縁者数百人を招いてのパーティが行われる。そういう事情でガイドが不在というのはよくわかる。彼はウソをいっていない、と思う。
「遺跡はどこにあるの?」
あそこ、と少年は指さす。
自分で行けそうだが、彼はついてくる。もう一度、彼をじっくり眺めた。顔つきは真面目そうで、何より目が落ち着いている。案内してもらうのもいいかも知れない。
「あなたにガイドを頼むわ。いくらなの」
こういうところで現れたガイドについて行く場合は事前交渉は必須、という「我が辞書」に乗っ取って訊いてみた。法外なことをいわれたら、断るか、ディスカウント交渉をするつもりだった。
少年は一瞬困った顔をして「別にあなたの気持ちで」みたいなことをぼそぼそ、長々という。明らかに当惑している。
その表情を見て、今度は私が「えっ」と思う番だった。キミはお金目的で現れたんじゃないのか?
今まで訪れた発展途上国の観光地で、こういう状況で登場するガイド志望者はみんな「金ほしさ」だった・・そうだ、彼らはまず「いくら」を先に言った。
いくらで連れて行く、いくらで案内する・・彼らは訊かれるままに遺跡の位置を示したりしなかった。
そんなことをしたら、仕事を失う。
目の前にいる少年も「お金がほしい」気持ちはあるのだろう、しかし、外国人と話したい、というピュアな好奇心のほうが強いようだった。
すれていない。
海セン山センが現れる観光地をたくさんバックパッカー旅して、私は疑り深いしたたかな旅人になってしまったのかも知れない。少年の横顔を見ながら、すこし自分を恥じた。
「じゃ、行こう、つれていって」
という私の言葉に、彼は羊が通る野良道へと歩き出した。
「ここは大丈夫ですが、道を外れて歩くと危険です」
「どうして」
「地雷が埋まっていることがあります」
そうかあ・・・言葉がなかった。
まず彼は、古代の文字が刻まれた石の塔、「オベリスク」に案内してくれた。
それは、エチオピア軍が侵入したときに倒されて転がっていた。
「エチオピア軍は、この国で沢山の遺跡を壊しました」
彼は、悲しそうな顔をしていった。
「初めはトルコが、次はエチオピアがこの国の歴史あるモノを破壊しました」
彼は、地中に埋もれていて残った遺跡を案内しながら
「ここが入り口です、ここは神殿ではなくてふつうの住居でした。ここに住んでいた人たちは神を信じていませんでした」
などと説明をしてくれる。
詳しい。
「あなたは、歴史が好きなのね」
少年は、にかみながらうなずいた。
「あなたは将来、歴史を勉強するの?」
「アスマラ大学に行けたら・・落ちたら、ソルジャーになります」
そうだった。
この国の若者は高校卒業後にサワに行かねばならない。
サワは、まあ、私にいわせれば「軍事教練」をするところだ。
アスカダムは「今は軍事訓練の場ではありません、若者の教育施設です」というが、エリトリアテレビで見たサワの様子は軍人養成所以外の何ものでもなかった。
卒業後、と書いてしまったが、最近は卒業前に行くようになったらしい。サワに行くのをいやがって高校を卒業しないで止める子が多いからだ。
大学の入学試験に合格するか、サワで訓練を受けてミニタリーサービスで前線や各地の部隊に駐在するか。これは無期限、無給のまさに「サービス」のお仕事だ。
この国のふつうの若者には将来の選択肢がこの二つしかなかった。目の前にいる17才の歴史好きの若者にもそのどちらかしか、未来は開けていない。
サワで訓練を受けていて、大学入学許可通知が来ると抜けて好きな学問をすることができる。しかし失敗すると、下手したら前線で戦死だ。
軍事訓練とミニタリーサービスは男女関わらず義務なので、女子は「妊娠」という非常手段を行使するらしい。結婚していなくてもとりあえず身ごもれば「母体保護」ということで家庭に返される。
この国の幹線道路脇には、等距離で木が植えられている。一見、街路樹の続くふつうの風景だが、アスカダムはいった。
「あれはソルジャーツリーだよ、エリトリアでは兵士が一人死ぬと木を一本植えるんだ」
どこに行っても、ソルジャーツリーは延々と続いていた。
「この国では、ほとんどすべての家庭で独立戦争の犠牲者を出しているよ」
アスカダムは言う。
確かに親族訪問をすると、居間に必ず若者の遺影があった。
若者には無限の未来がある、といったのは誰だろうか。とりあえず正しいとは思うが、こんな国もある。
この国の若者たちは何とか外国に出たがる。親も必死に出したがる。道理である。若者に二つしか将来の選択肢がない、一方には死が待っているかも知れない国に明るい未来はない、と私は思う。
メテラの遺跡を見終えて、また彼に案内されながら村へ戻った。
途中、すれ違った女性が私を見て彼に何かを言った。
「彼女は何を言ったの?」
「あなたは荷物を背負って、疲れているように見える、何で代わって持ってあげないのか、といわれました、ぼくが背負います」
彼は私のザックを指した。
パンダのようには見られはするが、こういった親切はこの国に来て、あちこちで受けていた。
「大丈夫、疲れてはいない、日差しが強くて暑いだけ」
「暑い? 今、この国は涼しい、寒いですよ、あなたは暑いですか」
「この気温は日本の夏です」
なんて話をしながら、村に着いた。
彼に心ばかりの礼を渡しながら「アスマラ大学に行けるように、あなたの成功を祈っている」と、握手して別れた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
付記 アスカダムは、難民として北欧に渡った。そして、今はノルウエー人だ。彼は性格のよい立派な人、頭もよく私が理解できる範囲の英語を駆使してさまざまなことをレクチャーしてくれた。
もちろん、ノルウエー語も話せるが、母国語2つ(テグリニア・アマリニア)フランス語や英語もできる人。
今生、もはやオランダ在住の友人や彼の配偶者の一族には会えないだろうな・・・私、ワクチンは打たないし、そうするとヒコーキは載せてもらえないと思うので。
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この旅行記は続きが確かあったはずなので、パソコンの文書ファイルを探して、また加除訂正して記事にするかも知れません。