REVさんから、「"40歳からの元気食「何を食べないか」 補足"」という記事でさらに返答をいただきました。
ほぼ全面的に賛成です。「社会的な人間」に対して「医学、生理学、栄養学によって提示された枠の中で、食生活という物語を提示する」、まさにその通りだと思います。そういう意味での「バランス」が求められるのでしょう。
これは興味深い問題で、例えば「生命のあるものには生命固有のエネルギーがあり、それを食べることが健康に役立つ」という考え方があります。これに対し、「そういうものがあるとしてもそれは(いつかは)分析・検証できるはずだ」という立場をとるのが科学だと思いますし、私もその派です。でも少なくとも現状はわからないことだらけ。では今はどうするか、ということから栄養素や伝統的な日本食という話になるわけですね。
栄養は、体の「健康」を保つための要素だけれども、栄養があれば「健康」を保てる、というものではありません。どの「栄養素」が足りなければ、どういう疾患が発生する、というデータは沢山蓄えられています。また、どの「栄養素」が過剰になると、どういう疾患が発生するか、というデータも、沢山蓄えられています。で、私個人としては、特別な水を飲むと、ガンが治るとか、なにかとなにかを一緒に食べるとガンにならないとか、そういう説は信じていません。
ただ、あくまでこれは、生理学的、医学的な物語です。人間に最適な栄養素を投与すれば、成人病の発生も癌の発生も最小限に抑えられるかもしれません。でも、それは、社会的な人間には相応しくありません。医学、生理学、栄養学によって提示された枠の中で、食生活という物語を提示する、その際に、伝統的な日本食を中心とする、それは非常に納得できる話です。
ほぼ全面的に賛成です。「社会的な人間」に対して「医学、生理学、栄養学によって提示された枠の中で、食生活という物語を提示する」、まさにその通りだと思います。そういう意味での「バランス」が求められるのでしょう。
それでも、「食事の中には、分析できない何かがあり、それが、健康に重大な役割を果たしている」という発想がどこかにあるとすれば、やはり私はそれに反対するでしょう。
これは興味深い問題で、例えば「生命のあるものには生命固有のエネルギーがあり、それを食べることが健康に役立つ」という考え方があります。これに対し、「そういうものがあるとしてもそれは(いつかは)分析・検証できるはずだ」という立場をとるのが科学だと思いますし、私もその派です。でも少なくとも現状はわからないことだらけ。では今はどうするか、ということから栄養素や伝統的な日本食という話になるわけですね。
それを立証する事が 全て『善』と思う事は 科学者の傲慢なのかもしれません
経験継承医学と言われる分野で仕事をしていると
『いくら事実を積み上げても それが真実とは言い切れない』と思います
ただ 過去の症例は心強い身方です
そして『検証し新たに症例を積み上げていく事しか出来ない』と考えます
『伝統的な食生活』と『医学、生理学、栄養学』では 同一線上にないので同じ事は言えないと思い
ますが
違う方向の分野で そんな関係が成立すれば凄い事・・・と思います
現状は無理でしょうが・・・
近年、物理学で注目されているネットワーク理論での「スモールワールド」、数学のラムゼー理論に見る「自生的秩序」と言いますか、例えば個々の人間が自律的なルールを自分に課して迷惑を掛けないように生きた場合、知らずの内に形成される集団や社会の秩序について考察してみると、予め陰陽五行の関係性を与えた集合・空間で考察し、記述したほうがその深淵に迫れそうです。
時代は面白くなってきました。