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命のバトン(その2)

2007-03-09 23:40:12 | 過去日記
それから数日後、私は地元の産婦人科に行った。
モニターに映し出される、小さな動く鼓動を見ると、何とも言えず複雑な気持ちになる。

飯塚病院に入院していた祖母は、母から私の妊娠の件を聞いており、とても喜んでいたらしい。
お見舞いに行ったら、
「りあらちゃん、女の子が生まれるよ」
そう言っていた。
「○○(祖母の名前)さん、ひ孫さんが秋に生まれるんやね。ちゃんと顔をみれやらなね」
看護師さんも、祖母に声を掛ける。

・・・私が祖母を見た、最後の日になってしまった。


ほどなく、私は、ひどい嘔吐に襲われ、一日中、床に伏せっていた。
そう、悪阻が始まったのだ。
何を食べても、何を飲んでも、身体が全く受け付けない。
みるみるうちに痩せていき、脱水症状を起こした。

一日おきに点滴を打ちに、産婦人科に通った。
自分で運転など出来るはずもなく、母や弟、夫にだいぶ助けてもらった。

そして、3月9日。

朝からまばゆいほどにいい天気。
身体がこんな状態にもかかわらず、私は「今日は日食・・・」とつぶやいていた。
その日食を見ることも出来ず、相変わらず何も食べずに、布団から出られなかった。

父から電話が・・・。

「婆ちゃん、死んだよ」
「うそ・・・・」

しばらくずーっと泣いていた。
気持ち悪いことすら忘れて、ひたすら泣いていた。

何とかして夫に電話を掛けると、夫はすぐに自宅に帰ってきてくれた。

夫は、自分の実家に電話をし、私の祖母が亡くなったことを、義父と義叔母と義妹に伝えていた。


その日の夜、祖母の自宅に電話をし、母と話しをした。
母は涙声だった。
「さっき、Mさん(義叔母)とKさん(義妹)が来てくれたよ。たくさん、鶏飯のおにぎりを持ってきてもらって・・・。立て込んでいたからとてもありがたかったよ。とんさん(夫)に、よろしく言ってね・・・」

ああ、義叔母と義妹、お参りに来てくれたんだ・・・。

通夜と葬儀の日程と場所を聞く。


次の日。

通夜の会場で、たくさんの親戚や老人会や祖母宅の近所の人などに会うが、悪阻がひどくて、結局会場の控え室で寝ていた。

葬儀当日。

義父が参列して下さった。

出棺の前、最後のお別れの時に、初めて祖母の亡骸を見た。
たくさんの花に囲まれた祖母は、安堵した表情だった。
その頬は、氷のように冷たく、もう、亡き人なんだということを、イヤと言うほど感じた。

弟も棺にすがり、母や叔母などの親戚も、みんな涙を流していた。

・・・・長くない。
それはもう、随分前から言われていたし、それなりに覚悟は出来ていた。

でも、いざ、その日が来ると・・・。
「もっと、こうしてやればよかった」
そう、後悔の念に駆られるのだ。

私は祖母に、ひ孫の顔を見せてやらなかったことを、一番悔いた。


火葬場で・・・。
控え室の壁に寄りかかり、ぐったりしている私。
着ていた喪服に、見慣れた茶色い毛がついていた。

「ああ!これ、たろうの毛だ・・・」

1ヶ月前、死んでしまったワンコが、ついてきたのだ。

母と二人で、また泣いた。


それから、数日後、私は40日間の入院生活を送ることになる。

  ・・・続く



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