渋滞といっても、今ほどではないとは思うけど。などと考えながら、八高線沿い、南へ南へと、歩いていくと、小宮陸橋。
完成したのは、三億円事件の5年後、1973年である。
逆算すると、当時、すでに、もう、着工していたのでは、と思える。着工していなかったとしても、用地は、確保していたのに違いない。
実際、当時の地図を見ると、小宮駅東側、南へ伸びる幅広の通り、小宮駅の南側で、北西に、八高線を、横切っていく。
長閑な、丘陵地の中、そこだけ、幅広な通りが、伸びていたわけだ。
そして、さらに、陸橋まで、建設されてしまう。
八高線は、閑散路線なので、遮断機が下りる回数は、それほど、多くはないはずだが。
それほどに、重要な、幹線道路、ということだろう。
そうなったのも、北側、多摩大橋が、架橋された、ということが大きい。
(2013年10月記)
完成したのは、三億円事件の5年後、1973年である。
逆算すると、当時、すでに、もう、着工していたのでは、と思える。着工していなかったとしても、用地は、確保していたのに違いない。
実際、当時の地図を見ると、小宮駅東側、南へ伸びる幅広の通り、小宮駅の南側で、北西に、八高線を、横切っていく。
長閑な、丘陵地の中、そこだけ、幅広な通りが、伸びていたわけだ。
そして、さらに、陸橋まで、建設されてしまう。
八高線は、閑散路線なので、遮断機が下りる回数は、それほど、多くはないはずだが。
それほどに、重要な、幹線道路、ということだろう。
そうなったのも、北側、多摩大橋が、架橋された、ということが大きい。
(2013年10月記)