炎と水の物語 2013 Apprehensio ad Ignis et Aquarius.

広大な宇宙を旅する地球。私たちは今、どの辺にいるのでしょう. 

フィリッピンの泥流災害

2006-12-05 | アジア・太平洋地域
 フィリピン政府は4日、台風21号による土砂崩れや泥流被害が起きたルソン島南部などでの死者が450人に上ったと明らかにしました。( 毎日-mnsインタラクティブ.10月5日)

 災害があったルソン島南東部のマヨン火山は1999年以来、毎年のように噴火を繰り返し、今年も六月以降、小規模な噴火が発生していました。火山噴出物による泥流災害の発生は当然予想されていたと思うのですが、関係者はいったい何をしていたのでしょうか。

1999年 Mayon 噴火
2000年 Mayon 噴火
2001年 Mayon 噴火
2002年 Mayon 噴火
2003年 マスバテ島の地震 Masbate Earthquake Ms6.2 (ルソン島の南隣の島 マヨンに近い)
2003年 Mayon 噴火

2006年 
  3月     Bulusan 噴火. ('95年以来)
  6月     Mayon 活動開始
  6月20日  Arroyo大統領の命により、全国の公立学校で地震避難訓練。
  7月14日~ Mayon 噴火
 
(・Philippine Institute of Volcanology and Seismology
Smithsonian Institute National Museum of Natural History.から作成.)

 日本でしたら噴火後、必ず泥流対策工事が行われるのですが、マヨン火山が、これほど噴火を繰り返していて、どんな対策がとられていたのか不思議でなりません。大地震に津波災害が付きもののように、日本では「噴火に泥流」で、すぐに対策がとられるのですが、貧富の差が大き過ぎる途上国の腐敗政治では、政治家とその「取巻き」の懐に、お金が流れ込み、貧しい地域には行き渡らないのが常...。

 今回の台風は、マヨン火山に接近した時点での中心気圧が、915Hqpと猛烈なものでした。日本にいる私たちでも、気象情報を見ただけで酷い事になりそうだと、十分予想できるのですが、現地にいる日本の援助関係者はいったい何をしていたのでしょうか。腐敗した現地役人に染まって、連中と一緒の優雅な生活をしていたのではないかと疑ってしまいます。

 マヨン火山に登る観光道路では、カーブごとに貧しい子ども達が、ロープを張って「関所」をつくり、通る車を止めては、「通行料」としてお金を請っていたといいます。山道ですから、実に多くの「関所」が在ったと言います。何という貧富の差でしょう。今回の災害で、こうした戸籍さえない子ども達も犠牲になったことでしょう。世界的にその美しさで知られたマヨンです。日本で言うと日光のいろは坂で、子供がロープを張って、「関所」をつくって物乞いをしている光景を想像すると、やりきれないものがあります。

 この台風で現地では、一か月分の降水量に匹敵する約500mmが、降り注いだといいます。
フィリッピンでは、この10月30日、11月11日にもほぼ同じコースで台風が通禍しています。
今回の台風21号(ドリアン)の最低中心の915気圧は、死者・行方不明者3306人を出した室戸台風(1934年)の911.6hPa、 敗戦直後の広島を中心とする西日本を襲い、死者・行方不明者 3756人を齎した枕崎台風(1945年9月)の 916.3hPaに匹敵する規模でした。台風の常襲地域とはいえ、あまりにお粗末な対応ではないでしょうか。
 発展途上国への援助のあり方が強く問われる災害でした。

・ご参考 
・ 主要な台風災害(日本):気象庁
・ 台風21号(ドリアン)のコースおよび中心気圧の変化:NII
・拙ブログ: 
・ フィリッピンの火山噴火と地震災害
・ エル ニーニョ現象はじまる El Niño 2006 
・ マヨン火山の伝説

参考画像:JWA 「日本気象協会」


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