キャスターの筑紫哲也さんが亡くなった。びっくりした。
今日は筑紫さんの追悼番組のようなものをやっていて、ずっと見ていた。キュートな人だったんだな、ほんとに。
自分でも驚くくらい涙が出た。この人は一体、何者だったんだろう?こんなテレビの一視聴者までもが号泣するなんて。
いなくなってほしくなかったと、番組を見ながら、心から思った。
アタシにとってテレビとは、逃避の手段であるから、できる限りくだらない番組か、見ていていい気分になれるものばかり選んで見てきたので、もちろんその中にはニュース番組なんて入ってない。それも特に最近は。でも、昔、実家にいたころはよく「筑紫哲也のニュース23」を見ていた。アタシはその番組がいつのまにか「筑紫哲也」の名前が外されてただの「ニュース23」になっていたことも知らなかった。筑紫さんがいたから見ていたのだと思う。
筑紫さんの最後の「多事争論」をこころして見た。
何か考えなくちゃ、何かやらなくちゃ、何か、とは思う。筑紫さんみたいに「己」を超越して、何かを見ていた人というのは、非常に稀なんだと思う。みんな「己」にまみれているから、周りが見えなくなる。自分も含めて。
結局のところ、自分にとって大切なものとはなんだろう?それを見極めて、それを大切にする、という当たり前のこと以外できないのではないか、と思ったが、そういう一見当たり前のことができずにもがいているのだ、実際。
でも、すべてが終わった後に残るのは「キュートな人だった」ということだ。できることなら部屋中を筑紫さんにしてしまいたい。そしたら毎日、幸せな気分になれるだろうに。
そういう人だったんだな、と思う。だからみんな泣くんだ、きっと。
今日は筑紫さんの追悼番組のようなものをやっていて、ずっと見ていた。キュートな人だったんだな、ほんとに。
自分でも驚くくらい涙が出た。この人は一体、何者だったんだろう?こんなテレビの一視聴者までもが号泣するなんて。
いなくなってほしくなかったと、番組を見ながら、心から思った。
アタシにとってテレビとは、逃避の手段であるから、できる限りくだらない番組か、見ていていい気分になれるものばかり選んで見てきたので、もちろんその中にはニュース番組なんて入ってない。それも特に最近は。でも、昔、実家にいたころはよく「筑紫哲也のニュース23」を見ていた。アタシはその番組がいつのまにか「筑紫哲也」の名前が外されてただの「ニュース23」になっていたことも知らなかった。筑紫さんがいたから見ていたのだと思う。
筑紫さんの最後の「多事争論」をこころして見た。
何か考えなくちゃ、何かやらなくちゃ、何か、とは思う。筑紫さんみたいに「己」を超越して、何かを見ていた人というのは、非常に稀なんだと思う。みんな「己」にまみれているから、周りが見えなくなる。自分も含めて。
結局のところ、自分にとって大切なものとはなんだろう?それを見極めて、それを大切にする、という当たり前のこと以外できないのではないか、と思ったが、そういう一見当たり前のことができずにもがいているのだ、実際。
でも、すべてが終わった後に残るのは「キュートな人だった」ということだ。できることなら部屋中を筑紫さんにしてしまいたい。そしたら毎日、幸せな気分になれるだろうに。
そういう人だったんだな、と思う。だからみんな泣くんだ、きっと。