蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

長崎くんち (bon)

2017-10-08 | 日々雑感、散策、旅行

 10月7~9日まで、長崎くんち(おくんち)の祭礼があります。

u-tubeなどを見ますと、既に4日には“本番直前 人数揃い”などといって、今年の仕上が
り具合を本番さながらにご披露されていますから、結構長く楽しめるようです。

 長崎には、これまで何度か来ていますが、それぞれ別々に、ハウステンボス、平和記念
公園、浦上天主堂、諫早の先輩のお宅・・それに、大昔には、修学旅行でも訪問していて
グラバー邸や大浦天主堂なども うっすらと記憶があります。
 先輩のお宅訪問の時は、この頃ボーリングが流行っていたのでしょう。 長崎まで来て
何も・・と思いますが、稲佐山に上った時、ボーリング場を見つけると わざわざ行ったり
した記憶があります。

 掲題の、長崎くんちは、映像や写真で“じゃ踊り”など見かけたりして 一度行って見た
いと思ったこともありましたが、ついに本番を見る機会はなかったのでした。
 幸い、u-tubeなどにたくさんの動画がアップされていますから、これらをあちこちと見て
いますと、何やらその場にいるような錯覚に入り、今となってはこれで満足・・などと
ずぼらを決め込むありさまです。

         龍(じゃ)おどり
          (長崎くんちHPより)


 ネットから、拾い読みで進めますので、お付き合いのほどよろしくお願いします。

  長崎くんちは、長崎市の諏訪神社の祭礼(秋季大祭)として行われ、いろいろな踊りや
大太鼓などの催しが奉納されるのです。 昭和54年には、国の重要無形民俗文化財に指定
されています。 博多おくんち、唐津くんちと並んで
日本三大くんちと呼ばれる・・とも
ありました。

 ウイキペディアに、『地元では一般的に「くんち」と呼ばれるが、お諏訪様(諏訪神社)
への敬意を表し「おくんち」という人もいる。「くんち」には「宮日」「供日」という字
があてられることがあるが、その名称は旧暦の重陽の節句にあたる9月9日(くんち)に
行ったことに由来するという説が有力である。』 とありました。

 起源は、江戸時代(1634年)ころ、神前で遊女二人の舞を奉納したことに始まり、その
後、次第に盛り上がりを見せ、奉納出し物の数などもいろんな趣向が取り入れられて今日
の発展につながっているそうです。


 『「龍踊(じゃおどり)」「鯨の潮吹き」「太鼓山(コッコデショ)」「阿蘭陀万才
(おらんだまんざい)」「御朱印船(ごしゅいんせん)」など、ポルトガルやオランダ、
中国・ベトナムなど南蛮、紅毛文化の風合いを色濃く残した、独特でダイナミックな演し
物(奉納踊)を特色としており、傘鉾、曳物(山車・壇尻)、太鼓山など、京都や堺の
影響も窺える。』というのです。

         傘鉾踊り(例)   
          (ネット画像より)

 諏訪神社の祭りといえば、全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社、諏訪大社の御柱祭
があり、昨年(2016年)私たち蓼科浪漫倶楽部メンバーは、氏子として参加しましたが、
ここ長崎くんち も、諏訪神社の氏子にあたる長崎市内の各町が、奉納踊を奉納し、市内
59の町が5~7町ごとに7組に分かれて年ごとに奉納するとあります。
 長野県の御柱祭も、各町を8つの地区に分けて、7年(実際は6年)ごとにそれぞれが御柱
を奉納しますが、長崎くんちは毎年行われますが、その年の当番に当たる『踊り町(おど
りちょう)」は、7年に一度回ってくることになっているようで、どこか御柱祭(長野県)
に似ているのですね。

 今日の朝刊(読売新聞)に、愛知県半田市の「はんだ山車まつり」が紹介されていまし
た。1979年に始まったといいますから、最近のお祭りですが、豪華な山車が31台がずらり
並んだ姿は壮観です。こちらの祭りは、5年ごとに開催されるとあり、10月7,8日の二日間
に行われるそうです。

 いよいよ、10日からは選挙の街宣車が騒がしく動き回るでしょうが、今日の日曜日、明
日の体育の日(9日)は、全国的にお天気が良く、秋祭りや、運動会など各地で賑わうこと
でしょう。
        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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