梅雨が戻ったような日が続いて、この3連休もお天気はどうなんでしょうか?
明日(18日)「海の日」は晴れのようです。 下旬には夏休みが始まり、いよいよ
夏本番が始まろうとするときに「想い出」とは変ですが、ずっと昔、小学生の頃
の夏が想い出されてきたのです。
夏休みは、1か月も休みが続くところが大変魅力を感じていました。でも、外国
のようなバカンスで避暑地に旅行するとかそんなのは思いの外で、戦後のようやく
復興も落ち着いてきた頃のお話ですから、この長い夏休みに何か特別なことをする
というのではなく、ただ、毎日学校が休みであるということが最大の魅力だった
のでしょう。
それでも、この夏休みの期間に「林間学校」や「臨海学校」という学校の行事
などがあって、どちらも2泊3日くらいの小旅行体験でしたが楽しい想い出として
残っています。
小学校も高学年になると、このようなお泊りの行事が組まれ楽しみでした。
あるときは、淡路島の洲本の旅館(確か、四州園とかだった)で、砂浜のすぐそば
だったようですが、海水浴を楽しんだ事が印象に残っているんですね。
(ネット画像より)
ほんの少し沖合に、見張り台のようなものがあって、その周りを潜ってみると、
水槽で見るような魚が泳いでいたのにびっくりしました。 そんなところに魚が
いるなどとは思ってもいなかったこともそうでしたが、海にいる魚が泳いでいる
のがすぐそこに見られたとの衝撃に近い感覚だったのでしょう。
6年生の時だったでしょうか、やはりこの浜で、何人か泳ぎに自信のある生徒が
一列に並んで「遠泳」(2㎞)に参加しましたね。 伝馬船のような船がド~ン、
ド~ンと太鼓を鳴らして泳いでいる横で監視している。ある程度沖に出て、Uター
ンして砂浜まで戻る・・そんな風なものでした。
浜辺に近づいて、脚を着こうとしたときに、脚に力が入らずよろけるような感じ
になりましたが、ほんのしばらくの間海の中で泳いでいたことから、岸に着いて
急に重力を感じたからなんですね。完走(泳)した記念の証書をもらったような
記憶があります。
(ネット画像より)
泳ぎには、自信があったんですね。もっと小さい頃から、夏には、難波からバ
ス(あるいは市電かトロリーバス?)に乗って浜寺海水浴場まで、一番上の姉(8
歳上)と一緒によく行ったのでした。 土用が過ぎると波が荒いなどと言われて
も平気で、岸から大きな波を上手に乗りながらどんどん沖に向かって泳いでいま
したから、当然、背丈よりはるかに深いところですが、そんなことには何の心配
もしていなかったのですね。
林間学校にも何度か行きました。林間学校は、高野山でした。宿坊に2泊して、
朝は、5時ころでしょうか起床して、身の丈ほどもある竹ぼうきで境内の掃除、そ
れから廊下などのふき掃除をして、朝ご飯でした。なぜか、カボチャとたまねぎの
入ったみそ汁を覚えているのですね。よほどおいしいと思ったのかもしれませんね。
(ネット画像より)
お勤めもしているはずですが何も記憶がありません。法話も皆目記憶の端にあり
ません。高野山では金剛峯寺、苅萱堂、奥之院などに行ったのでしたがうっすらと
記憶にある程度です。
高野山苅萱堂
(ネット画像より)
もう70年も前のことですから、当時と今は少し変わっているでしょうね。外国人
の観光客が多く僧侶も外国語で案内するとか。さらには、境内のナイトツアーなど
もあるとか・・時代は変わりました。
その後も、成長のそれぞれの段階で、夏の想い出は様々に変化し自分たちの計画
での行動が中心となり、より遠く、より変化にとんだダイナミック旅行などへと
移って行くのでした。
テレビもスマホも電子ゲーム器もなかった時代ですが、十分満足して楽しい夏
でした。
真珠採りのタンゴ(アルフレッド・ハウゼ)