負けるが勝ち☆

及ばざるは過ぎたるよりまされり、とか。

コクーン歌舞伎「東海道四谷怪談」

2006-03-21 23:07:20 | 趣味シュミしゅみ
コクーンでやる意味ってなんだろ。若い人にも歌舞伎を見てもらおうってこと?水をじゃばじゃば使えるから?

最近歌舞伎がわかんなくなってきた。
みんな筋をわかっているものとして、抜書き的に場面が進む。感情移入しづらいし伏線がわかりづらい。それから様式美の方が優先されている中でも、オチを求めて不完全燃焼。だったら舞踊の方がその美しさのみに集中できて純粋な気がする。たまに寝ちゃうんだけど。
ああ、幸四郎の「俊寛」はドラマとしても、様式美としての歌舞伎としてもすばらしかったな。
あと、勘三郎には笑いを求めてしまう悪いクセ。四谷怪談でさえ。

コクーンでやることについて。
「大向う」がない。あれがあって見栄が決まるのに。私もできないけど誰もできない。もの足りない。途中一瞬だけいくつかの声がかかった。ありゃ絶対サクラだ。
あと、客席通路を役者さんが通るのだけど、やっぱり花道がないとねえ。どうせ私はコンサバ、いや保守的ですよ。
そして、なんでもスタンディングオベーションすりゃいいってもんじゃないんだよっ!
ちょっと良かったのは、平場の席だったのでお座布団に座って見た事。超ミニでブーツをはいていった(もちろん座るときは脱ぎました)私はおバカだったし、最近腰痛もちの私にはきつかったけど、お芝居を見るのにあの泥臭さみたいな感じは良かった。防水シート配られるほどではなかったけど結構前の方だったし。

「東海道四谷怪談」について。
お梅の家に呼ばれてお梅をもらってくれといわれたとき、伊右衛門が悩んでいたのが意外で、あれがあったので絶対的には伊右衛門を嫌いになれなかった。
お梅のあの恋心も責められないし、家族の「かわいいお梅のためなら何が何でも」っていう気持ちもわからないでもない。そんな私は一人っ子。
わかんないのはお岩がそんなに伊右衛門を好きでなかったように思えたのに、あの恨みはすごいなと。あれは色恋の恨みではなく人として騙されたことの恨みなのかな。
でも最初にお梅を死に至らしめるところを考えると、色恋の要素があるようにも思える。亭主の心変わりでも憎たらしいのはその相手。亭主が悪いと思っていても、愛しているとやっぱりその相手の方が恨めしい。しかたがないけど好きなんだもの・・・だから最初にお梅を殺したんだろうなと。それにしてはほとんどラブラブ要素がなかった気がするんだよな。

柱に刺さった刀で死んじゃうところと、髪すきのところは怖かったです。
戸板返し(橋之助丈おつかれさまでした。金具がしっかり引っかかってなくて大変でしたね。手や指は大丈夫だったのでしょうか)と提灯抜けは、ドリフ的だった。たまに思う。歌舞伎はドリフ的だ。四谷怪談では出てこないけど馬だって似てる。「京人形」なんて志村ー!後ろー!だし。ああ、ドリフが歌舞伎的なのか、順序からいくと。

でもやっぱり、歌舞伎は歌舞伎座で見るのがイイ!


<豆知識?>
「伊右衛門」は、お茶の「いエもん」(エにアクセント)じゃなくて「イえもん」(イにアクセント)でした。「アかとんぼ」と同じ江戸アクセントつーことかな?お茶の伊右衛門は京のお茶だから「いエもん」でいいのだと思います。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ワールド・ベースボール・ク... | トップ | 「おひとりさま」=・・・ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

趣味シュミしゅみ」カテゴリの最新記事