たくまし可愛いい、ロボの戦い

乳がんと戦う、ロボの戦闘日記。
戦闘を離れた日常もつづってます。
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流れる時間

2005-07-31 | 親孝行旅行
親戚の家におじゃますると、どこでも
「泊まっていくんだろ?」とか
「二階を片付けてあるから」とか
「今日はジンギスカンにするけどごめんねーこれから買出しなの」
と長居することが当たり前のように言われ、
ちょっとしか居れず早々に帰ることが心苦しかった。
旅行中と普通の日ってだけでも時間の流れは違うけれど
時間の流れってその人やその時、様々に変化すると思う。

ありきたりな話だけど、子供の頃は一週間、一ヶ月、一年が長かったよね。
学研をとっていて、読むのも付録(教材ね)も面白いんだけど
なぜか「まだかなまだかな~」の歌に反して全然待ち遠しくはなかったから、
ものさしを「学研」にして測ると一ヶ月は短かった。

今だって苦痛な時間は長く感じるよ。
一週間のうち平日は十分長いし、荷物が重いときの家は遠いし
注射を待ってる時なんて永遠。
それから、旅行当日になるまでの一ヶ月も長かった。
楽しみなことを待つ時間は長い、苦痛に耐える時間も長い。
楽しい時間は一瞬。
そんな一瞬が減ってしまったから、振り返る一年が短いのかな?
楽しみに何かを待つ期間が減ってしまったのかな。

そう、苦痛に耐える時間は長く感じるよね。
休職していたこの7ヶ月間、日記にもちょこっと書いたけど
「何していいかわからない焦り」に襲われた時期があった。
もちろんすべき事はたくさんあるのに、で
プレッシャーとか何だとか、形容詞にあてはめられない感情だった。
治ると思い込んでいられる私はいい。
光に向かえない人はどうしたらいいのだろう。
「時間」までもが自分に襲い掛かってくるんだから辛い。

この旅行で会った親戚達は、元気でいてくれた人もいれば
そうでない人もいた。
「もう会話もできないし相手が誰かもわからない状態ですから」
と聞かされて会った方にお母さんが「私、誰だかわかる?」と聞くと
入れ歯を外していてしゃべりづらいはずなのに
大きな声で母の名前を叫んだ。

時間さえあれば"まだできること"をひとつひとつ繋ぎ合わせて
そんな時間も一緒に楽しめるかもしれない。
病院に勤めていろんな介護をしている母は
その時間がない事がきっと悔しかっただろう。

ブルーハーツの歌に
ここで楽しもう、ここで何をしよう、みたいな歌がある。
歌の本意はどんなだったか忘れたけど(すみません)。
過去を振り返り、私はここで「幸せ」を
ここで「悲しみ」を、ここで「本当の優しさ」を知った
ここで裏切られたり、次に信じてみたり
という風にこれは何の時間か、割り当ててみる。
私のこの7ヶ月は、ここで生と向き合うところ?
仕事に復帰した今は、どんな「時」になるか解らないけど
精一杯生きたい。

さて旅行のこの日、ここはゆっくりしどきで
私はどうやら間違えてしまったようだけど。

40年後、そこにあるもの

2005-07-27 | 親孝行旅行
今日は気球、ラベンダー、ヘリコプターと遊びつくした感じだけど
今日のメインどころかこの旅のメインがこれからです。

お母さんのふるさとめぐり。
お母さんの故郷には山に囲まれ大きな川が流れていている、
・・そのくらいしかない街です。

あっ最近出来たっぽい、ゆかりのなさそうな観音様とお城があったけど
お城の中は何かの展示場のようです。
町興しかな?
もう何年も前にその街で温泉がでた事があって、
でもぬるかったから発展させなかったようだけど
「あの時、沸かしてでも商売しとけばこの街だって今ごろはねー」なんて
後で会った親戚の人が話してくれました。

お母さんの出身の小学校を見つけ、学校はまだ授業中のようだったけど
暇そうな(失礼)先生が居たのでいろいろ聞いてみました。
もちろん校舎は新しくなっているのだけれど、なんか可笑しかったのが
すぐ横にある中学校と敷地が入れ替わっていたこと。
なんで??(笑)

それから少しうれしかったのが、当時からある二宮金次郎像や木が残されていたこと。
「建替えにつき、今日までの卒生の為に残すものとする」みたいな看板もあった。
大きなうろのある柳の木はすごくて、あんな大きいのは見たことない。
お母さんも覚えがあるらしく、なんだか長いこと先生に話を伺っていた。
別に私がうれしがる事はないんだけど、
そんなエピソードやはからいはうれしいよね。
そして、この街を出てゆく人はきっと多いのだろうけど
お母さんの小学校がみんなに愛されていたって事、羨ましいな。

そのあとに旧家探し。

信じられない・・というよりはあっけない感覚の方が強かったのだけど
なんと、残っていたのです。
お母さんがかなり幼少の頃に住んでいたという木造の長屋が。
玄関こそ少し崩れていたけれど、
みんなが集った縁側も
おじいちゃんが顔を出していたという窓も
別に今ひらいて誰かが出てきても不思議ではなかった。
そのくらい“普通”に存在していた。

驚いたのは2件長屋なんだけどその片方には今も人が住んでいたこと。
豪雪の降る北海道のど真ん中で、木造の長屋が40年も50年も経って
まだ現役って、とんでもない事だ。
そして家の裏には当時からあるぶどうの木が、今年の実を実らせていた。

ふふ。
お母さん、どうでしたか?

お母さんは最初「この窓はどうで、トイレがこうで・・」と
少女のように私たちにいろいろ説明していたけれど
途中からあまり何も言わなくなってしまった。

何か、思いがあったのかな。

テネシーワルツ

2005-07-26 | 親孝行旅行
友達のブログで年ごとのヒット曲をあつめたCDがある事を知った。
彼女は自分の生まれ年のヒット曲のCDをお父さんにプレゼントしたらしい。
その友達と私は同い年で生まれ年も同じ、てことは私が生まれたとき
お母さんもきっと聞いていたに違いない。
友達からCDを借りて、
この日、話題が途切れた頃にかけてみた。


私が生まれた時はお母さんは当時25歳
お父さんは19だか20歳だか・・。
さらにその数年前、まだ付き合っている頃に
お母さんが「結婚する気が無いなら別れてくれ」って言い放ったら
お父さんはその言葉を受けてお母さんに一言も告げず実家に戻ってしまい、
そしてまた突然現れ「決心した」って言ったんだって。

私が生まれてしばらくして二人は別れちゃったんだけど
そんな若い子に結婚をせまるなんて可愛そうだよね(笑)。


このCDをかけている間、さすがに弟は退屈そうだったけど
お母さんは歌手を言い当てたりして懐かしんでくれた。
その歌手のエピソードなんかも交えながら。
こんな子がひとり立ちしてどうすんのー?と思ったけど
まあよく売れたもんだわよ、一曲だけど。とか
フィンガー5の借金や病気がどうとかね。

江利チエミの曲も入っていて「寄り添う相手」に飢えているお母さん(笑)は
高倉健との結婚・離婚話を少しうらやましそうに話していた。
お母さんが言うには、とにかく相思相愛でいながらも別れなくてはいけなくて
江利チエミさんは別れてすぐに嘔吐物が喉につまったとかで
自宅で一人、若くして亡くなったんだって。
亡くなったのは私もテレビで、完全に「知らない人」として見てたのを覚えている。
また最近になって芸能人の誰かが、
とにかくチエミは健さんが大好きで・・別れる前にもっと止めてやるべきだった。
なんて話しているのを見たことがある。

そんな事を話しながらもうすぐ富良野を後にする。


ぽっぽや、って見たことありますか?

かつて炭鉱の町として栄えたけど、今はさびれたローカル線の終点となった幌舞駅。
それが「鉄道員(ぽっぽや)」という映画の舞台。

お母さんの故郷もかつて炭鉱の街として栄えたけど炭鉱がなくなり、
職をなくした私のおじいちゃんは北海道を後にした。
「幌舞駅」は実在せず、富良野にある幾寅駅というのがその映画の撮影地。
北の国からやこの間のドラマのほか、そんな映画も富良野なんだね。

私もお母さんも弟もこの映画を見たことは無いんだけど
わたしがちょっとだけ聞いたことがあるプロローグはこんな感じ。
真面目な鉄道員で仕事の為に、妻子の死にも立ち会えず・・というようなふれこみの話。
その映画の冒頭で主演の高倉健が口笛を口ずさみ、その曲が
今は無き江利チエミさんの「テネシーワルツ」なんだって。
この話をお母さんにすると、鳥肌が立てて感動してた。
映画の演出なんだけど、健さん・・はぁー素敵。


最後の夜、すすきので3人でカラオケに行き、
お母さんが歌ってくれました。
友人に恋人を取られた悲しい思い出の曲、テネシーワルツ・・
という内容の歌のようです。

私とお母さんの少し悲しい想い出も、
歌にして時々外に出して見るのもいい。

最後の夜の話はまたあとで。
画像は大好きな、美瑛-富良野に広がる丘です。

ラベンダー畑

2005-07-25 | 親孝行旅行
昨日のうちに富田ファームへ行きたかったんだけど
午後6時頃にもなるとラベンダー園はどこも空いていなかった。
今日は観光バスに囲まれ無事潜入。
ラベンダーのアイス、好みが分かれると思うけど私は好きなんだ。
ここのラベンダーは早咲き遅咲きとかあるらしく、6月末(シーズンは7月中旬)でも
咲いている畑を見ることが出来ました。

私とお母さんが畑のまんなかの通路に入り、畑の脇の斜め方向から
「ラベンダーに囲まれた写真」撮ろうとして弟がカメラを構えていたら、
他の観光客5人くらいの団体が、私たちに間に少し割って入ってきたので
かぶらない様少しだけズレたらまた寄ってきて、ズレちゃ寄りズレちゃ寄り
私たちが「ここ」と決めたポイントを奪われてしまった。

私たちはその団体が気が済むのを待ってから撮ればいいんだけど
団体は弟のような斜め位置ではなく、通路である真横から取っているので
あんなんじゃラベンダーは写ってないどころか、背景は私とお母さん。
それでもいいのだ、団体旅行の写真なんて。って感じなのだろうか??
割ってはいる無神経さにも、記念写真のセンスのなさにも驚かされる。


お母さんが北海道に住んでいた頃、
美瑛なんて今のような綺麗な丘ではなくまだ森で
富良野もラベンダーこそあったものの、人が賑わうような観光地ではなかったらしい。
当時、富良野のラベンダーというのは香料の原料用などに栽培されていて
だんだん需要がなくなりラベンダー畑は一時、消えかかっていった。
この富田ファームも潰す間際になり、富田さんの奥さんが泣いて残すよう頼んだとかで
そしてその残ったラベンダーが写真家の目に留まり、今日に至るのだそう。
お母さんも富田ファームのそんなエピソードは当時から耳にしていたという。

お母さんの目にはまだ森だった美瑛の丘やこのラベンダーが
どのように映ったのだろうか。

写真のラベンダーは富田ファームではなく四季彩の丘です、すみません。

富良野の朝

2005-07-24 | 親孝行旅行
さて雨雲に追われた一日が終わり、宿泊地の富良野へ。
一泊目以外は夕飯は出ないので、今日はホテルに着く前に
ふらのワインハウスというところでチーズフォンデュなんだけど
始めての私と相反して、どうやら経験者らしい母と弟。
ちぇーーーーっ!
二人の見たこと無い景色や、経験した事無いような事にいっぱい触れて
大満足で帰ってもらいたいと思っているのに、
食べた事ないのは私だけでしたよチーズフォンデュ。
ちなみにここのは、鍋ではなくてパンの器に入ってるんです。
だから最後には、ソースのしみこんだパンまでもが食べられるの。
食べ切れなかった場合は持ち帰りに包んでくれるんですよ。

ホテルに着いたら、今日は夜更かしせずに早々に就寝し明日に備えた。
そして翌朝5時半置きで私達が出かけた目的は---気球です!
気球は早朝の空気が静かな時間帯にしか飛ばせないのかな?
とにかく天候にも左右されやすく、気球をやってる期間中でも
飛ばせる日ってのは全体的に見ると6割くらいなんだって。

天気に恵まれない私達だけど、朝もやの中で体験する事ができました。
森に囲まれ丘が織り成す富良野の、静かで空気の薄い白い朝の中
気球だけが音を出し熱をだして空中に浮かんでおりました。

ちなみに写真は私たちが乗った30分後くらいのもの。
時間が早すぎると景色は真っ白過ぎで、遅くなるほど中止する可能性が高くなる。
賭けだねー。

気球の人が乗る部分は丈夫なカゴで出来ているんだけど
それに自力で乗り込まなきゃいけないからその力のない人や
綺麗な服装の人は以外に大変ですよ。
お母さんは残念ながら辞退。
太ってて乗り込めなさそうだから・・ではなくて(もちろんそれも大きいけど)
今日はもうひとつの乗り物が控えているからそっちだけ乗るんだって。

気球にしておけば良かったのに・・・。

2005-07-22 | 親孝行旅行
朝は雲は多いけど快晴で、ロープウェーに乗ってみたのは大正解!
まだ雪の残る山並みも下から見るより迫力満点!!
観光で「遊覧船」とか「ロープウェー」とか非日常的な乗り物は
アクションとしていいからとりあえず乗っとけって部分あるよね。

部分的に残っている雪は、近づいてみるとスキー場のようだった。
「雪をバックに」と撮った写真はいまひとつだったけれど。

さあ行ってきましたよ、旭山動物園。
感想は・・・北の旭山、東のズーラシア。
こんな動物園が近くに欲しいねーと思ったらズーラシアがありました、という感じ。
アザラシの筒や白クマの窓は面白かったよ!!
これらはズーラシアにないもんね。

途中でとうとう雨が降り出し、雨宿りに駆け込んだトイレで用を足している隙に
傘を買って、トイレから出るとすかさず傘を差し出した弟に感動。
ここにも歴史が。
大人になったなぁ。

さて、ロープウェーも旭山動物園もまだまだ本日の序盤に過ぎなくて
ここからメインの、私の大好きな美瑛・富良野観光!!
前にも書いたけどパッチワークの丘、すばらしくないですか?
作物ごとに色が異なっている畑たちが一面にひろがる丘、
それを「パッチワーク」だなんて発想が。

天気には恵まれなかったと前にも書いたとおり
旭川らへんで降り出した雨は美瑛に着くころに一度は止んだものの
ぜるぶの丘、ケンとメリーの丘、セブンスターの木なんかを撮影していたら
今度は雷雨になって襲ってきた。
「旭川から追いかけてきたんだよ!!」なんて言いながら、
車に乗り込み移動すると雷雲と追いつけ追い越せの美瑛ドライブが開始。
天気とのシーソーゲームで車内はかなり盛り上がった。

わーい素敵な湖に着いた!!ってあたりでものすごい豪雨。
そして完全にのみこまれたかー!
と思った1分後には完全に追い越されていた。
想像してみてください。
急な雷雨の後といえば・・・虹。
そしてここは湖。
すごく素敵なシチュエーションで私たちにプレゼントされたその光景は
・・・感動、ですよ今日も。


めがねマラソン

2005-07-21 | カテゴリなし
goo のトップページにある「注目ワード」には
いつも見た事も聞いたこともないような言葉が多く並んでおり
最近テレビも新聞も読まない私は世間から切り離されている感じを認識させられる。

しかし、それにしても「なんだそりゃ!?」と思う言葉が多い。

今日の「めがねマラソン」は
めがねフレームの生産高がスゴイでおなじみの福井県鯖江市から。
めがねorサングラス着用者限定でマラソンすんだって。

サングラスなら普通のマラソン走者もよくしてるけど
ゴール前なんかで投げ捨てた瞬間、はい失格・・なんつってね。
鯖江ルール?
実際どうなのでしょうか。

とにかく当日は小宮山みたいな人が多く見られるのでしょう。

大自然に潜る

2005-07-19 | 親孝行旅行
天気は、ハッキリ言って旅行中ずーっと良くなかった。
北海道の景色が大好きで、私のたてたプランは景色の観賞ばかりなのに。
初日はとにかく濃霧で、高台ではない平地であっても数メートル先が白い。

北海道は広いので、ずーっと直線!!!なんて道路がよくある。
楽しみにしていた15kmの直線道路があるんだけど
濃霧でなんだかよく解らなかった。
それでも高原やら山の中の湖なんかをまわったので
牛や馬がゴロゴロ居たし、野生の蝦夷リスやキツネにも会えた。
だから動物好きな母と弟は盛り上がってくれて、ホント良かった。
でも背景は白!!みたいな。

でもまぁ~・・蝦夷リスはお土産屋に餌付けされているかのようだし
キツネは山中にある温泉地の近くで
空のペットボトルを咥えて道路を横断しようとしていて、
車を止めたら寄ってきた位なのできっと人に慣れてしまっているし
なんだ人間だけじゃなくおまえらも観光客目当てか?ってな感じではあるけど。

しかしキツネは何故ペットボトルを咥えていたんだろう??
その後の車中では「ペットボトル捨てたいんだけど」とか言おうものなら
「キツネにあげれば?」なんつって、
キツネとペットボトルは笑い話にいちいち引き出された。

見たかったもののひとつ、タウシュベツ川橋梁というのがあるのだけど
時間が無くなってしまったので泣く泣く断念し、宿泊地へと急いだ。
<< ここでなんとトラブル発生!! >>
旭川へ向かう途中の峠の手前で車が止められ
峠の先のトンネル内で事故があり、開通の目処がたっていないと言われた。

北海道は開拓されはじめてから、全然浅いんだなーと思うひとつがこんなとき。
これ以上開拓する必要ないのかもしれないけど。
そんな視点はさておき、峠の道とは言えトンネル一本が封じられただけで
”別ルート”となると選択肢が全然無くて振り出しに戻らなければいけなくなる。
今日一日、ここまでで観光めぐりも含めて300km位走ったのだけど、
「迂回するには100km戻ってこっちの道を200km行って下さい」
というルートを本当に紹介された。

車内では「イヤまいったねっ!こんな事もあるもんだねー!!」なんて話しながら、
そんな迂回はハッキリ言って無理なのでしばらくそこで待っていると
事故状況の連絡が入り、どうやら30分後位には片側だけでも開通できそうなので
とりあえずトンネル付近まで移動することにした。
おいおい、状況もわからず変な迂回ルートを教えないで(笑)。
しかし運悪く?パトカーと一緒になってしまい、しっかり60km/hで峠を走り抜け・・る。

超えた峠から雲海と頭だけだした山々を見た。
暮れかかっていたので気持ちは急いでいたし疲れもあったけど
その景色はなんだか神々しくて、うまく現せないけれど
とにかく北海道に来て良かった、と思った。

写真もなかなかよく撮れているとは思うけど
まぁ結局は一面に広がるパノラマの一部の切り取りでしかないから
やっぱりすばらしさをおさめる事まではできなかったな。

トンネルにつく頃には片側が開通していた。
結局どんな事故だったのかも知らないけれど
怪我された方は居なそうだし当事者の大変さは丸無視させていただいて
ああとにかく良かった良かった。
という気分いっぱいで通り抜け。

ホテルで車を停めた駐車場は、停めてから見たら過去最高の狭さだった。
FATママは出るのに苦労で右のドア開けたりー左のドアを開けたりー
結局どっちから出たのかは知らない知らないもう。
他はいっぱい空いているのにお客様、何故ここに??という、
ホテルの従業員さんの心の声が聞こえた気がした。
けど知らない。もう終わりにさせて!!
と言って目をつぶり耳を塞ぎ口を閉じたい気分。
口は必要ないか。

さてやっと落ち着いて夜。
お母さんと久々に入る温泉は、トロッとしていて気持ち良かった。
お母さんは、私の胸は見ないようにしていた感じがした。
何にも言わなかったけど、実はショックを受けているんだろうと思う。
これを引いてもおつりがいっぱいくるような旅行にしなくては。

お母さんの意気込み

2005-07-18 | 親孝行旅行
神奈川から来る母と弟、そして都内から行く私、
どちらも羽田空港まではバス。羽田での待ち合わせ時間は朝7時で
それぞれが始発のような(実際私は始発)電車に乗って集合した。

先日会ったときには、プレゼントであるはずのこの旅行に対して
当のお母さんのボルテージが上がってないように見えたので
「楽しみにして、興奮してるの私だけみたい・・」と言ってみた。
その時はお母さんは「そりゃ楽しみよ」と言っていたけど
今日、羽田を飛び立った飛行機の中でこんな昔話をされた。

まだ私が小さい頃、ぶどう園だかどこだかへ連れて行ったとき
お母さんが私に「ホラホラ!ぶどうがいっぱいだね~!!」って声をかけたら
幼い私は「ぶどう園に来たんだから当たり前じゃん」と言い放ったとか。
なんて感動の薄い子なんだ!と心配になったりした様だけど
先日の、お母さんの「楽しみさ」が私に伝わってないような事について
大事なときに顔に出ないのが、親子で同じなのかもなーなんて思ったらしい。

楽しみとか楽しかったとか、あー大満足!とか思っている時に
「具合悪いの?」って聞かれることあるんだ。
噛み締めすぎて真顔になってしまっているのかもね。
良かった。
お母さんの表情がウキウキしてなくても、楽しみにしてくれてるんだね。

でもそりゃそうだ。
親戚まわりをする訳だし、懐かしい土地を訪れる訳だしね。

それでも心配な私は、今日行くところの売り文句をガイドのように雄弁に語り
「これは絶対見たい!」「あー楽しみだね!」と
テンション上昇に尽した。


復活!かな??

2005-07-17 | 闘病日記
7月から、仕事に復帰しています。

早速忙しくてちょっと参っているけれど、
少しは慣れてきたかな・・。

これまでのように毎日更新とか長ーい文章は無理ですが
できる範囲で更新するのでまた読んでください!!

何も言わずお休みしている間も訪れてくださったみなさん、
本当にありがとうございます!!!!

まずは親孝行旅行から。
時間があったらまたカテゴリ追加して
写真もあわせて旅行記を紹介したいな。