goo blog サービス終了のお知らせ 

晴れ、ときどき虹。

yaplog!から移行しました。

焦り

2014-04-15 23:06:04 | つぶやき


言葉には魂が宿る。
「言霊」というが、なるべくマイナスな言葉を自分の口から発しないように気を付けている。

でも、最近はなかなか…

忙しいとどうも感情が先走り、しっかり考えていく余裕がない。

ほんと、まずいな…と感じている。

というか、なにも考えられない。

仕事で頭を使いすぎてるのか?

確かに相当なエネルギーを使ってるのは感じる。

ゆっくりしたい。
もっと自分のために、時間とお金を遣わなくては、どんどん消耗していく。

今度の週末もつぶれた。

ゴールのないマラソンをずっと続けているようなものだ。

なにもできない焦りだけが残る。


人の話を聴け!

2014-04-13 21:26:15 | つぶやき


傾聴。
最近、この言葉が引っ掛かる。

「人の話を聴く」

実は、簡単なようでできない。
何故か?

「他人の話を聴くよりも、自分の話をしたいから」である。

昼休み。
学校でのこと、家でのこと、仕事のこと、ほんのちょっとしたことを、昼食を食べながら話す。

「昨日、○○のドラマ見てね、うちの娘が…」
と、まだ最後まで話さないのに
「あー、見た見た!○○ってさ、私も好きで、今度映画に行くんだよ。でね、うちの息子がねー(延々)」

話始めた人の、娘の話はどうなった?

ここ数年、こういった場面を多々みてきた。

よって私は、努めて人の話を最後まで聞いて、言葉にして相槌を打つようにしている。
もっとも、きちんとできているかどうかは、わかんないけど…。

楽しい話題ならともかく、愚痴や弱音など、負のエネルギーが多い時は特に気を付ける。

相手の話を一旦全部聞いて、そこから受け入れる。

アドバイスが欲しいなら、私なりに考えて言葉を選び相手に伝えるが、ただ聞いて欲しいだけで落ち着くことが大半なことが多いから、その時は余計なことを言わない。

「大変やったね」
「よく頑張ったやん。だから今、話せるんや」
「もうちょっとやね。ここまで来たんだ」
などなど。

言葉にして吐き出してすっきりするのに、ちょっと弱音が出ただけなのに、余計なことを言う人って非常に多い。

それも根底にあるのは「自分の話を聞いて欲しい」から。
弱った人の、マイナスな言葉なんて聴いてられるかよっ!なんだろうが、その人が言葉を吐き出して、聞いている人がいるというだけで救われるなんて、考えないのだろう。

別に他人の言葉なんて欲してない。
聞いて欲しい。
ただそれだけなのに。

別の目線からの言葉が欲しいなら、ちゃんと自分で「言葉が欲しい」って言うだろう。

聴く側としては、たまにその口を塞ぎたくなるほど、聴きたくない時もある。

なかなか難しい。

言葉を吐くということは、自分一人しかいない時は、基本的にしない行為だ。

たとえその言葉がどんなに醜くても、どんなに卑猥なものであっても、その言葉を向けた対象がある。

他人に聞かれたくないときなど、一人で言葉を吐くこともあるだろうが、やはり対象の人がいたり、時には自分に向けてだったり。

まずは言葉を聴いてから、その人が何を求めているのかで、自分ができることをしていきたい。

支離滅裂になってしまったが、人間、誰でも「自分の存在を他人に認めてもらいたい」という欲求がある。

その人を否定せず受け入れて、そこから言葉を出していけたらいいなって…。

だから、発する言葉は丁寧に聴いていきたい。




それはきっと、自分がそうされたいからだろうな…。



3.11

2014-03-11 23:25:01 | つぶやき
3月11日。

またこの日が来た。

どんな言葉で今の思いを綴ろうか迷った。

文字を打っては消し、打っては消し。

なにも書けなかった。

私にできるのは、忘れないでいること。

そして黙祷を捧げた…。


雨の土曜日

2013-10-05 18:52:28 | つぶやき

朝から雨
やっとの休日で、少し安堵。
連日多忙なので、かなり参っていた。

午前中、田川の事務所に。
午後からは整骨院に。

院が移転したので、多少不便になった。

疲労が溜まると、ろくなことがない。

子供たちを連れて、祖父に会いに行った。

生きている姿を見るのが、もしかしたら最後かもしれない。

わかっていても、やるせない。

泣きそうだ。



43歳

2013-07-14 15:02:37 | つぶやき


今年で43歳になった。
ここ数年は仕事を始めて、なかなか時間がとれないこともあり、毎日ブログをアップすることもなくなってしまった。
日々を綴るのは、どうしてもTwitterやfacebookになっているが、まとまった文章をきちんと書くのは、やっっぱりここなんだと思う。

毎日が楽しいわけではない。
でも、悲観するほど悲しいわけではない。

ふとしたはずみに、大きな声で笑ったり、涙があふれたり。
日々穏やかに過ごすには、いろんな事がありすぎる。
自分ではどうにもならないこともたくさんある。
でも、私は元気に毎日を過ごしている。

たくさんの人からお祝いのコメントをいただいた。
本当にありがたいと思う。

日々を丁寧に生きて、自分が生かされている意味を、私がここにいる意味を考えてみる。

もう・・・いいじゃないか。

日々の喧噪に飲まれ、忙しさの波にさらわれる。

自分の芯がしっかりしていれば、きっと大丈夫。