前回の記事の
という部分について、REVさんが"「本当のところは誰にもわからない」論理"で以下のように書かれています。
なるほど。私の要約はちょっと舌足らずでした。この本の主張するところを改めてまとめてみます。
まず、人間が生きていくのに必要だと思われる栄養素はだいぶわかっていますが、全部でどれくらいあるのか、どれだけ摂ればいいかのは明らかになっていないのが現状でしょう。一般に目安として決められている所要量というのはありますが、それだけ摂っていれば大体健康でいられる、とは限らないし、そんなに摂らなくても(あるいは少々多すぎても)支障のないこともあるようです。また、複数の栄養素の組み合わせにおいてどうなるのか、各栄養素をどういう形で摂るといいのか(生の食品なのか、あるいはどういう調理法か、はたまたサプリメントでもいいのか)も含めると、それこそ「本当のところは誰にもわからない」と思います。
したがって、ミクロな栄養素だけに注目した「バランス」にこだわるのは危険だと言えるでしょう(「意味がない」とまで書いたのは勇み足でしたか(^-^;))。そもそも栄養のバランスがとれた状態というのがどういう状態なのかはっきりわかっていません。
これに対し、日本人は長い歴史の中で独自の工夫を食生活に加えてきて、昔の医療・衛生事情や食料不足を考えれば健康な暮らしを送ってきたと思われます。特に今でいう生活習慣病のようなものは昔はずっと少なかったわけです。だからその経験則をベースに、どんな栄養素がどう作用しているのかはわからないけど伝統的な日本食を中心とした食生活にしていきましょうというのが主張だと思います。分析 vs. 経験則というところでしょうか。
上の安全運転の話に対応させると
・「栄養素の必要量は誰にもわからない」→「ムチャクチャな栄養摂取をしたって同じだ」
ではなく、
・「栄養素の必要量は誰にもわからない」→「栄養素の量という数字に頼らず、これまでの歴史で作られてきた食生活の経験則を活用しよう」
です。ただ、もちろん現代栄養学・医学のよい成果は取り入れていくべきで、どういうバランスで活用していくかという問題になると思います。
食べ物についての基本的な考え方として
・人間が生きていくのにどんな栄養素がどれだけ必要かは誰にもわかっていない
・したがって、栄養素だけを元にした「栄養のバランス」にこだわっても意味がない
・それよりも、日本人は独自の食事で長い間健康にやってきたという実績があるのであるから、日本の伝統的な食文化をベースにした食生活を心がけるべきである
と主張されているところにもマクロビオティックと通じるものがあるように思います。
という部分について、REVさんが"「本当のところは誰にもわからない」論理"で以下のように書かれています。
不可知論→任意の命題の肯定、というコンビネーションの良い見本。
たとえば
「安全運転をしていても、事故にあうことだってある」→「スピード出したって同じだ」
「科学がすべてを説明できるわけではない」→「ヒトは(中略)が造られた」
というふうに使われる。
・人間が生きていくために必要とされる栄養素は、大体分かっている。
(栄養学の本に書いてある)
それを摂取すれば、100万年老化せず銃弾にも負けないわけじゃない。でも、逸脱すると不健康になる。
・日本人が独自の食事で「長い間」健康にやってきたのか?平均寿命って昔のほうが長かったのか?
と、突っ込みたくなる。
なるほど。私の要約はちょっと舌足らずでした。この本の主張するところを改めてまとめてみます。
まず、人間が生きていくのに必要だと思われる栄養素はだいぶわかっていますが、全部でどれくらいあるのか、どれだけ摂ればいいかのは明らかになっていないのが現状でしょう。一般に目安として決められている所要量というのはありますが、それだけ摂っていれば大体健康でいられる、とは限らないし、そんなに摂らなくても(あるいは少々多すぎても)支障のないこともあるようです。また、複数の栄養素の組み合わせにおいてどうなるのか、各栄養素をどういう形で摂るといいのか(生の食品なのか、あるいはどういう調理法か、はたまたサプリメントでもいいのか)も含めると、それこそ「本当のところは誰にもわからない」と思います。
したがって、ミクロな栄養素だけに注目した「バランス」にこだわるのは危険だと言えるでしょう(「意味がない」とまで書いたのは勇み足でしたか(^-^;))。そもそも栄養のバランスがとれた状態というのがどういう状態なのかはっきりわかっていません。
これに対し、日本人は長い歴史の中で独自の工夫を食生活に加えてきて、昔の医療・衛生事情や食料不足を考えれば健康な暮らしを送ってきたと思われます。特に今でいう生活習慣病のようなものは昔はずっと少なかったわけです。だからその経験則をベースに、どんな栄養素がどう作用しているのかはわからないけど伝統的な日本食を中心とした食生活にしていきましょうというのが主張だと思います。分析 vs. 経験則というところでしょうか。
上の安全運転の話に対応させると
・「栄養素の必要量は誰にもわからない」→「ムチャクチャな栄養摂取をしたって同じだ」
ではなく、
・「栄養素の必要量は誰にもわからない」→「栄養素の量という数字に頼らず、これまでの歴史で作られてきた食生活の経験則を活用しよう」
です。ただ、もちろん現代栄養学・医学のよい成果は取り入れていくべきで、どういうバランスで活用していくかという問題になると思います。
早速ご紹介の、「40歳からの元気食」買いましたヨ~。
まだ途中までしか読んでいないけど、マクロを勉強したり実践したりする余裕の無い人にとりあえず食生活を改善してもらうには分かり易くてポイントがつかめていてよい本ではなかろうかと思いました。あんまり厚くないし。すぐ読めますよね(^^)
昔の日本人の寿命がどのくらいだったかは知りませんが、
「肉食の思想」という本の中でフランシスコ・ザビエルが語った話として、当時の日本人が米や麦、たまに魚、果物などを「少量」しか食べないのに、不思議な程の達者な体を持っていて、まれな高齢に達する者も多数おり、
「たとへ口腹が満足しなくとも、私たちの体質は、僅少な食物によって、いかに健康を保つ事のできるおのであるかは、日本人に明らかに顕われている」
というところがありました。けっこう長寿だったのかもしれませんね。
統計って・・・数字のトリックだと思います
そして この平均寿命を出す事が どれほど意味のある事なのか・・・疑問です
いつの時代も若い人の死亡は
『事故(含む 戦い/自然災害)』&『自らの死』が多いのでは無いでしょうか?
例えば 泰平の世 江戸時代が安全な環境であったか?
人の寿命は
人の生きる能力の問題とは 別のところにあると思います
これを言うと
『全部がそれで済ませようとしてないか?』と言う突っ込みを受けそうですね・・・
時代背景&個体差・・・これは研究が進めば進むほど・・・問題になる点だと思います
結論・・・本当のところは誰にもわからない・・・
ミモフタモアリマセン・・・
戯言でした~お許し下さい m(__)m
昔は新生児死亡率が非常に高かったので、2歳児の平均余命
としてみれば、例えば江戸時代では60歳弱と推測されます。
つまり不老長寿を目指すとか老化防止をしなければ「自然に
任せたとき、人の寿命はせいぜい60歳程度」ということに
なりましょう。生物学者・本川達雄氏も自然の人生は50~
60年説です。
「菜食者の老化は早いか否か」を考えるとき、アンチエイ
ジング化粧品や、老化防止に効果のある薬品を使わない場合、
菜食者は「晩年まで元気に暮らすことができ、ぽっくり亡く
なる。老化を防ごうと躍起になる人たちに較べたら、老化は
早い」と考えています。勿論例外はありますが、菜食者一般
について、です。如何でしょうか。
忘れてしまいました。ごめんなさい。
この本はとにかく現実路線で書いてあるので読みやすいですね。
ザビエルがすでにそういうことを言っていたとは。日本だけでなく、世界各地の長寿村のようなところのレポートでも「こんな質素な食生活なのに長生き」という話は多いですね。
あとはいろいろ複雑な要因がありそうですが、もちろん医療・衛生環境の改善も大きいところでしょう。
「菜食者の老化は早いか否か」、これはよくわかりません。毒素がたまらないからなんとなく元気に過ごせそうな気はしますが、老化が早いかどうかまでは... 生命力のようなものの衰えは比較的早いということなんでしょうかね。
平均寿命の事は 中途半端書き方で済みませんでした
死産も含めた新生児の死亡率の事は 不安・危険な時代は高くなります
(昭和22年の統計ではかなり高いです)
平均寿命は理解していない方も多いので 食生活の話をする時に要素の一つにすると誤解が生じるような気がしてコメントの始めに書かせて頂きました。
統計的要素をあげるとしたら やはり『死因』を見ていく方が妥当だと・・・
そんな 思いがあったのです
(私のつたないブログで 過去に平均寿命について 少し書かせて頂いています お暇な時に 探してみて下さい)
でも 実際のところたどり着いたのは
やはり『ー本当のところは誰もわからないーに同感』と思ってしまったのです
私も、ちと雑駁な物言いで申し訳なく思います。
お知らせのブログ拝見させていただきますね。
進化論に従えば、ヒトのご先祖様はアフリカにいるおサルさん
なわけですが、主食は果物です。動物性食品は一般的に類人猿ではごく少量しか食べません。ただしチンパンジーのように少々乾いたところで生息している場合は、肉も1割弱くらい食べます。
となると、マクロで「果物」はあんまりご推奨ではない(すべての流派かどうかしらないけど)のは、ヒトのご先祖様からの由緒正しい伝統食である果物を否定していることになり、伝統という観点からはおかしいのではないか?と思っています。日本は中緯度ですが、なんせ由緒正しい伝統食ですからそんなに
悪いとも思えない。
それと、主食は「コメ」という考えですが、ヒトという生き物に主食という概念は本来ないように思います。日本ではコメをベースにするのが便利な面はありますが、コメなど穀物が主食になったのは、長い人類の歴史からすると数千年といったところで
日本では、2千年そこらでしょうか。
以上のように、マクロの主張を聞いていると、伝統食の概念といっても何かが変という気がします。日本という特定の地域の伝統に偏っているというか。