杵屋六郎ブログ

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山城少掾

2016-09-27 01:06:54 | 日記

名人と呼ばれた山城少掾は8世竹本綱大夫の師匠です。義太夫の歴史的な名演奏を数多く残しています。山城少掾の演奏を聞けば義太夫の魅力を発見できるはずです。三味線の名人との演奏に何回も感動を覚えました。繰り返し聞いてもその魅力は変わりません。
感動できる生演奏に勝るものはありませんが義太夫を知るきっかけには名人の演奏が適しています。

新撰 芸能人物事典 明治~平成の解説

豊竹 山城少掾
トヨタケ ヤマシロノショウジョウ

職業義太夫節太夫(文楽)
専門人形浄瑠璃
肩書日本芸術院会員〔昭和21年〕,重要無形文化財保持者(人形浄瑠璃文楽・太夫)〔昭和30年〕
本名金杉 弥太郎(カナスギ ヤタロウ)
別名前名=片岡 銀杏,竹本 小津賀太夫,竹本 津葉芽太夫,豊竹 古靱太夫(2代目)(トヨタケ コウツボダユウ)
生年月日明治11年 12月15日
出生地東京府 浅草区(東京都 台東区)
経歴明治14年片岡銀杏と名乗って歌舞伎の舞台に立つ。20年5代目竹本津賀太夫に入門、小津賀太夫を名乗る。22年大阪に出て、2代目竹本津太夫(7代目竹本綱太夫)に師事、津葉芽太夫を名乗る。42年2代目豊竹古靱太夫を襲名。以後、3代目鶴沢清六・4代目清六を相三味線にコンビを組んで昭和初期の文楽黄金時代を築き、津太夫、土佐太夫とともに“三巨頭”といわれた。3代目津太夫没後の昭和17年に文楽座を代表する16代紋下となり、34年に引退するまで、“山城風”という芸格は文楽の座高峰と見られ、義太夫界の6代目菊五郎とも呼ばれた。21年日本芸術院会員、30年人間国宝、35年文化功労者。この間、戦後間もない22年、秩父宮家から山城少掾藤原重房の掾号を授けられる。24年4代目清六との相三味線を解消、27年鶴沢藤蔵が相三味線を務める。代表曲に「摂州合邦辻・合邦庵室」「一谷嫩軍記・熊谷陣屋」「艶容女舞衣・酒屋」など。また、番付、丸本の集大成につとめた。著書に「山城少掾聞書」「文楽の鑑賞」がある。
受賞日本芸術院賞(第3回)〔昭和18年〕,文化功労者〔昭和35年〕 勲三等旭日中綬章〔昭和39年〕
没年月日昭和42年 4月22日 (1967年)
伝記昭和の名人 豊竹山城少掾―魂をゆさぶる浄瑠璃 渡辺 保 著(発行元 新潮社 ’93発行)