蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

古代農業  (bon)

2014-07-10 | 日々雑感、散策、旅行

 蓼科農園の近くに、尖り石縄文考古館があります。 

また、畑の帰りには、いつも尖り石温泉 “縄文の湯” の常連・・そんな環境で既に10年以上農作業を楽しんでいます。

 ところで、先ごろ届いた会報に、縄文農法と弥生農法(設楽博己氏、東大大学院教授)との記事が目に止まり
ましたので、どのようなことなのか かいつまんで、ご紹介しようと思いました。

 つまるところ、これまでの定説としては、農耕が始まるのは、弥生時代からで、縄文時代とそれが決定的な
違いであるという事であったそうです。 ところが、考古学分野における新しい検証方法や、各地での発掘などに
より少しずつこの定説が解明されて、縄文時代にも穀類の栽培がおこなわれていたとの見方が出て来た
というのです。 そして、これらの農耕が時代の一つの文化を形成していたとも考えられるのです。

              縄文のヴィーナス(国宝)
                     (尖り石縄文考古館HPより)

 

 以下に、抜き読み程度で要点を記してしてみました。

 文頭の、八ヶ岳南麓の縄文中期の文化がいっこうに狩猟文化らしくなく、高度な文化が農耕によって
支えられていたのではないか、 また、西日本の縄文晩期に打製石斧が増えることから、ここにも農耕が
あったと考えられた。 そして、そもそも弥生時代に入って農耕が突如として始まったとは考えにくいことから、
野生採集段階→ クリなどの半栽培段階→ イモなどの根茎作物栽培段階→ 雑穀栽培段階という縄文時代の
農耕を前提として弥生時代に水田耕作が達成されたと考えられた。 
このことは、福井県鳥浜貝塚などから縄文前期にさかのぼるヒョウタンやエゴマなどの栽培植物が検出され、
縄文時代にも古い段階から何らかの植物栽培がおこなわれていたことからも裏付けられる。 
さらに、最近の遺跡における花粉分析や出土種実のDNA分析によって、縄文中期には集落の周辺でクリを育て、
クリ畑といっても良い程の管理がなされていたこともわかってきた。

  縄文土器(ウイキペディアより)       エゴマ(ウイキペディアより)
                

 

 レプリカ法(考古学の研究方法の一つ。後述します)によると、縄文中期以降に、ダイズやアズキが
中部高地地方などでさかんに栽培されていたことが明らかになり、縄文中期の文化を支えたのがマメ類で
あった可能性もある。 また、エゴマやシソなど嗜好品が主流をなす縄文農耕の特徴もわかってきた。
 

 季節に応じた網羅的な食料資源として、自然の恵みの一部を管理する程度にとどめた縄文農耕に比して、
弥生時代のそれは、穀物という特定の植物に対して集約的に手を加える農耕スタイルであったところに
大きな違いを見出すことができる。 土器の形状や種類の組み合わせ、農具の整備、精神的な遺物の変化など
農耕文化複合の成立として捉えた時、穀物栽培が文化の変化の大きな引き金になっていると考えられる。

 弥生時代には、朝鮮半島から日本列島にイネや雑穀などの穀物がその栽培技術とともに複合的にもたらされ、
その中から文化の伝統性に応じて農耕のスタイルを選択して形成されてきた。
 

 縄文時代といっても、14000BC~300BCと、1万年以上も長い期間を指しており、通常これらの期間を
いくつかに区切って論じられていますが、発掘された遺跡からの出土品とそれらの検証方法の進化によって、
刻々と理論が展開されているのですね。


(以下、ウイキペディアから転写しました。)

レプリカ・セム法は、考古学における研究方法のひとつ。石器や土器の植物圧痕などをシリコーン樹脂を用いた
レプリカ法によって試料化し、走査型電子顕微鏡を用いて観察する方法。セム(SEM)は走査型電子顕微鏡
(Scanning Electron Microscope)を意味する。

考古学におけるレプリカ法は1991年に丑野毅により開発され、丑野は石器の接合資料に対してレプリカ法を用い、
失われた剥片や石核を検出する手法であった。その後、レプリカ法は石器以外でも土器の施文具や木葉痕、
繊維混入物、土器の整形痕や印刻など様々な資料に応用され、多様な研究に用いられる手法として発展した。

 一方、植物考古学においては遺跡から出土した植物遺体やプラント・オパール、土壌に含まれる花粉など
多様な植物遺存体を検出することで自然環境の復元や、栽培植物を検出して人との関わりの歴史を解明する
試みが行われている。 植物遺存体は肉眼で観察可能な大型のものだけでなく、数ミリ単位の微細なもの、
花粉など肉眼での観察が難しく実体顕微鏡や生物顕微鏡を用いて観察を行わなければならない試料が存在し、
同定に一定の不確実性が存在したほか、遺跡からの出土や分析の過程で年代の異なる試料や現生植物が
混入する試料汚染(コンタミネーション)の危険性を抱えていた。

また、植物考古学においてアプローチする資料には植物遺存体のほか土器内部に圧迫された植物遺存体の
形状が残った圧痕土器の存在があり、古くは1925年に山内清男が粘土や石膏を用いた型取りを行い、
稲籾の検出を試みている。

1990年代後半から2000年代にかけて中沢道彦、丑野毅、松谷暁子らはレプリカ法による縄文時代晩期後
葉の稲籾を検出している。2000年代にはレプリカ・セム法が確立され、試料汚染の可能性の低い手法としても
注目される。山崎純男、中山誠ニ、小畑弘己らにより各地で土器圧痕から稲をはじめとする栽培植物の検出が
試みられており、稲籾や縄文時代のダイズ、コクゾウムシなど多様な資料を検出している。

 注)プラントオパール:植物の細胞組織

 

         

 3年ほど前に、尖り石縄文考古館に訪れたことがありましたが、土器類ばかりに目が移っていたようですので、
この記事を参考にして、農耕文化・・の視点からもう一度同館を訪問してみたいと思いました。




 

 

 

 

 

 

 

 


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