オリンピック選手にたとえてもいいんだけれど、この時期あえて競馬。
自分を競走馬にたとえてみよう。
飲み会の帰り道、考えてみて、今日の結論はテイエムオペラオー。
・サンデーサイレンス産駒ではない(超良血ではない)。
・皐月賞を勝っている(クラッシック戦線にはのっている※追加登録料を払っているにしても)。
・4歳時後半(旧表記)のイマイチを乗り越えての5歳(旧表記)の大躍進。
以上がシンパシーを感じるところ。
以下、「違う」と思う(信じたい)ところ。
・私は、よしだみほの漫画のキャラみたいに優等生ではない。
・私は、あれほど強靭な精神力はない。
・6歳(旧表記)の尻つぼみ。
・産駒が・・・
まったく同じよな馬って、まあいないけど、競馬馬全般にシンパシー感じる今日この頃です。
競争を宿命づけられて(受験も就職も)、周囲に◎や△つけられて、負ければたたかれ、勝てばもちあげられ、そのうちマネジメント能力(≒産駒の成績とか)も求められ、もちろん自分の子供の教育だって(ま、これは経験ないけど)。
顕彰馬のオペラオーと似てるというのは、実際おこがましいか。
私は、あまり血統はよくないけど、地方競馬から始めるほどではなくて、勝ったり負けたりしながら、少し遅れて本格派して、でも能力があるというより運だったり相手との相対的な関係だったり。昔の脚質は追い込みだったけれど、最近は「差し」。勝つときは勝つけど、負けると思ったら走るのやめちゃう。そして最近は勢いのある若手におびえ気味。それから調教嫌い(笑
こんな馬いそうだけど、あんまり思いつかないな。
ウオッカは違うんだよなあ、好きだけど。
サラブレッドは競馬のために生まれてくる。
私も自分自身のことをこんな気分で考えているから、いろいろ辛いのかもしれない。
私。
人間は競争だけ、勝ち負けだけじゃないんだよ、って。
教えてあげたい。
たまにはいいけどね、オリンピックのときとかは。