負けるが勝ち☆

及ばざるは過ぎたるよりまされり、とか。

エリア51

2008-03-31 22:58:28 | 働く女あるいは働かない女
去年の冬の初め、迷子の大人になってしまったとき、このブログにこんなこと書いてました。


>「最悪」な状況だけど

>そこで出会う新しい発見が

>ちょっぴり楽しみ

>次は何が

>私を復活させてくれるのだろう

>まだ知らない何かが

>私に新鮮で豊かな楽しみをくれる

>かもね


経験上、せめて睡眠時間は確保するように努めたけれど、本を読んでもつまらない、物欲もない、恋愛もめんどくさい、この先自分が楽しめることなんてないかもしれない・・・そんな風に感じていました。ひどく悲しいことばかりではないけれど、毎日が曇天。そんな感じ。

いま少し元気になって、まだ通っているお医者の待合室で、何がきっかけだったかを考えてみた。何だろう?特に何もしていないのだけれど・・・

消去法だったけれど思いついたのは、「プロフェッショナル 仕事の流儀 イチローSP」を、1回見て2回見て3回見て・・・結局8回くらい見たかな、そのへんから私の中の何かが動いたような気がしてる。

それでは具体的には「何」が私を「どう」したのだろう?
この話は、また今度。
もう寝なくちゃ。
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第80回記念選抜高校野球大会・第8日目

2008-03-30 16:27:04 | 趣味シュミしゅみ

春、たくさんの植物が芽吹くように、私の元気の蕾も膨らんできました。

先週は5Kのジョギングレースに出場。
そして今週は、初・高校野球観戦!初・甲子園球場!

ただただそれだけのために、関西へ行ってきました。お城も桜もグルメもなし。
少し寒かったけどおもしろかったよ~

さて、だんだん調子が出てまいりました。来週は水着着ちゃおうかなん。

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単純・単細胞ゆえ

2008-03-16 17:04:04 | コイバナ
iTuneで「あなた」をダウンロードしました(徳永英明さんの)。
いままでちゃんとこの歌を聴いたことなくて、ラブラブハッピー新妻(はぁと)の歌かとずっと思ってたんです。そしたら、“愛しい貴方は今どこに”でしょう?

そっかー、そうだよね。人生ってうまくいかないよね、なんて達観したり喪失感なんて単語にとらわれてみたり。

そして土曜日、いつものように昼も夜もうつらうつら、夢かうつつか状態でこんな夢を見ました。

笑えるよwww

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お金持ちでハンサムで女たらしの王子キャラの彼のことがひそかに好きだった私。でもそんなことはおくびにも出さず、もっとも彼と恋に落ちたら涙の日々を過ごすことになるだろうと、現実的に考えていた。

天気のよい日、土手を歩いていたら少年野球チームが練習をしていた。無邪気な少年たちを眺め、ほっこりとした気持ちになっていた私にチームのコーチをしている青年が「どうぞ」とジュースを差し出した。渋くて優しくて落ち着いた青年。安心感と安らぎ。

なぜかうちには骨董品があって、ある日それらを鑑定してもらうことになった。やってきた鑑定士は、野球チームのコーチだった。彼は「また会えたね」と言った。名前も聞かなかったのを後悔するくらい、それ以来その青年のことが気になっていた私は「やっと会えた、です」と言った。
龍と虎の絵の対の茶碗、それを青年は大層価値のあるものだと言った。

同じとき王子の彼は骨董の茶釜を探していた。それを私は知っていた。そしてうちには古い茶釜があった。鑑定士の青年に見せようかどうしようか迷った。それが価値のあるものだったら、その茶釜を王子の彼に近づく口実にするかもしれない。やっぱり王子は魅力的。一時でもいいから王子と恋人同士になりたい・・・
結局茶釜を鑑定士に見せた。価値のある茶釜だった。鑑定士の彼は、今日はよいものをたくさん見たといって子供のように笑った。そして私の家族とも打ち解けて、その夜は夕食を共にした。

私は、その茶釜を、王子の彼に恋焦がれている女の子のひとりに譲った。彼女はとてもよい友人で地味で目立たない女の子だった。私の優越感と憐憫だったかもしれない。「これは王子の彼がほしがっているものかもしれない。近づくチャンスにしたら?」

私は鑑定士の彼と結ばれ、地味な彼女は画家となった王子の彼と結婚した。子供には恵まれなかったけれど、彼の鑑定眼は確かで古美術の世界で評価されたこともあって、私は安定した優雅な生活を送ることができたし、やさしい彼と暮らして毎日が幸せだった。地味な彼女は男の子を生んだ後、理由はよく知らないけれど子供を残して、王子の元を去っていった。その後、場末の酒場で地味だった彼女が厚化粧をして孔雀みたいな服を着て、酔っ払って騒いでいるのを何度か見かけた。

鑑定士の主人は50代で亡くなった。私は門前の小僧なんとやらで彼の生業を引き継いで、それなりにやっていた。
何かの会合で、王子の彼と一緒になったことがあった。彼が昔とちっとも変わらなくてまぶしくて相変わらずのモテぶりで、年甲斐もなくせつなくなった。やっぱり彼のことがずっと好きだったのかもしれない。いやそんなことはない。彼と私は言葉を少し交わし、彼は別の人の輪に紛れていった。そして私は自分の気持ちを強制終了した。

70歳を超えたおばあちゃんの私、今日も何かの会合に出かける。ああ今日は王子の彼のお屋敷でのパーティだ。王子の彼は亡くなった。もう彼と私には何も起こりえない。とはいえ少し興奮した私は、お酒を飲み過ぎた。若いころ彼の取り巻きの女の子たちみんなでこのお屋敷に遊びに来たことがあった。私は空想した。私は何かを確かめたくなった。王子の彼が、私を描いてはいないだろうか。どこをどう通ったのかわからないが、私は倉庫に立っていた。ほこりくさい倉庫。習作でもデッサンでもいいから「私の絵」はないかしら。

暗い倉庫が明るくなった。「貴女の絵ありますよ」。王子の彼が立っていた。王子の彼とそっくりの彼の孫が立っていた。「これが貴女。おじいちゃんは貴女のこと好きだったのに」。18世紀ヨーロッパのようなドレスを着た私の絵。回顧主義的で笑ってしまう。そして息がうまくできないほどの喪失感。
客間に通され、彼の孫と話す。でも会話などよくわからない。

私は時間を超越した。彼の孫に、彼に抱きつきキスをした。彼の孫は、彼は拒否しなかった。私は首に巻いたスカーフを解き始めた。客間の鏡に映っている私は王子にひそかに恋をしていた20代の頃の私だった。私は王子の名前を呼んだ。「僕はおじいちゃんじゃないよ」。彼の孫は言った。そして「できるかな」と独り言のように言った。鏡に映る私は20代の頃の私だった。

時間が戻り、70歳のおばあちゃんの私は、彼の孫から妻と秘書を紹介された。これから友人としてもビジネスでも協力していきましょう、と。孫の妻は地味でおとなしい女性で、秘書はおそらく彼の孫の愛人であろう女性だった。

私が王子の彼と結ばれていたら、どうなっていただろうか。彼と私の人生は変わっていただろうか。なぜ茶釜を彼女に譲ったのだろうか。なぜ私は「私の絵」をさがしたのだろうか。彼の孫に、私は何を求めたのだろうか。倉庫から客間の鏡の世界は現実だったのだろうか・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

恥を忍んでここに載せようと思うくらい、目覚めたときの喪失感がひどくて。
今が不幸せなわけじゃないけど、過去に、取り戻せないくらいの落し物をしてしまったような気がした。
まあ、茶釜とか70歳ばあさんが若い男を押し倒すとか、むちゃくちゃな夢なんだけどさ(これでも整理した方で、実際は宝塚歌劇団とか石坂浩二とかしずちゃんなんかが出てきて大騒ぎ)、どちらかというとちゃんとストーリーのある夢見て覚えている人間なので、楽しいやら落ち込むやら。

でさあ、何でこんな大河な夢見たのかなあって半日間考えて、さっきiPodの充電しようと思っていじってたら「ああこれか!」ってね。

気がつかなかったら、あえてこんなつまんない夢話など。


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レピッシュの・・・

2008-03-10 23:15:33 | 趣味シュミしゅみ

上田現さんがお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。
私は高校生のとき、レピッシュの曲をよく聴き、バンドをやっていたので何曲かコピーをしました。それから現ちゃんのソロアルバム『コリアンドル』を聴いて、若気の至りで曲のイメージを私の中で膨らませ、絵を書いたりしてました。そのころはアナログ一辺倒の人間だったのですが、紙ベースで、その拙い絵を今でも保管しています。それから私も年をとって、生活も変わっていき、レピッシュと、そして現ちゃんのことは、20世紀に忘れていました。

レピッシュを聴き、ライブで一緒にぴょんぴょん飛び跳ねていた友人が数日前、新しい命を授かりました。おめでとう。

私はくじけたり調子に乗ったり、威張ってみたり、でもちっとも進歩しねえなと反省している間に、時間は確実に過ぎているようです。

私が、太陽のように熱すぎる男の子と初心者マークの恋をして、住む世界の違うハンサムな秀才に切ない恋愛をして本気でぶつかって制御不能のぼろぼろになって、そんな私を浄化してくれた夢も希望もあるピチピチボーイに年齢を超越して人生を学んで、上品で昔気質の男に品格をしつけられて、やさしくておしゃれな殿方にめいっぱい甘えさせてもらって、そして今日も生きている。

時間は過ぎている。そんな中で、いろいろあったこと差し引きしても、結果しあわせなんだろうなと思います。太陽や秀才やピチピチや品格にはぜーんぶふられたけど、やさしい人は中途半端にやさしいだけだけど、だいだい合格点。

そんな幸せな私の細胞の中に、レピッシュの曲、現ちゃんの曲が確実にしみこんでいます。

長文書くときは酔っているときなのでもう勢いだから、オチもまとめもなくて、現ちゃんのことと私の恋愛遍歴は別といえば別なんだけど、『コリアンドル』から今日の訃報までの自分をふりかえった夜でした。
訃報にふれて、現ちゃんの死が悲しいことと彼の曲に救われたことが、妙に心にしみました。

現ちゃんありがとう。
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