蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

住吉踊り  (bon)

2021-06-15 | 日々雑感、散策、旅行

               関東地方もようやく梅雨入りしたそうです。
               G7サミットはおだやかなうちに、5項目の議題をまとめ幕となりました。
        東京オリ・パラは、全首脳の支持が得られたとあり、かくなる上は開催時は
        新型コロナはもちろんのこと大きな自然災害などがなく無事に終了することを
               祈るばかりです。

 

 「住吉踊り」とは珍しい響きですが、大阪の住吉大社で毎年、6月14日に行われ
る『御田植神事』の中で奉納踊りの一つとして実施されています。
 祭祀としての住吉踊りは、神功皇后(4世紀、14代仲哀天皇后)が三韓から凱旋
の折、泉州(現、堺市)に上陸したことを祝って、海浜の漁民が舞ったのが始まり
とされているとあります。 その後中世には、農民の間で五穀豊穣を祈る農民舞踊
となり、さらに住吉神宮寺の僧が庶民の安全繁栄を祈った踊りとして広まっていっ
たとあります。

 もともと僧が踊って勧進したことから、踊り手の衣裳も僧服を模しています。

        住吉踊り
        (ウイキペディアより)

 住吉踊りは、大道芸として初め京阪地域の願人坊主(がんにん坊主:門付けをし
たり、大道芸能を演じたり、人に代わって参詣・祈願の修行や水垢離 (みずごり)
などをしたりした乞食僧)らが物乞いのための大道芸として広め、次第に滑稽な歌
や踊り、芝居の振り真似なども加えて見世物化していき、江戸から諸国に伝わって
いったそうです。
 大道芸の住吉踊りはその後、住吉大社とは関係なく、明治以降も幇間の座敷芸や
落語家らによる寄席芸「江戸住吉踊り」として、あるいは願人踊りなど郷土の祭り
の芸能として引き継がれてきたそうです。

 ウイキペディアに、『かっぽれなどを住吉踊りと称することもあるが、大道芸と
しての住吉踊りは伊勢音頭や豊年踊り、子守り踊りなど民間踊りや俗謡が混在して
おり、本来の住吉踊りとは異なる』とありました。

        住吉大社
         (ウイキペディアより)

 一方、住吉大社の『御田植神事』は、住吉大社HP によれば、『神功皇后が住吉
大神の御供田として新田を定められ、長門国(現在の山口県)から植女を召したこ
とに始まるといわれております。 すでに鎌倉時代の記録には、猿楽・田楽など数々
の芸能が見えており、規模も相当なものであったようです。  明治維新に際して
神事廃絶の危機もありましたが、この伝統は末永く受け継がれ、昭和54年2月24日、
国の重要無形民俗文化財に指定となりました。』とあり、かなりの伝統にあります。

      御田植えのようす
        (ウイキペディアより)

 神事は神前より授かった早苗を植女から替植女に渡し田植が始まります。 御田
中央の舞台では、神楽女(巫女)8人による「八乙女舞」や鎧兜で行う風流武者行事、
地元の子供達による「田植踊」と続き、最後に「住吉踊」が行われ、ようやく神田
の田植えが完成を迎えるのです。

 

 

住吉踊りは、14分40秒頃に出てきます。
令和元年 住吉大社 御田植神事

 

 

 


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