蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

びわ湖  (bon)

2020-08-01 | 日々雑感、散策、旅行

          なんだかんだ言っているうちに、今日から8月に入りました。今年は春から、
             メリハリ
のない社会的にもどんよりとした日が続いています。お天気の方は、
             ようやく関東の今朝は、スッキリと晴れいよいよ“梅雨明け”間近となるようで、
             ムシムシから解放されますが、今度は猛暑、熱中症ですね。 
             コロナも感染拡大増加で、今年はことのほか大変です。

 

 近江八景を記事にしていた時、そういえば、懐かしい『びわ湖』について少し調
べてみたいな、となりました。 びわ湖はよくご存じですが、もう少し深掘りして
みました。

 手元にある「日本の年中行事」には、琵琶湖祭りというのが、8月1日~1週間様々な
趣向でお祭りが行われるとありますが、現在ではそのようなお祭りはなく、8月8日の
大花火大会が開催されていますが、今年はコロナでそれも中止とありました。

 

 びわ湖というのは、河川法上の名称は『一級河川琵琶湖』というのだそうです。
で、バイカル湖やカスピ海など世界で20か所くらいのグループに入る古代湖の一つで、
琵琶湖は 5~6百万年の歴史があるとありました。 そのころに、三重県伊賀地方の
地殻変動によってできた構造湖が北に移動して比良山系によって止められる形で現在
のようになっているのだそうです。
 なので、水深が深く、北部の最大水深は104mにおよび、最も浅い南部でも平均4m
とあります。

       (ネット画像より)

 びわ湖にそそぐ河川は、野洲川、日野川など10以上の川があり、出口は瀬田川1本
のみで、これが、宇治川そして淀川となり瀬戸内海(大阪湾)に流れているのです。

 縄文、弥生時代から交通の要所として利用され、その後も都に近い淡水の海で
「近淡海」、また都から遠くにある淡水の海(浜名湖)を「遠淡海」とよばれ、そ
れが おうみ,とおとうみ と呼ばれているのですね。

 天智天皇は西岸に大津宮を置かれ、秀吉は長浜に城を築き、江戸時代には彦根藩、
膳所藩などがあり、湖岸周辺に多くの合戦地があり歴史的にも様々な拠点となって
いるのです。

         

 このような琵琶湖に、子供のころ初めて来たとき、水面に波が立ち、海と同じよ
うに繰り返し波が打ち寄せてくるのを見た時の驚きは今でも記憶にあります。当時、
私は、波が打ち寄せるのは海(海水浴などで経験)だけかと思っていました。
 そして、琵琶湖で泳いだ時に、少し沖に飛び込み台があって、その下に潜ると、
小さな魚がいっぱいいるのを見て再び驚いたのでした。湖にも魚がいることは知っ
ていましたが、まさかこんなところに・・という感じでしたね。

 大人になってからは、湖岸でキャンプをしたり、観光地巡りなど、遊覧船で竹生島
にわたったりもしたことがありました。
 1950年には、国定公園に指定され、それを機会に「琵琶湖八景」が選定されています。

       (ネット画像より)

 
 また、琵琶湖にはちょっと変わった「全層循環」という自然現象があるそうです。
酸素を多く含んだ表面近くの水が湖底近くの水と入れ替わる現象だそうです。生物
に酸素を供給する働きがあることから「琵琶湖の深呼吸」とも呼ばれるそうです。
 しかし、今年2月の発表では、ここ2年続けて全層循環が確認できなかったとあり
ます。地球温暖化の影響で暖冬のために,冬季の湖面冷却が進まず比重が重くなら
ないことによると分析されています。全層循環が不完全となり、酸素濃度が低下し
生物が大量死滅する異常事態が発生しているそうです。

        

 びわ湖の最北、木ノ本あたりの「賤ケ岳」も歴史上のポイントですね。秀吉と
勝家との戦
いで、勝家はそこから北ノ庄へと落ち延びるのですね。

       (ネット画像より)

 

 youtubeの歌は、「琵琶湖周航の歌」で決まりですが、それよりずっと後にできた
「びわ湖哀歌」も挙げておきました。

 

琵琶湖周航の歌(心にしみる歌)

 

琵琶湖哀歌

 

 

 

コメント
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