たくまし可愛いい、ロボの戦い

乳がんと戦う、ロボの戦闘日記。
戦闘を離れた日常もつづってます。
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40年後、そこにあるもの

2005-07-27 | 親孝行旅行
今日は気球、ラベンダー、ヘリコプターと遊びつくした感じだけど
今日のメインどころかこの旅のメインがこれからです。

お母さんのふるさとめぐり。
お母さんの故郷には山に囲まれ大きな川が流れていている、
・・そのくらいしかない街です。

あっ最近出来たっぽい、ゆかりのなさそうな観音様とお城があったけど
お城の中は何かの展示場のようです。
町興しかな?
もう何年も前にその街で温泉がでた事があって、
でもぬるかったから発展させなかったようだけど
「あの時、沸かしてでも商売しとけばこの街だって今ごろはねー」なんて
後で会った親戚の人が話してくれました。

お母さんの出身の小学校を見つけ、学校はまだ授業中のようだったけど
暇そうな(失礼)先生が居たのでいろいろ聞いてみました。
もちろん校舎は新しくなっているのだけれど、なんか可笑しかったのが
すぐ横にある中学校と敷地が入れ替わっていたこと。
なんで??(笑)

それから少しうれしかったのが、当時からある二宮金次郎像や木が残されていたこと。
「建替えにつき、今日までの卒生の為に残すものとする」みたいな看板もあった。
大きなうろのある柳の木はすごくて、あんな大きいのは見たことない。
お母さんも覚えがあるらしく、なんだか長いこと先生に話を伺っていた。
別に私がうれしがる事はないんだけど、
そんなエピソードやはからいはうれしいよね。
そして、この街を出てゆく人はきっと多いのだろうけど
お母さんの小学校がみんなに愛されていたって事、羨ましいな。

そのあとに旧家探し。

信じられない・・というよりはあっけない感覚の方が強かったのだけど
なんと、残っていたのです。
お母さんがかなり幼少の頃に住んでいたという木造の長屋が。
玄関こそ少し崩れていたけれど、
みんなが集った縁側も
おじいちゃんが顔を出していたという窓も
別に今ひらいて誰かが出てきても不思議ではなかった。
そのくらい“普通”に存在していた。

驚いたのは2件長屋なんだけどその片方には今も人が住んでいたこと。
豪雪の降る北海道のど真ん中で、木造の長屋が40年も50年も経って
まだ現役って、とんでもない事だ。
そして家の裏には当時からあるぶどうの木が、今年の実を実らせていた。

ふふ。
お母さん、どうでしたか?

お母さんは最初「この窓はどうで、トイレがこうで・・」と
少女のように私たちにいろいろ説明していたけれど
途中からあまり何も言わなくなってしまった。

何か、思いがあったのかな。