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ボヤキ嫁の日々の記録

“超”がつくほどの楽天家ダンナと文句が多いボヤキ嫁の日々の記録
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厳しくなった先生

2011年09月22日 | 学校 2011

今取っているクラスの教師、夏のコースでも教えてもらった先生で(以前の様子はこちらこちらから)、ボヤキ嫁や周りのクラスメートからは「採点が甘い」と思われていた人。

が、今学期になってちょっと対応が変わってきた。彼女の要求(書式や起承転結が出来ているかなど)が満たされていたら90%は取れ、変な間違えさえしなければ95%以上取れるのは変化なしだが、細かいミスも減点対象をなってきた。さらに授業中の私語、遅刻、怠慢については相当厳しくみるようになっている。(まあ当たり前だけど)

結構授業中にしゃべる人がいて、最初は「そこ、静かに」なんて注意していたけど、最近は説明をやめてしまう。しゃべっていたクラスメートはそうとうばつが悪いと思うよ。学校が始まってクラスの1/4が終わった程度。この調子だと、後半になった頃私語を連発している子には教室から出て行くようにといいそう。授業中にワードで文章を書く課題をだされ時、隣に居たクラスメートがPCの使い方を聞いてきた。がしかし、それについても話しては駄目だと言う。というのは、既に教師が何度か使い方を説明してたため、他の人に聞くということはいまだに理解していないという理由から。「クラス時間内の課題とはいえ、ある種試験なのだから私語厳禁」とのこと。

遅刻については相当厳しく、開始時間きっちりに出欠確認をする。先日は授業開始時間と同時に事前に告知していなかった簡単なクイズを始めてしまった。5分遅刻の子はかろうじて8割くらい参加できたけど、15分遅刻した子はまったく間に合わずこのクイズなにも答えられなかった。評価は0点!採点が甘い教師だが、これには理由がある。このクラスをパスするには平均で75%以上の成績でなければならないが、最終試験でこのクラスをパスするために必要な75%に達しない生徒がかなりいるそうだ。そういう生徒を救済するために、最終試験以外で高得点をつけておくという救済措置なのよね。1回の試験が0%ってこの平均75%に大きく影響してくるのよね・・・。

ある生徒が宿題で書いてきた文章がどう考えてもその人が書いたとは思えない内容だった。他のクラスメートも「あれはあの人が書いた文章じゃないよ!」と言っていたが、教師もそれに気が付いたらしくちょっと理由をつけて書き直しを命じていた。こういうのを見たのは初めてだった。クラス時間内に文章を書く課題がだされたのは、この人以外にも自分で宿題の文章を書いていないと思われる生徒がいるからだと思う。短い時間で書かねばならずつたない文章になるかもしれないが、その人の書き方のくせというのは出るので、これをすることによって自力で宿題をやっているかどうかの判断材料になると思う。

時間通りに来て、宿題もちゃんとやってくる生徒には甘めの点数をつけるが、適当に済ませてこのクラスをパスしようとする生徒にはより厳しくという態度を明確にしてきた。


古い辞書が役に立つ

2011年09月19日 | 学校 2011

先日、辞書は新しいほうがいいなんて書いたけど、時と場合にもよるとちょっと撤回。
(辞書の話はこちらから)

学校でサナニエル・ホーソーンの短編小説を読まされている。この週末の宿題は彼の短編小説(A4-11枚分)を読んで要約を書くこと。ささっと読んでみたが、なんだこれ?という単語がいくつかでてきた。ボヤキ嫁が持っている英英辞典(2008年刊行)には記載されていない言葉があった。"Prithee"って何だ?と約20年前の英和辞典で調べたら「願わくは、何とぞ」と記載されていた。そしてきちんと((古))と記載されていた。古い用法でのみ用いるということ。サナニエル・ホーソーンは1809年から1864年に生きていた人なので使われている言葉が古い。時には役立つ古い辞書!と思ったわ。

今取っているクラスの先生、本来はESLを教える人ではないそうで(来期からは英語のクラスを受け持つ)、授業で使う日々の課題に選んでくる小説家は19世紀の人が多い。以前はケイト・ショパン、エドガー・アラン・ポーだった。日本で例えたら、日本語を勉強している人に坪内逍遥や森鴎外などが活躍していた時代の本を読ませるようなものだと思っている。(原版だったら日本語のほうが読みにくいと思うけど。)
教師本人が本を読むのが好きだからと思われるが、少し前の小説は時代背景を知らないと「へ?」となるものが多い。作者についてと、その時代背景も調べておくことが課題にあるため、文章からだけでなく時代背景を鑑みて作者が言わんとしている内容を考察させたいらしい。見方によっては色々な解釈が出来る作品が多く、面白いなと思うのだけど若い子達にはつまらないらしい。


お互いに添削する難しさ

2011年09月13日 | 学校 2011

学校では生徒が書いた英文を生徒同士お互いでチェックすることがある。
(教師は別に添削してくれる)

このお互いにということは物凄く難しい。
例えばよく知らないクラスメートだと批判的なことを書くことをどう書いたらいいか考えてしまう。
アウトラインを書けといわれているのにものすごーーく長く説明文を書いてきている人がいた。今求められているのは簡易な流れを説明することであって、考えを全て記述しろとは言われてないよとコメントしようと思ったがあまりよく知らないクラスメートなためこれを書くのは止めた。

文法の間違いを指摘したいが自分の答えがあっているか100%自信がない場合、ボヤキ嫁は指摘しないことにしている。が、間違っている指摘をしてくる人も居て、「これは元の文章のほうが正しいよ」とコメントすると「私があっている!」と答えてくる人もいる。間違った指摘をしてくる人にさらに指摘しなおさねばならないということも起こるのだ。

言わんとしていることを理解せず、自分の意見を述べてくる人。お互い語彙が足らない部分や言い回しの理解度が違ったりするため、相手が伝えようとしている内容を理解せず、自分の考えを押し付けてくる人がいる。その言葉をこっちに変えたら意味が違ってくるのだけど・・・と思うこともある。

こういった色々があってお互いを添削するって難しいなと思うのだ。だけどまだこれらをやっている人は良いほうで、「あなたの文章は素晴らしいわ!」とコメントを残すだけの人もいる。100%素晴らしいと思わせるものだったら分かるが、あらら?という文章にもこういうコメントが付けられている。お互い褒めあうのは大切だと思うのだけど、添削するという課題なんだけどな~と思ってしまう。

他のクラスメートと書きたいことがあっても良く知らないクラスメートへ間違いを指摘するコメントを書くことは難しいよねと話している。


慎重に話を聞く

2011年09月02日 | 学校 2011

ボヤキ嫁が通っている学校では文章を書く様式が決まっている。このフォントを使い、何ポイントの文字の大きさに変更し、紙の余白は何センチとするなど様式が決められている。しかし設定に慣れていない生徒がいるだろうからと、教師は既に設定がなされているファイルをクラスの掲示板に掲載しており、そのファイルを書き換えるだけで済むようにしてくれている。

だけどその様式で提出していない生徒がちらほらいる。うーん・・・。この書式を使うことが始めての人だったら分かるが、このクラスを一度落ちていて二度目の受講の生徒が間違えているってどういうことなのだろうか?他にも聞いていたら分かるだろうということを間違える生徒が沢山いる。うーん、このクラスが終わったら普通の授業を受けるのだけど、大丈夫なのかしらと他人のことながら心配。


学校初日 (2011・秋)

2011年08月22日 | 学校 2011

今日から秋のコースが始まった。毎回初日はレベルテスト。エッセイ『アメリカにおいて、環境変化は重大な危機状態を迎えていると思うか?環境問題は特段問題がないという意見もある。どちら側の意見を支持するか明確にし、その根拠を述べる』というもの。これを1時間で書けだって。半分諦めで書いてきた。
明日は別のクラスが初日で、こちらもテストがあるのよね。まあ自分のレベルを測るためのテストだから、たった1日で何か対策が出来るものではない。ということで、明日も英語力のなさを思い知らされるのだな・・・。