先ごろ火山泥流災害に見舞われたフィリッピンのマヨン火山、現地語で、「 美しい 」という意味とされれますが、その名にひそむの歴史背景を考えます。
フィリッピンで最も、活動的な火山、マヨン。名の由来は、かつてこのビコール地方を支配していた一族の名前から来ているといいます。 以下、マヨン火山の伝説。
「昔、このビコール地方を支配する一族に、美しい姫がいた。
この美貌の姫君に、各地から求婚が殺到した。
しかし、かんしゃく持ちの伯父 Magayon は、男をいっさい寄せ付けず、姫を幽閉状態にした。姫は家から一歩も出る事が出来ず、いつの日か、自分を助け出してくれる勇者の到来を夢見ていた。
ある日、対立する部族の若者が、姫の部屋に忍び込む事が出来た。二人は神に救いを祈ったところ、大地が割れ、Magayon は生き埋めになってしまった。その後、Magayonが埋まっている所に火山が成長し、今日なお活発な活動を続けているという...。」(下記参考)
地元では、このかんしゃく持ちのMagayon の激しい怒りが、噴火の原動力となっていると語り次がれているそうです。現在のマヨンは、現地の言葉では、「美しい」と言う事にはなっています。しかし、タガログ語の Mayon という単語に、美しいという意味は、ありません。
さて、それではこのMagayon、いったい誰がモデルなのでしょうか?
フィリッピンの歴史を振り返るに、これと似た名前の人物は、ただ一人、Fernando de Magallanes こと、ポルトガル生まれの初の世界周航者、マゼランその人のようです。マゼランは1521年に、セブ島に上陸したものの、現地民よって倒されます。この時活躍したラプ ラプは、フィリピン史の英雄です。
マゼランの到来と,その後のスペインによる支配は、南海の楽園であったフィリッピンの島々にとり、暗黒と屈従の時代の到来に他なりません。1565年、レガスピが来島してスペインによる支配がはじまり、その後の333年間は、フィリピンの暗黒時代そのものでした。
マゼランの来航に代表される過酷な欧米による支配と、自由を奪われた姫をフィリピンの国民に見立て、それを救うラプ ラプをヒーローにした「 伝説 」と言い得ましょうか。
フィリッピンで最も、活動的な火山、マヨン。名の由来は、かつてこのビコール地方を支配していた一族の名前から来ているといいます。 以下、マヨン火山の伝説。
「昔、このビコール地方を支配する一族に、美しい姫がいた。
この美貌の姫君に、各地から求婚が殺到した。
しかし、かんしゃく持ちの伯父 Magayon は、男をいっさい寄せ付けず、姫を幽閉状態にした。姫は家から一歩も出る事が出来ず、いつの日か、自分を助け出してくれる勇者の到来を夢見ていた。
ある日、対立する部族の若者が、姫の部屋に忍び込む事が出来た。二人は神に救いを祈ったところ、大地が割れ、Magayon は生き埋めになってしまった。その後、Magayonが埋まっている所に火山が成長し、今日なお活発な活動を続けているという...。」(下記参考)
地元では、このかんしゃく持ちのMagayon の激しい怒りが、噴火の原動力となっていると語り次がれているそうです。現在のマヨンは、現地の言葉では、「美しい」と言う事にはなっています。しかし、タガログ語の Mayon という単語に、美しいという意味は、ありません。
さて、それではこのMagayon、いったい誰がモデルなのでしょうか?
フィリッピンの歴史を振り返るに、これと似た名前の人物は、ただ一人、Fernando de Magallanes こと、ポルトガル生まれの初の世界周航者、マゼランその人のようです。マゼランは1521年に、セブ島に上陸したものの、現地民よって倒されます。この時活躍したラプ ラプは、フィリピン史の英雄です。
マゼランの到来と,その後のスペインによる支配は、南海の楽園であったフィリッピンの島々にとり、暗黒と屈従の時代の到来に他なりません。1565年、レガスピが来島してスペインによる支配がはじまり、その後の333年間は、フィリピンの暗黒時代そのものでした。
マゼランの来航に代表される過酷な欧米による支配と、自由を奪われた姫をフィリピンの国民に見立て、それを救うラプ ラプをヒーローにした「 伝説 」と言い得ましょうか。
Photo.AFP.
表向きは「美しい」と言う意味とされるマヨン火山ですが、長い屈辱の歴史の鬱憤を秘めているようです。
-参考-
・ Volcano World.
・ マヨン.地図 CNN. edition
・ タガログ語辞書
ma-"excite" 興奮する. yanig -振動.
ma-"impress" 感動する. yamanig- (地震等で)揺れる.
-拙ブログ-
・ フィリッピンの火山泥流災害 (マヨン)
・ 地震と噴火の連動性を考える フィリッピン (北部編)
思わぬところでマゼラン。
こんな風に残っているなんて
当のマゼランも思いも寄らないでしょうね(^^
これは諸説あるうちの一つですが、フィリピンにとってマゼランの来航は、日本で「 元寇 」が、三百年以上も続いたような、それはもう、大変な出来事であったそうで、未だに尾を引いています。
>当のマゼランも思いも寄らないでしょうね(^^
マゼランは、グアム辺りでも、かなり悪さをしてから、フィリッピンへやって来たようです。
「災いの源」という事で、その名が付いたのかもしれませんね。
面白い言い伝えですね。
マゼランやコロンブスなど、大航海時代の偉人たち、ヨーロッパ側から見た見解と、それ以外の国(支配された側)から見た見解って、違ってますよね、絶対ね。
フィリピンの人達、暴れん坊マゼランを山に封じ込めたはずなのに、こうも暴れられてはたまったもんじゃないですね。
「美しい」なんて命名はいったい誰がしたんでしょうか。
トルコも地震大国でしたね。あちこちに災害にまつわる言い伝えがあることでしょう。
>マゼランやコロンブスなど、大航海時代の偉人たち、ヨーロッパ側から見た見解と、それ以外の国(支配された側)から見た見解って、違ってますよね、絶対ね。<
本当にそうですよね!本国では「英雄」でも、現地では「悪漢」というのは、秀吉や、博文などの例を待ちませんね。
今回の記事は、ネット情報から得た浅はかな記事で申し訳ございません(^^;;
伝説は、いくつもあり、これはアメリカの地学教育サイトに掲載されものから採りました。戦前からアメリカは、ヨーロッパの強圧的な植民地政策には、かなり批判的でしたから、こうした「伝説」を取り上げているのかもしれません。
フィリピンはその名のごとく、16世紀のフィリップ二世の時代から植民地化され、アメリカ、日本にも支配されましたから、時代によって、いろいろな伝説が採録されていると思います。日本の支配当時は、現地の学校でもっと別な「伝説」を教えていたかもしれませんね。
地元の人も、マヨンの伝説を子や孫に語るのに、静かな時と、噴火している時では話の内容もちがうのでしょう。
http://www.pbase.com/cesv/image/10576595
「マガヨン伯父=マゼラン」説、面白いですね!
びんろう樹のお宿では、お世話になりました^^。
Magayonは、ビコール語でしたか!
なるほどいくら、タガログ語を検索しても、分からないわけですね。ずっと、気になっておりました。ご教示、感謝いたします。
日本の画一文化に浸っておりますと、ついつい海外の文化の多様性を忘れがちです。気をつけたいと思います。
>「マガヨン伯父=マゼラン」説、面白いですね!
フィリピンの災害は、植民地支配後、激化したと言われています。災害のたびに、自然を破壊した歴史への恩怨が浮上するんでしょうか。
この時の火山泥流災害でも、行政は民衆に冷やかだったそうですね。 災害の根底を説明する民話だと思いました。