先に、竹島近海の火山噴火による巨大津波に対して、島根の原子力発電所は、それを想定にせずに建設されていることをコメント欄に書きました。果たして、歴史上、日本海に火山噴火に関連した津波はなかったのでしょうか。私は、日本海の津波を調べるうちに、奇妙な資料に出くわしました。
1983年5月26日の日本海中部地震津波で死亡した、遠足中の小学生の遺族が、引率した教師の責任を追及した民事訴訟がありました。
驚くべきことに、この裁判で被告弁護側は、東京水産大学教授 三好寿氏に、当時の地震学の水準では、日本海に津波被害を予想する事は、困難な状態であった旨、法廷で証言させていたのです。当時の日本の地震学の水準では、日本海側に人的物的被害を齎すような津波が発生することは、予想し難かったというのです。また、この地震で、被害の大きかった秋田県では、義務教育において、「日本海には津波はないので、地震の時は、海岸に避難せよ。」と教育していたことも、明らかとなりました。
しかし、日本海中部地震の19年前の1964年(昭和39年)6月16日の新潟地震では、日本海沿岸に津波が押し寄せ、浸水家屋一万5千戸余り、港湾施設の破損、船舶の転覆沈没、農地の浸水など、おびただしい被害を齎しています。漁民の命である漁船も、多数被害に遭っていますから、東京水産大学三好寿氏の法廷での証言は、烏賊さまな偽証と言い得ましょう。
新潟地震では、地震と同時に石油貯蔵ダンクが爆発炎上し、漏れ出した石油が、津波で住宅街に流れ込み、一時は多くの住民が、延焼の恐怖に晒されました。米軍が航空機で消火に当たり、延焼を食い止めましたが、住民の恐怖は著しいものがあったようです。
さて、日本海でも地震による津波は、発生していたのですが、火山噴火に伴う津波はあったのでしょうか。
次回は、1741年の津軽、松前を襲った伝説的な寛保の大津波を検証し、当時の文化人、浪華四明こと与謝蕪村の足跡をたどります。
尚、秋田県では、日本海中部地震後、高校卒業者をはじめとする若年人口が、大挙、県外に流出をはじめ、以後、今日に至るまで、一貫して人口が減少し続けている状態にあり、蕪れ果て廃村になる地域が続出しているそうです。近年は自殺率も、日本一の異様な状態に陥っているとの事です。
ご参考
・『 秋田県地震対策基礎調査報告書 地質編 』 1982年 東京大学地震研究所蔵
・『 津波 その発生から対策まで 』 三好寿 海洋出版 1977.
・『 波・津波 』 海洋学への招待. 三好寿 河出書房新社 1971.
拙ブログ
・「 ヒョウタンからコマ 」 -独島・竹島騒動の陰に- 鬱陵隠岐火山灰
1983年5月26日の日本海中部地震津波で死亡した、遠足中の小学生の遺族が、引率した教師の責任を追及した民事訴訟がありました。
驚くべきことに、この裁判で被告弁護側は、東京水産大学教授 三好寿氏に、当時の地震学の水準では、日本海に津波被害を予想する事は、困難な状態であった旨、法廷で証言させていたのです。当時の日本の地震学の水準では、日本海側に人的物的被害を齎すような津波が発生することは、予想し難かったというのです。また、この地震で、被害の大きかった秋田県では、義務教育において、「日本海には津波はないので、地震の時は、海岸に避難せよ。」と教育していたことも、明らかとなりました。
しかし、日本海中部地震の19年前の1964年(昭和39年)6月16日の新潟地震では、日本海沿岸に津波が押し寄せ、浸水家屋一万5千戸余り、港湾施設の破損、船舶の転覆沈没、農地の浸水など、おびただしい被害を齎しています。漁民の命である漁船も、多数被害に遭っていますから、東京水産大学三好寿氏の法廷での証言は、烏賊さまな偽証と言い得ましょう。
新潟地震では、地震と同時に石油貯蔵ダンクが爆発炎上し、漏れ出した石油が、津波で住宅街に流れ込み、一時は多くの住民が、延焼の恐怖に晒されました。米軍が航空機で消火に当たり、延焼を食い止めましたが、住民の恐怖は著しいものがあったようです。
さて、日本海でも地震による津波は、発生していたのですが、火山噴火に伴う津波はあったのでしょうか。
次回は、1741年の津軽、松前を襲った伝説的な寛保の大津波を検証し、当時の文化人、浪華四明こと与謝蕪村の足跡をたどります。
尚、秋田県では、日本海中部地震後、高校卒業者をはじめとする若年人口が、大挙、県外に流出をはじめ、以後、今日に至るまで、一貫して人口が減少し続けている状態にあり、蕪れ果て廃村になる地域が続出しているそうです。近年は自殺率も、日本一の異様な状態に陥っているとの事です。
ご参考
・『 秋田県地震対策基礎調査報告書 地質編 』 1982年 東京大学地震研究所蔵
・『 津波 その発生から対策まで 』 三好寿 海洋出版 1977.
・『 波・津波 』 海洋学への招待. 三好寿 河出書房新社 1971.
拙ブログ
・「 ヒョウタンからコマ 」 -独島・竹島騒動の陰に- 鬱陵隠岐火山灰
日本海中部地震を経験してから、地震に遭遇するとあの時の記憶が甦ります。
地震は逃れられない天災だと思っています。
また来ます。
日本海中部地震の津波は、能登半島でもかなり大きかったのですね。目撃された輪島港での津波の様子、もの凄い異変であったことが目に浮かぶようです。貴重なご体験をお知らせ頂き、本当にありがとうございました。
鳥海の山頂から、空気が澄んでいると佐渡、能登半島が見えます。地震で揺さぶられた海水が行ったり来たりしていた光景を想像すると、巨大な龍がうごめくような状態であったと思います。
不乙
それにしても、安定してるはずの大地が、突然、豹変するというのは恐いです。
貴重な体験を書いて頂き、ありがとうございます。地震の時の、心境の移り変わりなど、またいつかお知らせ下さい。地震のこと記事にされましたら、TBで教えて下さい。 ありがとうございました。
秋田県は自殺率1位・出生率が最下位と悪循環です。
明るい話題で1位になってほしいものですね。
物事には、必ず原因があり、それを取り除かないと、いつまでもよくなりませんね。
秋田という所は、全国的にも特殊なところのようです・・・。