以前、食べたいものを我慢することについてなかなか氏と話していた時、氏は「結局、食べたものを食べたくなるのである」と言っていました。食べるとまた食べたくなる。つまり、ずっと食べないでいれば案外それですむものでも、食べてしまうとさらにどんどん食べたくなって、そのうちやめるのが難しくなるということです。確かに、体がそれほど欲しているわけでもないのに惰性で食べているようなことはあります。
もう少し掘り下げて考えると、我慢という観点から食べ物は以下の3つに分けられるように思います。
(1) 食べても食べなくても食べたくならないもの
(2) 食べると食べたくなるが、食べないと食べたくならないもの
(3) 食べても食べなくても食べたくなるもの
早口言葉のようになってしまいましたが、要するに(1)は普段どういうふうに食べていようがいつでもやめられるもの、(2)は普段食べているとやめられないように思うが(ほぼ)完全に断ってみるとやめられるもの、(3)はやめるのが真に困難なものということになります。
何がどれに入るかは人によって違います。私の場合、魚は(1)のようです。飲み会などで時々食べますが特に「また食べたい!」とはなりません。多分(3)に属するのが米。海外出張などで2週間ぐらい食べないことはあるものの、ずっと食べないというのは耐えがたい。やめようとしたことはありませんが。
で、この分け方でいうと肉も(3)だろうと以前は思っていたのですが、前回書いたように思ったより楽に(ほぼ)やめることができたところをみると、どうやら(2)のようです。ただし(1)ではないので、普段少しずつでも食べているとだんだん元に戻ってしまいます。そういう意味では、徐々にではなく急にやめたからこそやめられたのかもしれません。
実はケーキやアイスクリームや和菓子も結構好きなのですが、私の場合は甘いものはどうやら(2)のようです。食べだすと続けて食べてしまいますが、いったん食べないと決めれば全くなくてもどうということはありません。でも甘いものが(3)に入る人は多そうです。前に砂糖の話で書いたように、(3)のものをやめるにはなんとかしばらく断って(2)に近い状態にしないといけないのかも。
もう少し掘り下げて考えると、我慢という観点から食べ物は以下の3つに分けられるように思います。
(1) 食べても食べなくても食べたくならないもの
(2) 食べると食べたくなるが、食べないと食べたくならないもの
(3) 食べても食べなくても食べたくなるもの
早口言葉のようになってしまいましたが、要するに(1)は普段どういうふうに食べていようがいつでもやめられるもの、(2)は普段食べているとやめられないように思うが(ほぼ)完全に断ってみるとやめられるもの、(3)はやめるのが真に困難なものということになります。
何がどれに入るかは人によって違います。私の場合、魚は(1)のようです。飲み会などで時々食べますが特に「また食べたい!」とはなりません。多分(3)に属するのが米。海外出張などで2週間ぐらい食べないことはあるものの、ずっと食べないというのは耐えがたい。やめようとしたことはありませんが。
で、この分け方でいうと肉も(3)だろうと以前は思っていたのですが、前回書いたように思ったより楽に(ほぼ)やめることができたところをみると、どうやら(2)のようです。ただし(1)ではないので、普段少しずつでも食べているとだんだん元に戻ってしまいます。そういう意味では、徐々にではなく急にやめたからこそやめられたのかもしれません。
実はケーキやアイスクリームや和菓子も結構好きなのですが、私の場合は甘いものはどうやら(2)のようです。食べだすと続けて食べてしまいますが、いったん食べないと決めれば全くなくてもどうということはありません。でも甘いものが(3)に入る人は多そうです。前に砂糖の話で書いたように、(3)のものをやめるにはなんとかしばらく断って(2)に近い状態にしないといけないのかも。
この早口言葉は面白いですねえ。
笑いました。
この三分類説ですよね。
ここで(2)と(3)の違いとは何でしょう?
(2)は、「依存症」的なニュアンスで、
(3)は、「身体にとって必要」ということでしょうか。
「身体にとって必要」の定義はさておき、
(2)は、必要でないものを食べたくなる
(3)は、必要なものを食べたくなる。
こう考えると、
(必要、不要)×(食べたくなる、食べたくならない)
の4通りに分類するとすっきりするかもしれません。
ここで問題になるのは、
(A)必要なものを食べたくならない。
(B)不要なものを食べたくなる。
それで、我慢という観点からは、
(B)だけが問題になる。
これが三分類説の(2)にあたるのなら、
結局(2)だけ考えていればいい、
というのが私の説だったのかもしれません。
なーんてことを理科系のブログにコメントして
しまいました。激しいつっこみが予想されますが、つっこまないでください。m(_ _)m
で、(食べたくなる、食べたくならない)で分類して「食べたくならない」ケースが(1)、「食べたくなる」ケースを「断つことで食べたさを軽減できるかどうか」で(2)(3)に分けています。だから(B)は(2)(3)のどちらもありうると思いますが、元のなかなか説は「食べたくなる(我慢がつらい)ケースは(2)であることが多い。だからきっちり断てばたいていやめられる」という主張だったのではないかと思います。
それと、本文でも書きましたが(2)(3)の間は遷移が可能で、例えば私にとってタバコは昔(3)でしたが、やめてだいぶ経った今は(2)です。(3)のものについてはいかにして(2)にもっていくかが重要な気がします。
というわけで、かなり理屈っぽいけどマイルドにつっこんでみました(^-^)。
食べた量と食べたくなる度合いの関係を言っているのですね。
x = 食べた量
y = 食べたくなる度合い
とすれば、
y = f(x) という関数が食べ物ごとに決まる。
そうするとなかなか説は、
y = ax
つまり肉なら肉を食べなければ(x=0)、
必ず肉を食べたくなくなる(y=0)
これがすべての食べ物で成立する。
そう考えるとなかなか説はちょっと乱暴ですね。
なので次の式にして一般化したのたrice-addict説ですね。
y = ax + b
つまり食べ物によっては、例えば米なら、
食べても(x>0)、食べなくても(x=0)、
米を食べたくなる(y>0)
※ここでa,bは正の定数
この観点で整理すると、
(1) 食べても食べなくても食べたくならないもの
y = ax + b ただし a=0, b=0
(2) 食べると食べたくなるが、食べないと食べたくならないもの
y = ax + b ただし a>0, b=0
(3) 食べても食べなくても食べたくなるもの
y = ax + b ただし a>=0, b>0
それで(2)と(3)が遷移するとは、bの値が変化するということですが、
bが何によって変化するのかまだ解明できていないので難しい、とい
うことなんでしょうかね?
(2)(3)の間の遷移、特に(3)から(2)にどうやって遷移させるのかは難しそうですが、とにかく我慢して摂らないようにして「食べたさの元」を体から出してしまうことによってbの値を下げていくというのはありそうです。
理科系にはeが欠かせないですからね。
あとは時間の変数tを入れないとこの説は完成しないと思ってます。
食べてからの時間ですね。食べてから時間がたてば、食べたくなる度合いがゼロに近づくもの、変わらないもの、逆に増えるもの。
これをeとtでうまく表\現できればよいのですが。
時間が経つと腹が減るから食べたくなる、という比較的短時間での変化を別にして長い時間で考えると、tの増加に伴ってyが増えるということはあまりなさそうな気がします。今後の検討課題ということで。
興味あるネタをありがとうございました。