国語塾長、情報集めて考えます・書きます的ブログ

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挽歌(ばんか)・・旅だったチヨへ

2023-02-19 10:41:45 | 日記

挽歌…亡くなった者へささげるうた

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地震(なゐ)の前 葡萄園より 碧(あお)き目の 子猫来たりし 歴史(とき)始まる

 ※チヨは、カーブドッジワイナリーの猫棟に捨てられていました。私が友人と迎えに行ったのは2011年3月6日。東日本大震災の1週間前でした。

 

先住(せんじゅうの)の イッサ追いかけ 夜中じゅう 楽しきときや チヨは幼き

碧き目は ときに怒りの 炎燃ゆ 心つよき猫(こ) と吾知るなり

真夏日の 午睡(ごすい・昼寝のこと)の時の チヨイッサ 吾と三人 川の字に寝ゆる

日のおわり 塾猫抱いて 階段(だん)のぼる 腕(かいな)の中は モフモフのモフ

 

私のリアル家族はこの子たちだなあ…と実感した前の住居での思い出。

当地にUターンして、私の一番いい時間はこの時期だった気がしています。

 

顔埋めし イッサの毛の中 安らぎの いろ見えし 孤独いやすか

母猫の 家から誰の 手の中に  葡萄園まで 二度捨てられしか

猫とても 心ありしよ 傷つきて 我家(わがや)に来たり 食絶つ日あり

 

※チヨがうちに来た時の様子

耳は汚れていないし、ノミもいない、がりがりでもなく、いわゆる野良猫ではありませんでした。

健康診断で連れて行った動物病院では1月初めか12月末に生まれた子だといわれました。野良猫母さんはこんな時期に子を産まない、何故なら育てにくい時期だから。

明らかに飼い猫の子ども、しかし何らかの事情で誰かに譲渡され、その人も何らかの事情でチヨをカーブドッジの猫棟に放置。カーブドッジに猫棟(今はないです、オーナーチェンジで)があるのを知っているってことはかなりの猫好き・・なんでそれなのにチヨは捨て猫になってしまったのか・・チヨは心傷ついた状態でうちにやってきた、それは来た当初、まったくなつかなかった。時にご飯も食べなくなった。かなり荒れていたことで推測できます

何らかの事情で飼えなくなったのだろうだけれど、どうして放置せずにだれか引き取り手を再度探してくれなかったのか‥猫だって傷つくのです、特にチヨは賢い子だし。

 

家(や)移りし イッサ旅立つ 走り鳴く そはチヨのこころ 吾は泣くなり

ひとり猫 寂しかりしか チヨの声 夜中さわぎし 闇の向こうで

 

イッサがFIPで2019年7月26日に旅立って、チヨは夜中になると鳴いていました。走り回っていました。もしかしたら、イッサが来ているのかな、それで元気な頃にしていた追いかけっこをしているのかな・・と私は思っていました。


ミヤコ来て 目に怒り燃え 籠城の 2階吾寝ゆる チヨのそばにて

とき移り おさなきミヤコ 教育す 先住 姉御(あね)の 役目を果たす

 

ミヤコ連れてきた当初、チヨは怒りました。籠城しました、トイレ以外は階下に降りてきませんでした。仕方ないので、ご飯を運び、チヨの籠城場所に布団を敷いて寝ました。

洗濯した衣類にうんちやおしっこもされました・・・っけ。

しかし、どうやら、納得してくれたらしく(いろいろと話しました、ミヤコだって、幸せになりたいと思うよ、と)かなりクールで塩対応ですが、いい姉御さんになってくれました。


昨夏に 体調不良 兆しあり 見逃した吾 責めに責む今

さいごの日 塾猫しごと 果たせしよ きみはつよくて 美しき猫

苦しみても 一夜寝(い)ねたり ありがとう 決めて逝ったね ただありがとう 

 

さいごの晩、本当に苦しかったろうに…

命をつないで一緒にいてくれたのは、チヨの、私やミヤコへの思いやりだったと思います。

去年の夏、膵炎がはじまっていたんだろうと思うと・・その時に対応していたらまだ命あったかもと思うと、悲しい。

 

 

 


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